閉館した映画館で、「未解決事件」の記憶を歩く… “体験する小説”『あの夏のさよなら』【きょう最終日】

閉館した映画館で、「未解決事件」の記憶を歩く… “体験する小説”『あの夏のさよなら』【きょう最終日】

イヤホンから聞こえてくる声に導かれ、薄暗い映画館の奥へと進んでいく。

手元にあるのは、スマートフォンと小冊子。そして、物語の主人公「ナツ」として過去の記憶をたどるという役割だ。

ここで体験するのは、客席に座って舞台を眺める演劇でも、ページをめくって読む小説でもない。閉館した実在の映画館を歩きながら、音声や映像、香り、俳優による演技を通して物語の中に入り込む、ストーリー体験型ミステリーツアー『あの夏のさよなら』だ。

舞台となるのは、1968年に開館し、2022年7月に閉館した神保町の映画館。解体を目前に控えた建物を使い、2026年7月17日から26日までの10日間限定で開催中だ。制作総指揮は安藤美冬さん。

『あの夏のさよなら』メインビジュアル

『あの夏のさよなら』メインビジュアル

参加者自身が、物語の主人公「ナツ」になる

物語の始まりは2026年7月。54年の歴史に幕を下ろし、解体を控えた映画館に、主人公のナツが「最終上映会」のチケットを手にやってくる。そこは4年前、大学の映画サークルで知り合った「ミフユ」「ハルオミ」と、毎月のように映画を観た場所だった。

館内で上映される映画『あの夏のさよなら』をきっかけに、ナツの記憶がよみがえっていく。浮かび上がるのは、4年前に映画館で起きた館長殺害事件と、未解決のままになっていた真実だ。

参加者はナツの視点に立ち、ミフユ、ハルオミとの記憶を辿りながら、事件の真相に近づいていく。

一般的な謎解きイベントと異なるのは、参加者が外側から事件を分析する探偵になるのではなく、事件に関わる人物の感情や記憶を引き受ける点だ。「誰が犯人なのか」だけでなく、「なぜ、その人はそうせざるを得なかったのか」。謎を解きながら、人間関係の奥にある愛情や嘘に触れていく。

閉館した映画館そのものが、物語の舞台装置に

受付を終え、イヤホンを装着すると、参加者はスマートフォンから流れる音声ガイドに従って館内を移動する。歩くのは、ロビーや客席だけではない。奥へ続く階段を下り、集会室や会議室など、普段は観客が立ち入らなかった場所にも足を踏み入れていく。

本作では、解体前の建物に残された空間や備品が、そのまま物語の舞台装置として使われている。古びた扉を開ける。薄暗い階段を下りる。誰もいない部屋で声を聞く──。

一つひとつの動作が物語と結びつくため、映画館を見学しているだけのはずが、次第に「ナツが過去の記憶を探している」という感覚に変わっていく。

どれほど精巧なセットを作っても、54年間使われた建物に染み込んだ時間までは再現できない。閉館した映画館そのものが持つ記憶と、作品内で描かれる登場人物の記憶が重なることが、本作の大きな魅力だ。

『あの夏のさよなら』

岩波神保町ビルの中を巡っていく

「読む」「聴く」「歩く」が同時に進む

約90分の体験を支えるのは、2万字を超える書き下ろしのシナリオだ。参加者は小冊子の文章を読み、イヤホンから流れる声を聴き、指示された場所へ歩いていく。ときにはメモを紙に走らせながら集めた情報から事件について考える。

読書であれば、物語の情景は読者の頭の中に立ち上がる。しかし本作では、物語に書かれた廊下や階段、客席が実際に目の前にある。

文章だけを追っているわけでも、展示物だけを見ているわけでもない。「読む」「聴く」「歩く」「考える」が同時に進むことで、自分自身の記憶を探っているような感覚が生まれる。

登場人物との距離が、突然ゼロになる

館内の要所では、俳優による生の演技も展開される。音声ガイドを聞きながら一人で記憶をたどっていると、突然、物語の登場人物が目の前に現れる。映像や録音の向こう側にいた人物が、同じ空間で声を発し、息をし、参加者に働きかけてくる。

一般的なイマーシブシアターでは、観客と俳優の接触を避けるルールが設けられることが多い。しかし本作では、その境界をあえて越える。

香りが呼び起こす、言葉にならない記憶

物語を構成するのは、言葉や演技だけではない。

館内には、登場人物3人をイメージした3種類の香りが用意されている。香りは視覚や聴覚に比べて、その意味をすぐ言語化しにくい。一方で、過去の場所や人物の記憶を突然呼び起こすことがある。本作で香りは、会場を華やかにする装飾ではない。登場人物の性格や感情、残された記憶を伝える、物語の一部として配置されている。

暗所で視界を奪う演出もあり、見えないからこそ、声や人の気配、肌に触れる空気、香りが強く意識される。

「観る」だけではなく、身体全体で情報を受け取ることになる。

謎を解いたあとに残るもの

物語の後半では、それまでに集めた情報をもとに、参加者自身が事件について考える推理パートが設けられている。

事件の真相が明かされるにつれ、それまで何げなく聞いていた言葉や、館内で見た物の意味が変わっていく。それぞれの人物が抱えていた感情や、語られなかった事実が重なり、物語が別の姿を見せ始める。

ミステリーを解く爽快感と、登場人物の人生に触れる切なさ。その両方が、90分のなかに共存している。

『あの夏のさよなら』の会場となった岩波神保町ビル

ストーリー展開に合わせて実際に階段を下がっていく

消えていく場所でしか、成立しない物語

本作を体験しながら何度も意識させられるのが、この映画館がまもなく解体されるという事実だ。物語のなかでナツが失おうとしている場所を、現実の私たちもまた失おうとしている。

閉館した映画館には、ここで観た映画や、一緒に訪れた人、上映を待った時間など、数え切れない観客の記憶が積み重なっている。

『あの夏のさよなら』は、その場所を舞台として借りるだけではなく、「場所がなくなるとき、そこに残された記憶はどうなるのか」という問いまで物語に取り込んでいる。

読書でも演劇でも映画でもない、“体験する小説”。そう呼ばれる理由は、物語を目の前で見たからではない。自分の足で歩き、身体で受け取り、自分自身の記憶として持ち帰るからなのだろう。

■開催概要

ストーリー体験型ミステリーツアー『あの夏のさよなら』
開催期間:2026年7月17日(金)~7月26日(日)
会場:岩波神保町ビル10階(東京メトロ神保町駅A6出口直結)
体験時間:約90分
料金:7,700円(税込)
形式:音声ガイド型ストーリー体験
持ち物:スマートフォン、イヤホン
※接触、暗所を使用した演出があります。

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