<京都大学発③>産後うつを「予防」する…妊娠中から始める、心の筋力を鍛える新習慣

<京都大学発③>産後うつを「予防」する…妊娠中から始める、心の筋力を鍛える新習慣

京都大学大学院医学研究科で、「妊娠期・産後うつ」を予防する研究が進行中だというニュースを耳にしました。なんでも、スマホのアプリを使って心のセルフケアを実践していく方法を開発したということです。ウートピ編集部にも「産後うつ」の悩みは多く寄せられており、同研究にあたる医学博士の田近亜蘭准教授(精神科医)と豊本莉恵特定助教(助産師)に連載でお話しを伺っています。

<これまでの記事はこちら>
第1回:ドラマ『小さい頃は、神様がいて』でも注目…“産後うつ”とは? マタニティーブルーとの違いも解説
第2回:【京都大学発】「妊娠・産後のつらい」を科学的にセルフケア…最新アプリの可能性

今回は「産後うつを未然に防ぐ方法」を見すえ、自分は大丈夫だと思う人にこそ知ってほしい、「心の備え」への科学的アプローチについて聞きました。

「まだ大丈夫」なときこそ、予防開始の絶好のタイミング

――第1回で伝えたように、読者からは、「産後うつ」の深刻な経験談や、妊娠中の考え方、ふるまいへの後悔の声が多数届いています。

豊本特定助教:そうした声がある一方で、「つらくなってから考えればいい」「自分はそうはならない」と感じる方も少なくありません。とくに妊娠初期は実感がわきにくく、まだ見ぬ「産後の気分の状態」まで想定しにくいのは自然なことだと思います。ですが、週数が増えるほど抑うつの割合が高まるという研究報告もあり(※1)、「何もしないで大丈夫」と言い切るのは難しいのが現状です。

――症状のない妊娠期から、あえて「予防」に取り組もうというご提案ですね。それには、科学的にどのような意義があるのでしょうか。

田近准教授:「いまは元気だから」「まだ平気だから」というときこそが、トレーニング開始の最大のチャンスなんです。

精神医学の観点から、妊娠期や産後に憂うつでしんどいときが断続的にあるケース、いわゆる「妊娠期・産後うつ予備群」では、脳内の神経伝達やストレスへの反応システムがアラームを鳴らしている状態です。これが始終続くようになると、もとの健康な状態に戻すには、多大な時間とエネルギーが必要です。うつ病になった場合は医療機関での治療が必要です。

――田近先生は最新の『うつ病診療ガイドライン2025』(日本うつ病学会)の作成メンバーでいらっしゃいますね。公開されている(※2)ので読んでみたところ、「母親のうつ病は胎児・新生児の発育や認知的・言語的・情緒的発達、愛着形成およびその後のメンタルヘルスに影響しうる」と記されていました。

田近准教授:はい、そこでわたしたちの研究で目指すのは、うつ病まで進行しないようにするための「予防」です。予防の意義は、ストレスに対する脳の反応のボーダーライン、「閾値(いきち)」と言いますが、これを適正に保つトレーニングをしておくことにあります。火がついてから消すのではなく、燃え広がりにくい心を育てるイメージです。

豊本特定助教:産後は、ホルモンの変化や寝不足の状況下で、脳は「目の前の用事をこなすこと」で精一杯です。冷静に自分自身の内面を振り返るといった脳の機能自体が働きにくくなっています(※3)。

だからこそ、妊娠期のうちに、自分の「考え方の偏りやクセ」(第2回参照)を把握し、対処法を知っておく必要があります。

日ごろ元気な人でも「産後うつ」のリスクがある?

――「自分はポジティブな性格だから大丈夫」と自信を持っている人でも、「産後うつ」のリスクはあるのでしょうか。

田近准教授:あります。実は性格の明るさや仕事の有能さと、産後の激変するホルモン環境への適応能力は、関係が認められていません。むしろ「なにごとも自分の判断と努力で解決してきた」という成功体験を自覚する方ほど、育児で「努力が報われない、コントロール不能な事態」に直面すると、「なぜ!?」と、脳がパニックを起こしやすいケースがあります。誰でも産後うつになる可能性はあるわけです。

――第1回で触れた、ドラマ『小さい頃は、神様がいて』や、芥川賞作家の川上未映子さんのロングセラー小説『きみは赤ちゃん』、それにハリウッド映画『タリーと私の秘密』などで、妊娠・産後期に苦悩する主人公は、自立意識が強く、明るく責任感の強い女性たちでした。

豊本特定助教: だからこそ、限界のサインをあと回しにしていたのかもしれません。

妊娠・出産で生活も体の状態も急激に変わる中で、これまで通りに踏ん張ろうとするほど負荷は積み上がってしまいます。全力投球や理想の育児法ではなく、しんどさを増幅させる自分の「考え方のクセ」に気づいて調整することが現実的な備えになるのではないでしょうか。

心の筋力は科学的に鍛えることができる

――第2回で、アプリ「ライジングかあさん」は、心理療法の「認知行動療法」(CBT)をベースに、「週に15分✕6週間」ほどうつ病予防のレッスンを積み重ねるということでした。それで「こころの筋力」を高めていくのですね。

豊本特定助教:はい。さまざまなレッスンがありますが、「認知行動療法」のスキルのひとつである「認知再構成」では、ストレスを感じた場面での、実際に起きたできごとと自動的に浮かぶ考えを分けて整理し、ほかの見方も検討していきます。

