「赤ちゃんが泣き止まないときに激しくイライラしてしまう」
「雑誌やSNSのキラキラ妊婦とのギャップに落ち込む」
「夫や赤ちゃんに対して急に無関心になってしまった」
「産後の恨みは一生」
いずれも妊娠中や産後の女性たちから挙がった声です。多くの人が「マタニティーブルー」や「産後うつ」といったことばを耳にしたことがあるでしょう。現在放送中のドラマ『小さい頃は、神様がいて』(フジテレビ系)でも、仲間由紀恵さん演じる“あん”が3歳の長男と乳児を抱えながら泣き叫ぶシーンが放送され、話題になりました。
日本では、産後1ヵ月で約14%、産後半年でも約12%の女性にうつ症状がみられるという2020年の研究報告があります(※1)。
そこで、京都大学大学院医学研究科で「周産期・産後うつ」の研究を進める医学博士の田近亜蘭准教授(精神科医)と豊本莉恵特定助教(助産師)に、周産期・産後のうつ状態や症状、マタニティーブルーとうつ病との違い、予防法などについて、実際のケースをもとに連載にてお話しをうかがいます。
「周産期うつ・産後うつ病」とは?
マタニティーブルーとの違いは?
──「自分は産後うつ病かも」と悩む人は多いです。どういう病気ですか。
田近医師:「周産期うつ病」や「産後うつ病」とは、周産期や産後数ヵ月に「うつ病」を発症した状態です。その時期に「うつ病」の診断基準を満たした場合に診断されます。
うつ病の診断には、アメリカ精神医学会が策定した診断・統計マニュアル「DSM−5」を基準のひとつとして用います。次の9つの症状のうち、(1)または(2)を含む5つ以上が2週間以上継続していて日常生活に支障がある場合に検討します。
(1)抑うつ気分……悲しく憂うつな気分が一日中続く
(2)興味・喜びのそう失……これまで好きだったことに興味がわかない、何をしても楽しくない
(3)食欲異常……食欲が減る、あるいは増す
(4)睡眠障害……眠れない、あるいは寝すぎる
(5)精神運動の変化……イライラする、怒りっぽくなる
(6)意欲低下……疲れやすく、何もやる気になれない
(7)自責感……自分に価値がないように思える
(8)集中力低下……集中力がなくなる、ものごとが決断できない
(9)希死念慮……死にたい、消えてしまいたい、いなければよかったと思う
「マタニティーブルー」という表現は俗称であり、医学的な定義はありません。妊娠後に一過性の精神的不安定な状態のことを指して使われているようです。
豊本助産師:妊娠中や産後は、ホルモンの変動に加えて、生活の変化、寝不足、育児へのとまどいと不安が重なる、心が揺れやすい時期です。一時的に落ち込んだり、泣きたくなったりするのは自然な反応です。しかしそうした状態を放置すると、専門的なケアが必要なうつ病のサインが見過ごされる可能性もあります。
助産師として現場に立つ中で、メンタルヘルスに関する知識や予防、早めの対応がどれほど重要かを日々実感しています。一方で、「身体的なケアや管理に追われ、心のサポートに十分な時間が割けない」もどかしさを感じている医療者も少なくありません。
メンタル不調の原因は女性ホルモンの大変動とストレスの積み重ね
──取材で、周産期・産後うつ病予備群の方たちに、多くの体験談を聞かせていただきました。「産婦人科で相談しても、『ホルモンの変動ですから』と流された」「夫や家族に知られたくない。医師にも言いたくない」というお話しが目立ちました。
まず、ホルモンについて教えてください。妊娠中と産後では女性ホルモンの量がジェットコースターのように変わると聞きますが、具体的にどのホルモンがどういうタイミングで、どのように変化するのでしょうか。それに、そのことがなぜメンタルの不調を引き起こすのでしょうか。
田近医師:妊娠・出産に深く関わるのが「エストロゲン」と「プロゲステロン」という2つの女性ホルモンです。次のような役割があります。
<エストロゲン(卵胞ホルモン)>
・妊娠の成立、維持に関係する(子宮内膜の肥厚、胎盤の発育など)。
・妊娠が進むごとに血中の濃度が上昇し、非妊娠時の100倍以上になることもある。
・しあわせホルモンとも呼ばれる物質「セロトニン」や、快感や意欲に関係する「ドーパミン」にも影響する(セロトニンとドーパミンは実際にはホルモンではなく神経伝達物質)。血中の濃度が低下すると、気分の落ち込み、不安感、涙もろさ、イライラが生じやすくなる。
<プロゲステロン(黄体ホルモン)>
・妊娠の維持、産後の準備に関係する(子宮内膜の維持、乳腺発達など)。
・妊娠中に血中の濃度が上昇し続ける。
・血中の濃度が上昇すると、眠気、だるさ、イライラが生じやすくなる。
・血中の濃度が上昇すると、食欲が増加する。
豊本助産師:妊娠中はこの2つのホルモンが胎盤で大量につくられますが、産後には胎盤が体外に排出されるため、その供給も急激に減少します。劇的ともいえるこのホルモンの量の変化で、心も体も揺さぶられるのです。
これが神経伝達物質や自律神経系の調節に影響して、気分や感情のコントロールを難しくします。
ただ、妊娠中や産後のメンタルの不調は、ホルモンの変動だけで全てを説明できるわけではありません。家族との関係、生活環境、サポート体制、経済的な負担、幼少時のつらい体験、精神の病気の既往歴、気質など、さまざまな要素がストレスとして積み重なります。最近では、貧血が憂うつ感のリスクのひとつになるという研究報告もあります(※2)。
