東京移住女子

「東京はお金がすべてだった」42才エリート女性が都会を捨てて、手に入れたもの

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「東京移住女子物語」
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東京に生まれて、大学も就職も、生活の拠点はずっと東京。いつか「水のいいところに住めたら」と漠然と思ってはいたものの、移住や地方暮らしへの具体的なイメージはほとんどなかった。

それが、ひょんなことから、2014年4月、東京を脱出して、Iターン&お一人様で富山県立山町へ。東京時代のキャリアをいったんリセットして、「地域おこし協力隊」という未経験の仕事に就いた。

仕事、暮らし、人間関係……。42歳にして、まったく未知の世界に飛び込んでしまった、おんなお一人様の移住物語である。

東京は、すべてが「お金」だった

富山に来た春r

突然だが、地方暮らしの朝は、とにかく早い。

朝7時前から、玄関をドンドンと叩き、「高橋さん、いる?」と、ご近所の方が訪ねてくることも珍しくない。移住したての頃は、玄関の前にどっさりと置かれた、キュウリ、ナス、じゃがいも、大根など大量の野菜のおすそ分けに驚いた。

お礼を言いたくても、誰が持ってきてくれたのかわからない。大根などは、袋にも入らず、ドアにそのままデンと立てかけてある。まるで、何かのオブジェのごとく。「嬉しい。だけど、せめて、名前か何か一言でいいからメモしておいてほしい……」。そう思ったものだった。

春にはワラビやぜんまいなどの山菜が、夏になれば夏野菜が、秋になれば、ツヤツヤの新米もご近所から分けてもらえる。地方暮らしは、イコール「おすそ分け文化」だ。

思えば、東京から引っ越してきて、「買わない」ものが増えた。蛇口から流れてくるのは、立山連峰の雪解けの清冽な水。これがめっぽう美味しくて、都会から遊びに来た友人たちも、みな口を揃えて「美味しいねぇ」と感激する。

東京時代は、すべて「お金」で手に入れるのが当たり前だったから。

大学を出てから、何度かの転職を経て、全国紙の新聞社に外部ライターとして出向した。新聞社の名刺を持ってできる仕事は、やりがいも大きかった。お給料やボーナスが入れば、丸の内や銀座界隈のセレクトショップで、気に入った服や靴を値段はあまり気にせず買っていた。

華やかな東京ライフは、何をするにもお金が必要だった。

「気に入ったなら、こっちに住んじゃえば?」

おすそ分けしてもらった夏野菜たちr2

今年、移住して2年目。移住のキッカケは、FB(フェイスブック)だった、と書くと我ながら「すごい時代だなぁ」と思う。でも、実際にそうなのだ。SNSで、人生が変わってしまったのだ。

今から4年ほど前のこと。富山出身、東京在住のFB友達ができたことで、そこから芋づる式に富山人ネットワークが増えた。友人たちの投稿に連日のように書き込みをしては、言葉を交わすようにコメントを交わす日々。時間をかけずして、あっという間に仲良くなった。

まったく、知識も、縁もなかったはずの場所。それが、北海道にも負けないくらい、とびきりお魚が美味しい土地であること、お水も特別に美味しく、その水から作られるお酒は、東京には出回らない貴重なラベルのものがあることなどを知った。

「冬は寒ブリが美味しい時期だから、一度、食べに来られ」。友人の一声で、富山での忘年会を開催し、仲間たちと初対面することが決まった。

富山は、雪深く、厳しい冬に耐えしのんできた土地柄ゆえか、(東京のように)余計なことをペラペラと口にせず、閉鎖的でシャイな人柄と言われる。だが、実際に一度腹を割って話すと、男女ともに驚くほど情に厚く、とことん、面倒見がいい。派手ではないが真面目で、質実剛健とも言える県民性に惹かれた。