たとえば、「あいさつをしたのに返事がなかった」というできごとに対し、「嫌われているのでは」という考えが浮かんだ場合、いったん距離を置いてとらえ直し、「聞こえなかったのかも」など、別の可能性も考えてみます。

また、「行動活性化」というスキルは、「体を動かせば気持ちも動く」という原則に基づき、「大きな伸びをする」「ひと駅遠くの店まで歩く」といった小さな活動を試しながら、日常に「うれしい」「できた」というポジティブな感覚を増やしていきます。

田近准教授:漠然とした不安やイライラを放置すると、いつの間にか雪だるま式に膨らんでいき、やがて「不眠」や「便秘」「胃痛」「だるさ」といった体の症状を引き起こします。

しかし、たとえば、早い段階で立ち止まってとらえ方を修正し、気分転換の方法を複数知っていて実際に使えるようになっていれば、憂うつの増幅を食い止めることができます。心のしなやかさ、回復力である「レジリエンス」(第2回参照)は鍛えられることが科学的にわかっています。

また、先述の『うつ病診療ガイドライン2025』でも、周産期に看護師による6週間の認知行動療法を実施した効果が明記されています。 抑うつや不安の症状が改善し、睡眠の質が向上しただけでなく、「産後うつ」の発症率も有意に低下したことが示されているのです。

アプリ『ライジングかあさん』の画面のひとつ、「行動活性化―こころマラソン」の画面。

アプリ『ライジングかあさん』の「行動活性化―こころマラソン」の画面。

――無理にポジティブになろうとするのではなく、自分の心身の状態を「冷静に客観的に見つめるスキル」を身につけよう、ということですか。

田近准教授:そうです。うつの予防は、「こういう性格だから仕方がない」ととらえるのではなく、脳の認知機能を訓練する科学的なアプローチを実践すれば可能なのです。性格や根性論ではなく、セルフケアの「スキル」を身につけることが予防のカギです。

――「産後うつ」の経験がある読者が、第2回の記事を読んで「妊娠初期に認知行動療法に基づくセルフケアの方法を習得できるの? 産後ナビシステムのイメージ? 迷い道を抜けられる?」と話していました。

豊本特定助教:その言葉には、経験されたからこその実感が表れていますね。『ライジングかあさん』の研究のポイントのひとつは、まだ憂うつや不安を感じていない妊婦さんにも、妊娠中から産後に起こりうる不調を防ぐスキルを提供することです。「あのとき知っていれば」と後悔する人を、1人でも減らしたいという思いがあります。

「いまは大丈夫」と思っている妊婦の皆さんも、こうしたレッスンに早めに触れていただくと、単に病気を防ぐだけでなく、育児という未知のステージを柔軟に自分らしく過ごすためのスキルが身につくと考えています。

産後メンタルケアを「歯磨き」と同じ習慣に

――「産後うつを予防する」という考え方は、日本の社会に根づくべきだと思います。それには何が必要ですか。

田近准教授:メンタルケアを特別なものだと思わないことが大事です。むし歯の予防に毎日歯を磨くように、風邪の予防に手洗いやうがいをするように、心の状態や考え方を自分で毎日メンテナンスすることは当たり前だ、という社会にしたいのです。

今回の研究でアプリという形態を選んだのは、人に言えない不安や憂うつを必死でがまんしようとする人たちが、自分のペースで「心の歯磨き」「心の手洗い」「心のうがい」を続けられる環境をつくりたいからです。

豊本特定助教:その通りです。助産師として、出産準備に「心のケア」が含まれるべきだと思っています。「出産準備=赤ちゃんのため」だけではなく、おかあさん自身の心身をどう守るかをセットで考えたいのです。

これまでメンタルケアといえば、「しんどくなってから受けるもの」というイメージが強かったかもしれません。しかしこれからのスタンダードは、「しんどくなる前に自分で予防する」です。できるだけ積極的に取り入れてほしいと強く思っています。

いまわたしたちが開発中の『ライジングかあさん』のアプリは、そのための実用的なツールになると確信しています。

――そういうことなら、妊娠期・産後うつを心配している人はもちろん、「自分は大丈夫」と思っている人こそ、「最新の予防法」の力を試してほしいですね。その力は単に薬の代替ではなく、新しい知恵の獲得と言えそうです。

京都大学大学院医学研究科などが開発を進める「ライジングかあさん」のリーフレットの一部。画像をクリックで全ページを閲覧、ダウンロードができます。

・インスタグラムの『ライジングかあさん』公式アカウントはこちら
・LINEで『ライジングかあさん』に登録するアカウントはこちら

参考
※1 Tokumitsu, K., Sugawara, N., Maruo, K., Suzuki, T., Shimoda, K., & Yasui-Furukori, N. (2020). Prevalence of perinatal depression among Japanese women: a meta-analysis. Annals of general psychiatry, 19, 41.

※2 『うつ病診療ガイドライン2025』(日本うつ病学会)
https://www.secretariat.ne.jp/jsmd/iinkai/katsudou/data/guideline2025.pdf

※3 Bak, Y., Nah, Y., Han, S., Lee, S. K., & Shin, N. Y. (2020). Altered neural substrates within cognitive networks of postpartum women during working memory process and resting-state. Scientific reports, 10(1), 9110.

(構成・取材・文:朝日奈ゆか/ユンブル

SHARE Facebook Twitter はてなブックマーク lineで送る

この記事を読んだ人におすすめ

この記事を気に入ったらいいね!しよう

<京都大学発③>産後うつを「予防」する…妊娠中から始める、心の筋力を鍛える新習慣

関連する記事

編集部オススメ
記事ランキング