中国映画『最後の夏』史任飛(シー・レンフェイ)監督インタビュー

“いい子でいたい”呪縛からの解放…中国・一人っ子世代の監督が描いた青春

“いい子でいたい”呪縛からの解放…中国・一人っ子世代の監督が描いた青春

日本で紹介される機会は少ないが、中国では女性の映画監督が撮る佳作が増えている。若手監督の中には海外留学経験者も多く、新しい才能の台頭も目覚ましい。今年の夏に開催された第25回大阪アジアン映画祭でグランプリを受賞した『最後の夏』も、1992年生まれの史任飛(シー・レンフェイ)監督による作品。その確かな脚本と演出力が評価された期待の新星である。

史監督のような90年代生まれは基本的に一人っ子。特に女性は、周囲から仕事での成功と昔ながらの“女の幸せ”の両方の実現を期待された世代でもあり、そのプレッシャーは日本に暮らす私たちにも身に覚えのあるものだ。いわゆるエリートコースから外れた映画監督という道に進んだことに、当初は劣等感を抱いていたと振り返る史監督。“いい子”のレールを踏み外していく不安や劣等感に苛まれていた経験を語ってくれた。

史任飛監督

史任飛監督

<映画のあらすじ>
大学受験を間近に控えた優等生の李知知(リー・ジージー)。ある日、ベランダで父親のある行動を目撃した衝撃から灰皿を落としてしまい、下で遊んでいた女児を死なせてしまう。その事を誰にも言えない彼女は、良心の呵責と家庭の問題、さらに受験へのプレッシャーから、次第に追い詰められていく。

学生時代は「いい成績をとって“体制”に適応したいと望んでいた」

――長編デビュー作『最後の夏』の脚本は、“大学受験前に誤って灰皿を落とし、女の子を殺してしまう”という悪夢を見たことに着想しているそうですね。ジージーは当然、勉強にも身が入らず、大学受験に失敗してしまうわけですが、監督ご自身も受験の失敗が映画の道に進むきっかけになったとか?

史任飛監督(シー・レンフェイ/以下、史):私は小さい頃から、勉強のよくできる子供でした。当時は、いい成績をとって“体制”に適応したいと望んでいたと思います。私のこの映画の主人公ジージーのように、第一志望の進学先に進めなかったことで、長い間、先が見えなくて悩みました。

――上海大学に進み、脚本・演出を学ばれたそうですが、不本意だったのですか?

史:もともと映画やドラマといった芸術には興味があり、やりたかったことではあったのですが、職業にするつもりはなかったです。中国では、成績の芳しくない人が芸術を専攻すると思われているところがありますから。中国の大学入試(高考)では5つ出願先を選ぶのですが(その後、得点に応じて振り分けられる)、金融や財経など、いわゆるエリートコースの専攻を上に書き、結果的に得点が足りなかったので、5つ目に記入した芸術専攻に進むことになりました。

――第一志望ではなくても、興味のある道ではあったのですね?

史:そうです。でも家族にその分野の人がいなかったので、どんなことをするのは想像ができず、金融や経済が一番だと考えてきました。

――芸術の道は食べていくのも大変ですからね。

史:そういう認識もありました。確かに、今もあまり稼げていません(笑)。

――私も何の目的も持てずに大学受験をして当然うまくいかず、当時のモヤモヤや劣等感が社会に出てからも自分の行動に影響している気がします。史監督は、大学受験の失敗が、その後の創作活動にどんな影響を及ぼしたと感じていますか?

史:今でも学生時代の経験の影響を受けていると感じます。私はミスすることが怖くて、敷かれたレールの上を歩いていたいタイプ。でも、現実の私はレールからどんどん離れていきました。そのたびに、私が歩いてきたレールや守ろうとしていたルールは何だったのか、自分にとってどんな意味があったのか? と振り返ってしまうのです。その答えを探し、枠組みに抗うことが、私の人生のテーマの1つなのかもしれません。

――どのようにして挫折と向き合い、マインドを調整していったのですか?

史:過去の失敗や経験が今の自分を作っていると受け入れて、でも抗うことや思考することをやめずに、歩んでいきたいと思っています。

私は中国の一人っ子世代です。この世代の女性が直面する“社会のルール”はちょっと複雑で、保守的な良妻賢母になることを求められると同時に、一人っ子なので、それまで息子に託されてきたような親の期待も背負わされてきた。成功者になれと期待される一方で、家族の面倒も見ろと言われる。このように矛盾したものの影響を受けながら、この先の人生も探り探り歩んでいくのだろうなと感じています。

「社会に出て仕事をするのが怖かった」留学を選んだ理由

――映画監督としてのご経歴についてうかがいます。大学を卒業されてから英国に留学されていますね? 最近、中国の若い映画監督には海外留学経験者が多いと感じます。なぜ海外で学ぼうと考えたのですか?

