心地よさ、大事にしている? 中前結花×生湯葉シホ トークイベントで感じた文章との向き合い方

心地よさ、大事にしている? 中前結花×生湯葉シホ トークイベントで感じた文章との向き合い方

「書きたい。でも、なぜか書けない」状態の私へ

気付けば2月も終わろうとしている。

普段私は、インターネットサービス系企業でコンテンツ制作に関わる仕事をしている。社会人歴で言えば10数年目。もう若手とは言いにくい立ち位置となってしまっていることに恐ろしさすら覚えてしまう。

昨年末に10年弱勤めた会社を退職し、新しい職場で働き始めた。コンテンツ制作という大きな軸は変えなかったものの、業界はガラリと変わったため、お作法や相対する社内外関係者のタイプは全く違う。想像よりも、適応するのにはまだまだ時間がかかりそうだ。

転職を決めたとき、私の中ではひそかにこんな思いがあった。

「心機一転したことだし、今までできていなかった『書く』ということを能動的にやっていきたい」

編集者のような仕事を長く続けていて、文章そのものに触れる機会は多かったものの、書くことに対して苦手意識を持っていた私にとって、自ら「書く」ことは勢いのようなものが必要だった。

私のように「書く」ことを習慣化したいと考える人は少なくないのではないだろうか。中には「どうせ書くなら、SNSにせよブログにせよ、自分の文章をもっと多くの人に届けたい」といった期待を抱いている人もいるように思う。

とはいえ、書きたいこと自体は頭の中にあるのに、いざ投稿画面を前にすると言葉が出てこない……そんな経験、心当たりがある人も多いはず。実際、私もまさにそうだ。

そうこうしているうちに時間だけが過ぎていく中で、ふと、とある出来事を思い出した。『好きよ、トウモロコシ。』などの著作で知られるエッセイストの中前結花さんと、ライター・エッセイストとして活躍する生湯葉シホさんによるトークイベントで語られていたことだ。

西荻シネマ準備室

トークイベントは2025年11月末、西荻窪にある西荻シネマ準備室で開催された

自分にとって「心地よい」文章に出合えるか

エッセイストとしての活動はもちろん、インタビューライターとしての経験も豊富なお二人がトークイベント中でまず語られたのは「インタビューライターとしての仕事とエッセイの仕事は全く別物」ということだ。

どちらも書くという行為そのものは同じであるが故に、軽やかに境界線を行き来できてしまうのでは? と感じる人も少なくないように思う。

ただ実際にはそのものの性質が違う。生湯葉さんは、インタビューライターとして文章を書く面白さを「パズル的な楽しさ」と表現し、中前さんもそれに同意する。対話から得られた「素材」を、どう組み立てるかという構成の妙が問われるのが、面白さでもあり難しさでもあるのだ。

一方で、エッセイの捉え方について、中前さんは「エッセイは最初にある素材が違う。ゼロから自分の中から引き出すもの」と語る。他者の声を編みあげるのではなく、自身が「あのとき、どう思ったのか」という内にある感情や熱が重要になるのだ。

何か書きたいと思ったとき、どうしても手が止まってしまう。そう思う背景には、その「書きたい」ことが心からの思いではないのかもしれない。自分が求める「書き方」を見つけるのではなく、まずは本当に「書きたいこと」は何か思考を巡らせることが、大切なのかもしれない。

トークイベントの様子

トークイベントの様子。写真左から中前結花さん、生湯葉シホさん

続いて印象に残ったのが二人の書き方のスタンスだ。いざ自分が書くとなると「もっと綺麗に、スマートに書かなければ」という気負いがブレーキをかけてしまう。そんな私たちの悩みに対し、二人のスタンスは対照的だった。

テーマがあたえられたエッセイを執筆する際に「自分の文体や構成を『器』のように捉えて、テーマに合わせて設計していく」と話す生湯葉さんに対し、中前さんは文章と自身が「地続き」のようだ。場合によって例外もあるが、文体や構成などを意識し過ぎず、そのときに思い浮かんだことを筆に乗せていくことが多いと言う。

インタビューライターの経験も豊富な生湯葉さんは、テーマに応じて文体や構成を考える作業自体が楽しいとのこと。中前さんは「届けたい心地だけを考えて自由に書く」ことが、結果として自身の書きやすさにもつながっているようだ。自身にとっての「書き心地のよさ」を理解できていれば、無理に綺麗な文章を書こうと気負わなくてもいいのかもしれない、そんな気付きが得られる回答だった。

中前さんと生湯葉さんの書籍

もうひとつ、私たちが陥りがちなのが「どのくらい書けばいいのか」という分量の悩みだ。これについても、二人は「自分の心地よさ」を一つの基準として提示してくれた。

生湯葉さんの場合、書いていて最も気持ちがいいと感じる文字数は1,500字程度だという。著書『音を立ててゆで卵を割れなかった』も、1篇ごとの文字数は決して多いわけではないが、無理に引き延ばすようなことはしない方が、自身にとってはしっくりくると語った。

中前さんは、伝えたいことを書こうとすると、長くなることも少なくないようだ。掲載の都合上、調整することもある(新刊『ミシンは触らないの』でも担当編集者と、ある章の文章の長さでやりとりをしたそうだ)が、まずは文字数に縛られず、書きたいことを書くようにしているという。

共通しているのは、書き手である自分にとっての心地よさを理解していることだ。何を書くかと同じくらい、「どこで、どう終えるか」にその人らしさが宿る。「このくらい書かないと」という目安のようなものに縛られる必要はないのかもしれない。

***

前職の縁から、本媒体で文章を書く機会をもらっているが、本当ならこの記事はもっと前に公開されていたはずだったし、ただ思いつくままに文を綴ることができていたのなら、そもそもこんな書き出しになっていなかったと思う。

それでも、ふとした折に、二人の言葉を思い出すだろう。書くこと、発信することに向き合い続けてきた二人の言葉には、今まさに「書き出せずに立ち止まっている」人の背中を、そっと押してくれるヒントがあった。

今すぐに、流れるように文章を書くことはきっと難しいように思う。それでも、日々感じたこと、それを言葉として残しておきたいと思ったとき、少しずつでも、自分にとってできることから、始めてみたいと思う。

【書籍情報】
『ミシンは触らないの』/中前結花(hayaoki books)
https://www.hayaokibooks.com/items/115285490

『音を立ててゆで卵を割れなかった』/生湯葉シホ(アノニマ・スタジオ)
https://www.anonima-studio.com/books/essay/yudetamago/

※本記事は2026年2月に執筆されました

文:原川裕行

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