コロナの流行がもたらした社会の変化は数え切れないが、人との食事や外食がままならなくなったことで、ひとりで食べるって幸せかも……と改めて気づかされた人も多いのでは? エッセイ『ひとりで食べたいーわたしの自由のための小さな冒険』(平凡社)の著者、野村麻里さんは、ひとりでもおいしいものを食べる楽しみを諦めないひとりご飯の達人。野村さんが語る、ひとりご飯のススメとは?
ひとりでの食事は幸福度が高い
——『ひとりで食べたい』は、ひとりで食べることの楽しみがつまったエッセイです。このテーマで本を書こうと思ったきっかけは?
野村麻里さん(以下、野村):一番のきっかけは、中高時代からの同い年の友人が、12年間の闘病の末に亡くなったことです。
——本書の第1章でも紹介されていますね。その方は、ずっと実家暮らしだったのに、40代半ばで病気になってから初めてのひとり暮らしをスタートさせ、好きな物を食べる暮らしを楽しんでいたとか?
野村:彼女は本当にひとりで食べることを楽しんでいて、最後はそれが生きる理由みたいになっていたところがあったんです。私は、そんな彼女の行動がちょっと不思議だったんですよね。というのも、私自身は料理についてはマニアの域で、自分のためだけに料理することも普通だし、ひとりで食べることも当たり前になっていたから。
でも、彼女はずっと実家暮らしだったので、人に気兼ねすることなく、好きなものを好きに食べて暮らしたかったのかもしれません。そんな彼女の姿を見て、ひとりでの食事は一般的にはイメージがよくないけど、実は幸福度が高い行為なんだろうなと感じるようになりました。
——野村さんは料理が好きで、ひとりで食べることが当たり前だったということですが、その行為をいいなと思い始めたきっかけはありますか?
野村:糖質ダイエットってはやったじゃないですか? 実は私は万年ダイエッターで、常に体重が増えないように気をつけているんです。ホルモンとか脂っこいものが好きだから、放っておくと太ってしまう。だから糖質ダイエットが流行ったときも、当然ながら飛びついたわけです(笑)。それで夜は糖質を取らないという生活をしたときに、これは誰かと一緒に住んでいたらなかなか難しいなと思ったんですよね。
——意外と最近なんですね。
野村:ええ。もともとは、ひとりの食事を特別いいとも思っていなかったし、いやだとか寂しいという気持ちもあまりなかった。ただ、だいぶ前から、ひとり暮らしの女性と男性を比べたら、女性のほうがいい加減なものを食べていると感じていたんです。男の人って、内容がコンビニのご飯やラーメンだとしても、わりとしっかり食べるじゃないですか。
でも、ひとり暮らしの女性の中には、「今日の夕食はあんぱん1個で」みたいな人がけっこう多いけれど、あまり注目されない。もしかしたら、世間には、女性は料理をするものだから、ひとりでもきちんと食事をしているはず、という思いこみというか、建前があるから、あまり話題にならないのかな、と思ったあたりから、ひとりで食べることについて、意識するようになったと思います。
「ひとりで食べる」は自分と向き合う行為
——それは興味深いご指摘です。実は私もひとりで食べることが好きなんです。というのも、眠くなるので昼間にがっつり食べたくないタイプなのですが、ランチの誘いを断ったり、自分だけ軽いメニューを頼むと、「協調性がない」とか「ダイエット?」と言われたりして苦痛でした。
野村:みんなで食事をするときは、食べたいものがあっても、気を使って他の人の好みを優先したりという気遣いは確かにありますね。
——野村さんは香港に6年半お住まいだったそうですが、香港なんてそれこそ、皆で食卓を囲む文化ですよね。
野村:そうですね。みんなで食べるときはあまり我慢しすぎないことが大切で、「私、これだけは食べさせてもらうよ」と、一応大声で主張するんです(笑)。香港って、みんなでわいわい言いながら食べるじゃないですか。食べたいものがあったら主張しないと、その料理は永遠に来ないんですよ。それは香港時代に学びました。
——食事の仕方、注文の仕方ひとつとっても社会性が出ますね。特に若い人の中には、ひとりで食べてはいるけれどもずっとスマホを見ていたり、何となくその場をやり過ごしていたりと、食事を味わっているとは思えない光景をよく目にします。
野村:やっぱり、食べることと“人”がくっついている人は、ひとりで食べても食べた気がしないのだと思うんです。
——“ひとりで食べても、食べた気がしない”というのは、ひとりのほうがリラックスできる自分には、なかった視点かも……。
野村:料理には味があるのだから「食べることに集中して楽しめばいいじゃない」とは思うけど、たとえば家族とずっと一緒に暮らしていると、食事が“一緒に食べる人ありき”になる。だから、ひとりで食事してみて、「自分には無理。楽しめない」と自覚するのもひとつの選択だし、「人と一緒以外の食べ方もあるんだな」と気づくことも一つの選択だと思うんです。「今、何かの行為をしている自分がどういう気持ちなのか」ということを考えてみると、違う食の楽しみに気づくかもしれません。
私の中には、「自分の一番の友達は自分」であり、「自分の理解者は自分」という意識がすごくあるんです。自分が2人いるように、時々自分を客観視する。多分、若い頃って「自分の友達が自分」なんて嫌ですよね。自分のことが好きじゃない人って多いでしょう? でも、年を重ねると、どうでもよくなってくる(笑)。
——『ひとりで食べたい』でも、「自分自身と食事をする必要がある」と書かれていますね。どういうことですか?