東京の比較的、ドライな人間関係の中で過ごしてきた私にとって、富山の人々の「情に厚い」付き合いが新鮮に映ったのだ。

すっかり富山ファンになり、時間とお金さえあれば、東京と富山を行き来する日々。富山・八尾で有名な「おわら風の盆」の時期は、東京の仕事を休んで、八尾で食堂を営む友人を手伝いに、住み込みでアルバイトに駆けつけた。

すっかり「旅の人」(富山の方言で、旅行者の意味)気分を満喫していた頃、友人の一人がふと言った。「そんなに気に入ったなら、こっちに住んじゃえば?」。後から聞くと、その友人は冗談だったらしいが、その時、私の中でカランカランと鐘の音が高らかに鳴り響いた。「そうか!その手があったか!」と。

初めて「移住」という言葉が頭に浮かんだ瞬間だった。

富山、そして移住という選択肢

立山と電車3r2

パソコン一つあれば、どこでも暮らしてゆけるライターをしていたので、東京にこだわる必要はなかった。ただ、移住となると、新しい環境で、ゼロからのスタートになる。住む場所に加え、田舎暮らしに必須なクルマも確保しなくてはならない。乗り越えるべきハードルはいろいろとある。

縁あって好きになった富山に、何か貢献できないか、と考えた時、国の事業である「地域おこし協力隊」の仕事が浮かんだ。首都圏の人材を地方へ送り込み、地域を活性化させるプロジェクトだ。立山連峰の魅力に惹かれていたのもあり、真っ先に立山町の地域おこし協力隊に応募。見事、パスした。

与えられたミッションは、立山町への移住希望者へのサポートをワンストップで行う「定住コンシェルジュ」という役割だった。地域おこしも、移住希望者のサポートもまったく未知の仕事。だが、不安よりも、どんな世界が待っているんだろう? というワクワク感の方が大きかった。

ちなみに、地域おこし協力隊の場合、ささやかながら、毎月のお手当てに加え、家とクルマは行政から貸与されるので、移住のハードルはぐっと低くなる。その点も魅力だった。

いつか、腰を落ち着けて暮らせる場所へ

私自身は、1973年2月生まれの現在43歳。就職氷河期を体験した団塊ジュニア世代で、結婚の経験はなくシングルだ。

とっくに結婚をして子育てに明け暮れている友人もいれば、結婚はせず、比較的安定した「お一人さま暮らし」をエンジョイしている友人もいる。まさに、「自由選択」時代の現代を反映させた多様な人生模様だ。

何度かの転職を重ねた東京サラリーマン時代。ほしい年収を手にした時は、自分のゴールを一つ、達成できたような満足感もあった。ただ、その時、自分の中で何かが、ガラリと大きく変わるのかな?と期待したものの、たいして何も変わらなかった。

いくら稼いでも、お金では、自分の内なる変化は起こせない。それよりも、生まれてきた自分の魂をもっと燃焼させるような、自分を内側から満たせるような充実感―――それはきっと「仕事」なのだろうけれど―――そうした充実感を感じられる使命は何なのか?と追求するようになった。

「地域おこし」に応募したのは、そんな思いもあった。縁をもらった土地の活性化に貢献することで、自分のエネルギーを燃焼させたい、と。

これまで、日本のいろいろな地方を旅してきて、「住みたい」とまで思ったのは、富山が初めてだった。東京は自分の故郷であり、子どもの頃から住み慣れた場所。友達もいる。一方で、池袋の雑踏を歩いていて、「こんなにたくさんの人とすれ違うのに、誰も知った人がいない」ことに、たまらない寂しさを感じることもあった。

東京は「ホーム」でありながら、自分がこの先もずっと定住する場ではない、「アウェイ」のような気もしていた。どこに引っ越しても「ここではないどこか」、そして「根無し草」感がついてまわった。

「いつか、自分が腰を落ち着けて暮らそうと思えるような場所があるのかな?」。そんな思いを抱えていた頃、出会ったのが、富山、そして、移住という選択肢だった。

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