ヒトカラメディア・杉浦那緒子さんインタビュー 前編

バリキャリにも専業主婦にもなれない…「おかん」が中途半端を乗り越えるまで

バリキャリにも専業主婦にもなれない…「おかん」が中途半端を乗り越えるまで

「産むことにメリットってあるの?」口には出しにくいけれど、自由と仕事を愛する女性なら、そんな疑問が頭をよぎることもあるはず。産んでも産まなくてもどちらでも幸せなのはなんとなくわかるけど、現実はどうなのでしょうか。

オフィス移転支援を通じて「働く場」と「働き方」を提案する「ヒトカラメディア」で、おかんと呼ばれる、杉浦那緒子(すぎうら・なおこ)さん。

出産がキャリアにつながると思っていたけれど、仕事も家庭も頑張りすぎて体調を崩してしまいます。「両立なんて無理」と気づいた30代前半と、「境目をなくすとうまくいく」と気づいた30代後半の話を聞きました。

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1年でこんなに仕事の差がつくんだ…

——杉浦さんは、小学生のお子さんの「おかん」だそうですね。現在は38歳とのことなので、出産は20代で。その頃はリクルートで働いていたとか。

杉浦那緒子さん(以下、杉浦):はい。新卒で入った不動産会社からリクルートに転職して、出産の時はマーケティング関連部署にいました。

——仕事も波に乗って楽しい時期かと思うのですが、20代での出産というのは、昔から早く産みたいと考えていたんですか?

杉浦:はい。体力に自信がある方ではないので、以前から早く出産した方がいいと思っていました。ただ、それ以上に「変わる」きっかけがほしかったのかもしれません。

——どういうことですか?

杉浦:大学生の時から、ずっと働き続けると決めていました。だから、就職の基準は何か専門性があって、安定的に働けること。それで、不動産会社に入社したんです。そこに、リクルートの営業さんがよく来ていて、まさに仕事ができる人だったんです。でもある時、年齢を聞いたら社会人1年目で。たった1年でこんなに仕事の技量が身につくんだ!と衝撃を受けたんです。

真っ向勝負では勝てない

——焦りを感じますよね。

杉浦:そう。当時私は26歳で、結婚を考えてたのですが、適齢期だしそろそろって感じで。失礼な話ですが、結婚相手は、年収がそこそこ高くて、安定した会社に勤めていて、誠実でって、“適していること”ばかり査定していました。

——わかる気がします。失敗したくないですもんね。

杉浦:でもやっぱり、そんな考えだと自分から相手の希望に合わせようという気持ちが全く出てこなくて、結局その彼とは別れちゃいました。しばらく結婚もないかなーと思った時に、「自分の身一つで生きていきたい」って強く思ったんです。さきほどのリクルートの営業マンのこともあり、短期間で仕事の力をつけたいと、リクルートに転職しました。

——しばらくは仕事にどっぷりという感じに?

杉浦:そうですね。でも意気揚々と入ったものの、「この人たちには真っ向勝負では勝てない」というなんとも言えない敗北感がありました。新卒で入ってくる人たちも、仕事の技量以前に、生き物として強い!みたいな人たちばかりなんですよ。

——確かに強そうです。

杉浦:この人たちと同じ土俵で同じように勝負すれば確実に負ける。さあ、どうするか。そこで、20代の結婚、出産につながるわけです。役割が変わることで強みが増えると。

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ワーママが自分の強みになると思ったけど…

——なるほど。出産が強みになると思った理由をもう少し具体的に伺えますか?

杉浦:結婚した当時、メディアではママタレントが活躍し始めていました。リクルートには子どもを産んで復職している管理職の女性もいて。それを見て、女性にお母さんという役割が加わるとまた違う、と感じたんです。母親になれば、ターゲットにしている人たちの気持ちがわかるようになる。限られた時間の中で今までとは違った筋肉が鍛えられる。それが、自分がブレイクスルーするきっかけになるかな、と。

——キャリアの中断ではなく、キャリアプランの中に結婚・出産を組み込んだという形ですね。

杉浦:そうですね。こういう言い方は夢がないかもしれないけれど、自分の生存戦略という面があったかもしれません。20代での出産、つまり周りより早いタイミングで産むというのも意味があることになるはずだと。今まで瞬発力だけで戦ってきたけれど持久力や仕事の幅を広げるいい機会だと思いました。

——その戦略はうまく行きましたか?

