DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」62回目のボヤきは「私、一人じゃいられなくなってる?」です。
【今週のボヤき】
もともと一人でいるのが好きなタイプなのですが、気がついたらまわりに人がいて、いろいろな“つながり”ができていました。自分は恵まれているなあと思うのですが、この前ふと「いつの間にか一人じゃいられなくなってる?」と急に不安になりました。
学生時代や仕事を始めたころは、一人でいるのが好きで孤独も嫌いではなく、自分で考えて仕事も人生も進めてきたのですが、最近は一人になる時間があまりなく自分で考えている感じもありません。他人からいい刺激を受けつつも、どこか流されている感もあります。
人と関わり合いながら過ごしている今の生活も嫌いではありません。ただ、このままでは自分を見失ってしまうのでは? という不安もあります。まわりと距離を置いて、一人の時間を意識的に増やしたほうがいいのでしょうか?
過ちを犯してしまうときは…
人が過ちを犯す過程とは、まず自分を失うこと、そして失った自分を違う誰かに委ねてしまうこと。
まわりに流され、まわりと一緒というだけで安心してしまい、自分の発言や行動から「自分」がなくなって、無責任に無自覚に過ちを犯してしまうのです。
「和を以て貴しとなす」とは言うのですが、和と同は似て非なるもの、これは決して同調をよしとする言葉ではないのですよ。
孔子の言葉でこんな言葉があります。
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」
優れた人物は協調はするが主体性を失わず、つまらない人物は同調はするけど心から親しくなることはないという意味です。
つまり優れた人はどんな集団の中にいても自分を失わないということ。
他人と違うことを恐れず、また自分と異なる人を疎外することなく、違う者同士が違いを尊重し合い、おのおのがおのおのの責任を持って協調していくということですね。
自分は自分でなければ真の意味で他人と親しい関係になることはないんです。
親や親友や恋人など、心を許せる人の前にいるときは紛れもなく「自分」なんですよね。
一切の嘘偽りのない自分でいられるから、心を許せる関係になれるということ。
主体性を捨てて同調を選んでしまうことは、最初から仲よくなるつもりのない関係になってしまうということですね。
“人と関わる自分”を見失わないで
人との関わりは大事なことですが、人と関わる自分を失ってしまっては本末転倒です。
自分を失わないために必要なものは「一人の時間」。
人との関わりが大事なように一人の時間も同じように大事なもの、なんとなく一人でボーッとしている時間でも、その時間で人は自分自身と数多の言葉を交わし、自分という存在を確認しているのです。
人と関わるために一人の時間は死守しなければいけないものであり、それは食事の時間や睡眠時間と等しくなければないものなのですよ。