野村:たとえば「今日、私は何を食べたいか」というのは、自分の声にちゃんと耳を傾ける行為であり、ある意味自分との対話ですよね。もちろん、現実には自分で決められないことがいろいろあるけれど、「誰かがこうしたからこうする」とか「こういう状況だから仕方がない」というふうにしていると、感情のおりがたまっていく。でも自分で決めたらなら、「しょうがない、私が決めたんだから」と思えるから、その時々で自分で選択をすべきだと思っていて。食についても、「私は今日、これを選んだんだな」というふうに向き合っていると、いろいろたまりにくいと思うんです。
コロナで「ひとりで食べる」への見方が変わった
——本書では初めて英国にひとり旅をして、手探りながらも現地の食を楽しんだエピソードがつづられています。ひとり旅デビューが50歳のときだったそうですね。ひとりご飯を楽しめる人は、ひとり旅も得意なのかなと勝手にイメージしていたので意外でした。
野村:もともと何でもひとりでできるタイプではないので、ひとり旅は今でもとても緊張します。だから「ひとりご飯は嫌だ」という人たちの気持ちも分かります。
——ひとりで食べることに抵抗がある人の多くは、「友達がいない」「わがままな人」などと、人からネガティブなイメージを持たれることを心配しているように感じます。
野村:この本の執筆にあたり、栄養管理士の花本美奈子さんに取材しました。花本さんは食に問題を抱えている人にアドバイスなどもされている方で、「コロナを経て、ひとりで食べる気楽さ、自由さを知った人も多いと思います」とおっしゃったことが印象に残りました。もちろんコロナなんて流行しないほうがよかったですが、ひとりで食べざるを得ない状況になって、それまで食事は誰かと一緒に取るものだと思っていた人の中にも「ひとりで食べることって、別に悪いことじゃない」と気づいた人が多いそう。実際、ひとりで食べる人への偏見がだいぶ減ったと思います。
——「自意識過剰」になってしまい、必要以上に他人の目を気にしてしまっていたのかも……。
野村:私も基本、自意識過剰なのでその気持ちも分かりますけど、それではつまらない。食事の仕方にも、いろんな選択肢があるといいですよね。よく「自分の機嫌は自分でとれ」というじゃないですか。「ひとりで食べるのが楽しくなったら、もっと食が楽しくなるよ」と言いたいですね。ひとりで食べたり、出かけたりすることを楽しいと思えるようになると、選択肢がぐっと広がります。
——この本の帯にある「ひとりで食べること。みんなで食べること。どっちも楽しい世の中がいい」という文言が言い得て妙だと思いました。たとえば家庭の事情などで子供がひとりで食事を取らざるを得ないという切実なケースもあるし、ひとりがつらい人もいる。誰もが自分の望む形で食べられることが理想ですね。
野村:この文言は、担当の編集者がつけてくれました。コロナがよかったとは全然思わないけど、ずいぶん食への考え方が変わったと思います。これからもどんどん変わっていくだろうから、より選択肢が増えて、みんなが楽しく食べられる世の中になるといいですよね。
(聞き手:新田理恵、写真:伊藤菜々子、撮影協力:Cafe des ARTS)