職場の人間関係のストレスで転職することになりました。仕事自体はすごく好きだったのに、なんでこんなところでつまずいてしまったのかと気がつくと自分を責めています。また、原因となった人は同じポジションで普通に働いていて、自分がなぜ逃げないといけないのかと納得できない気持ちもあります。次の職場はすでに決まっていて、入社日までゆっくりしようかなと思っています。周りの友人たちは「退職して正解だよ」「逃げるが勝ち」と言ってくれているのですが、なぜ自分が引かないといけなかったのだろうか? もう少し頑張るべきだったのかなと考えてしまいます。気持ちの持ちようを教えてください。
「こんなに我慢したのに」にとらわれてしまうワケ
すでに回収不能となったコストを心残りと感じ、さらにコストを掛けてしまう心理傾向を「サンクコスト効果」と呼びます。
この状態に陥ると合理性が奪われ、非合理な判断をしてしまいがちです。
コストとは、金銭面はもちろんのこと、時間や労力、そして精神的な負担(我慢など)も含まれます。
これらのコストがかさばるほど「今、撤退したらこれまでのコストのすべてが無駄になってしまう」と思い込んでしまい、自分に利益をもたらさない決断をしてコストの損益を上塗りし続けてしまうということです。
例えば恋愛で、飲む、打つ、買う、と三拍子がそろったどうしようもないクズ男と付き合ったとして、クズと判明した瞬間に別れを決断できればいいのですが、そこで「我慢」というコストを掛けてしまうと、なかなか別れることができなくなってしまうんですよね。
「こんなに我慢したのに、こんなに尽くしたのに」という「のに」の部分がサンクコスト効果の呪縛となり、頭では別れたほうがいいとわかっているのに、今までに捧(ささ)げたコストに後ろ髪を引かれて、ズルズルとお付き合いを続けてしまうというのが、サンクコスト効果の怖いところです。
人間関係の労力もコストの一つ
そして仕事でも、労力に見合わない薄給であったり、罵詈雑言が飛び交う劣悪な環境であったり、法外な長時間勤務であった場合、すぐに辞める決断ができる人ならいいのですが、我慢というコストを掛けてしまうほどに、損だと分かっていても辞められなくなってしまうんです。
コストがかさめばかさむほどサンクコスト効果の呪縛が強くなってしまいますので、最終的には命に関わる問題にもなってしまいます。
損切りをするのなら早めの決断が不可避ということですね。
人間関係に掛ける労力もコストのひとつですから、そのコストを損得勘定の天秤(てんびん)に掛け、損のほうに傾くのなら「辞める」という判断も英断ではないでしょうか。
気に入らないやつが残って、自分が去るのは癪(しゃく)に障るという気持ちもわからなくはないですが、仕事って勝負ではなく損得でするものですからね。
合理性を失うまでコストを掛けなくてよかったと思える日も、それほど遠くはないと思いますよ。