──ホルモン変動の仕組みやメンタル不調の要因がわかったところで、次に、「自分は周産期・産後うつ予備群かもしれない」と悩む読者2人のケースにアドバイスをいただきましょう。
不安と自己嫌悪が苦しい
32歳・産後1カ月半・フリーデザイナー
Aさんは、第一子出産直後から1カ月半、「育てられるのか」「母親の資格がない」と、特に夜間の授乳中に強い不安と自己嫌悪に苦しみ、慢性的な不眠と頭痛を抱えるように。情けなさから涙が止まらないことや、夫や実母からの手助けを「私がやるべき」と拒否し、「家族の中でも孤立した」と言います。
症状から1カ月後、夫が異変に気づいて地域の保健センターに相談し、Aさんは助産師の助言で心療内科を受診。「お薬で少し楽になりましょう」と軽い精神安定剤を処方されたのと、訪問型サポートもあって、約3週間で不安は緩やかに。「完璧でなくていいかも」と意識が変わり、その後3カ月ほどで回復しました。
田近医師:夫が変化に気づき、保健センターや専門医につながったことは良い判断でした。「完璧でなくていい」と気づけたことも、メンタルケアとして大きな一歩です。不安や涙もろさが1~2週間続くときは、こうした機関に早めに相談してください。
豊本助産師:訪問型サポートの活用も、賢明な選択だったと思います。「自分ががんばらなきゃ」とひとりで抱え込むと、心は疲弊してしまうかもしれません。
産後ケアなどの地域の支援には、がまんをせずに手を伸ばしてください。しんどさが小さいうちに、SOSを発信しましょう。
SNSを見て落ち込む…理想とのギャップで不安が続く
30歳・妊娠7カ月・主婦
妊娠7カ月ごろからBさんは、SNSや雑誌で目にする「輝く妊婦像」と現実のギャップに苦しみ、「母親になる資格がない」と強い自責の念にかられました。食欲不振や胎動への過剰な不安が続く中、夫の「散歩でもしたら?」という「見当違いの言葉にイライラが増して、あかちゃんにあたってしまったらどうしようと、気持ちが追いつめられる」と話します。
田近医師:SNSに流れてくる、華やかな一瞬を切り取った「理想の妊婦像」と自分を比較してしまうのは、よくあることです。先ほどの話しのように、妊娠中はホルモンの変動などで気分が不安定になりやすく、自己評価も下がりやすい時期です。その影響で、他人が発する写真やことばが、過度に輝いて見え、落ち込みにつながってしまうのです。
豊本助産師:パートナーの「良かれと思った言葉」に理解不足を感じると、孤立感や不満が高まって、ある時突然に感情が爆発してしまうこともあります。
もし、相手の言葉に「正解」を求めているなら、それを手放し、「いま、こんな気持ちでいるんだよ」と伝えてみるのはどうでしょう。わかってもらえたと思えるだけで、気持ちが軽くなるはずです。
──「周産期うつ・産後うつ病かも?」と思っても、かかりつけの産婦人科医には相談したくない、夫に知られたくないという声も多いです。どうすればいいでしょうか。
田近医師:「主治医には言いづらい」「家族に知られたくない」という声は珍しくありません。セルフケアとして重要なポイントは、どこか一箇所でも、いまの状態を話せる場所を持つことです。かかりつけ先の助産師、保健センターの保健師、LINEで相談できる「妊娠SOS」のような外部の窓口などに相談してみてください。こうした相談先には守秘義務があり、必要に応じて他の専門機関への橋渡しも検討する用意もあります。
──先生方は、スマホのアプリで、周産期や産後数カ月の人がセルフケアする仕組みを研究されているそうですね。
豊本助産師:私たち京都大学と名古屋市立大学の研究チームは、妊娠期から産後期の憂うつ感をセルフケアできる『ライジングかあさん』というアプリを開発しました。科学的根拠に基づいた心理療法である「認知行動療法」を応用して、心のケアが身近なものとなるようにと、取り組んでいます。
ちょうどいま、その研究の参加者を募集しています。対象は、「妊娠10週〜20週の女性、精神的問題に対する治療を現在受けていない方」です。気になる方はぜひ、ウェブサイト『ライジングかあさん』をご覧になってください。
──周産期や産後の心のサインを放置せず、周囲や専門家に相談してひとりで抱え込まないようにする……、それが確かなケアにつながるということです。アプリでのセルフケアにも期待したいですね。次回は、その具体的な一歩として注目を集める、「認知行動療法」について尋ねます。
参考:
※1 Tokumitsu K, Sugawara N, Maruo K, et al. Prevalence of perinatal depression among Japanese women: a meta-analysis. Ann Gen Psychiatry. 2020;19:41.
※2 Kang SY, Kim HB, Sunwoo S. Association between anemia and maternal depression: A systematic review and meta-analysis. J Psychiatr Res. 2020;122:88-96.
(構成:朝日奈ゆか/ユンブル、取材・文:堀池沙知子/ウートピ編集部)




