杉浦:今でこそうまく行ったと思えますが、復職当時は全然ダメでした。というのも、私が頑張りすぎてしまったから。夫が単身赴任中で、妊娠・出産・育休中と完全なワンオペだったんです。復職後も、良い妻、良い母でいようと半ば意地みたくなって、キャパオーバーしてしまいました。気づいた時には体重も40キロを割っていて。もう無理だって、休職してそのまま退職しました。

専業主婦にもバリキャリにもなれない

——そのしんどさっていうのはワンオペ育児が原因ですか?

杉浦:当時、周囲に相談すると「子どもがかわいそう」「そこまでして働かなきゃいけないの」と言われて嫌な思いをしました。だから、他人を頼らず、人の手は借りないと決めてしまいました。「なんでも自分でやらなきゃ」と抱え込んでしまって。でも、専業主婦のようにも、バリバリのキャリアウーマンのようにもなれない。仕事は不完全燃焼で、帰宅したら家は荒れ放題。いつも、中途半端だなという罪悪感があり、子どもと一緒によく泣いていました。

——つらい……。そういうことを聞くと、やはり産むのをためらってしまいます。

杉浦:でもそれは、そんな状態になる前に、人に頼るとか、助けてほしいっていうサインを出せなかったから。性格はそんなに変わらないので、今でも「私が頑張らなきゃ!」って気負ってしまう部分もありますけどね(笑)。 退職という結果は不本意でしたけど、ひとりでやることには限界があること、何よりも体が資本だと気づけたのはよかった。

——明るく話されていますけど、復職後に一番やりたかった部署に配属になったんですよね。

杉浦:はい。退職をする時は、両手から全部こぼれ落ちたという感覚でした。周りは「子どもがいるんだから仕事ぐらいいいじゃないの」と慰めてくれたけど、私と子どもの人生は別。充電期間も、働くことで社会と繋がっていたいという気持ちでいました。そこで週3日の10時から16時までのアルバイトをしながら、1年半くらいかけて体調を整えたり、ファイナンシャルプランナーの資格を取ったりしました。体が慣れてきてから、フルタイムで働いてみて、家庭も仕事も回りそうだなという目処がついて、スタートアップ企業にジョインしました。

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私の32歳も1回しかない

——充電期間には、ファイナンシャルプランナーの資格を取るなどいろいろな勉強をして、2度目の復職は、週3日のアルバイトから始めたそうですね。復職に関して不安はありませんでしたか?

杉浦:私自身、不安はありませんでした。でも復職を決めた時も「子どもがかわいそう」という声はありましたね。でも「この子が3歳の時は1度しかないのよ」と言われても、私の32歳も1回しかない(苦笑)。

お母さんは我慢するのが当たり前って考え方はすっごく嫌なんです。子どもだって、お母さんが自分のせいで楽しくないとかつまらないとか我慢しているって嫌ですよね。それぞれ楽しい気持ちでいられて、一緒にいるとなおハッピーだよねという関係性が健全だと思います。

——「かわいそう」と言われてもね。困りますよね。

杉浦:あれって、外野のセリフなんです。当事者だったら「かわいそう」で終わらない。それによくよく聞いてみると、自分は我慢をしてきたからあなたも我慢しなさいって気持ちも隠れているんですよね。でも、我慢は努力じゃない。ただ戦わなかっただけ。私は戦いたいなって思います。

——その一つが働き続けること?

杉浦:はい。たとえば自分の生活や世の中の仕組みに納得いかないことがあって、変えたいと思った時に、働いているとそのチャンスを得やすいし、声も上げやすい。何か社会に作用できるのは、仕事をしている方が実現しやすい。

——なるほど。そして現在の職場と出会うわけですね。次回は現在の働き方について聞かせてください。
*次回は1月24日(水)公開予定です。

(取材・文:安次富陽子 撮影:面川雄大)

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