史:学校のシステムというのは私にとって最も気楽にいられる場所で、その中で一番になっておけばいいと考えると楽でした。留学を決めたのも、自分が何をしたいのかはっきり分かっていないけれど、本科を卒業したら大学院に進むことが1つの“流行り”で、そうすれば“優秀な人”でいられると思ったからです。

でも、実際のところは社会に出て仕事をするのが怖かった。だから、もう少し勉強して、その流れで外国を見てみようと留学の道を選びました。英国を選んだのも大した理由はなかったです。本当に自分の意思で映画を撮りたいと思うのは、その後、就職して、何年も仕事をしたあとのことでした。

――帰国後はどんな仕事を?

史:テレビドラマのプロデューサーをしていました。でも、皆が注目するのは「どのスターが出演するか」といったトピックばかりで、内容が重要視される仕事ではなかったため、努力するのがつらくなっていきました。その頃にやっと、自分で何か撮りたいと思い始めたのです。

地方出身者にとって「上海の戸籍を取るのは重要」

――上海温哥華電影学院(上海バンクーバー映画学院)で教鞭を執っていましたね。上海大学とバンクーバーフィルムスクールの合弁映画学校だとか? どんな学校なのですか?

史:北京電影学院などのように4年かけて体系的に映画の技術や理論、芸術的なことを教える大学ではなく、1年間で北米式の映画産業システムについて教える学校なんです。私はプロデュースについて教えていました。思えばあの学校で教えたのも、模範解答に沿うための選択でした。留学から帰ってきて、上海の戸籍が欲しかったのです。中国の戸籍制度では、上海戸籍がないと上海で家を買ったり、子供を公立の学校に通わせたりできません。私は安徽省出身なので、地方出身者にとっては重要なことでした。いい大学に入り、豊かな都会に出て行き、そこの戸籍を得て、いい仕事に就き、子供を育てる。1つの流れですよね。

「平凡で普通の人間にも悩みや苦しみがある」

――母親になられたばかりだそうですね。日本では出産後に女性の監督が仕事復帰するのはなかなか難しい実態があるようです。中国ではいかがですか?

史:(隣に座っていた同作のプロデューサー・林博宇(リン・ボーユー)氏を指して)私たちは夫婦で、映画に登場した赤ん坊は私たちの子供です。スクリーンデビュー作ですね(笑)。

日本の母親は独りで子育てを担うことが多いと聞いたのですが、本当ですか? これは若い世代にとって、中国のいいところと言えるのかもしれませんが、親が喜んで子供の面倒を見てくれるのです。「早く子供を作って世話をさせろ」と言われます。もちろん、そうではない家庭もあります。見方を変えれば、親世代の女性をずっと子育てに縛り続けていることになりますが……。

それでも子供がいると、多少仕事に制約が生じるのは確かです。私の場合はフリーランスで自由な働き方ができるので、恵まれていると言えますね。

――中国の映画業界は、多くの作品が赤字に苦しみ、特にあなたが撮るようなアート映画は厳しいと聞きます。今のあなたにとって、映画を撮る意味とは?

史:実は私自身もその問題について考えているところです。この『最後の夏』が中国で上映されたあと、賛否両論、いろんなご意見をいただきました。するとまた、反対意見やレビューサイトの点数を気にするようになってしまい、大学受験の時のように新たな評価基準の罠に陥りかけました。映画を撮ることで解放されたと思っていたのに、実はまだ得点を気にしている自分がいた。

私の作品は自分の経験を基にしているものが多いので、主観的な部分は一部の批評家や観客にとっては理屈っぽくて感傷的すぎると思われるのかもしれません。でも、だからといって私は自分を否定できないし、これがリアルに存在する感情であると伝えていきたい。大変な災難に遭われた方だけが苦しみを訴えていいわけではなく、平凡で普通の人間にも悩みや苦しみがあり、表現される価値が十分にあると思っています。確かにアート映画は経済的に厳しいですが、なんとかやっていく方法を見つけていきたい。具体的に、どうすれば自分が表現したいことと市場を繋げていけるのか、これから考えていかなければいけない課題だと思います。

(映画ライター:新田理恵、画像:大阪アジアン映画祭提供)

■映画情報

『最後の夏』
日本公開未定
大阪アジアン映画祭公式サイト

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“いい子でいたい”呪縛からの解放…中国・一人っ子世代の監督が描いた青春

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