50 to 100 13冊目

『竜ちゃんのばかやろう』を読んで思い出した、肉親を失ったときのこと

『竜ちゃんのばかやろう』を読んで思い出した、肉親を失ったときのこと

50代から100歳以上の著者の本から人生後半のA to Zを考えてみる本連載「50 to 100」。

13冊目に紹介するのは、ものまねタレントの広川ひかるさんが、本名の上島光で上梓した『竜ちゃんのばかやろう』(KADOKAWA)です。

「自分勝手だけどキュートで繊細だった、私の大切な旦那様の話を、記憶がなくならないよう、忘れないよう、思い出をかみしめながら書き記しておこうと思います」と、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんについて、長年共に過ごしたパートナーの愛情深い視点で綴られています。

作家の南綾子さんは本書を読んで、「書いて癒されることがある」と自身の体験を重ねます。

悲しみと怒りの気持ちがせめぎあう

二人が結婚したのは1994年の10月22日。ダチョウ倶楽部はまさに人気絶頂期だった。学校の授業で抜き打ちテストなどが実施されると、彼らの大ヒットギャグ「聞いてないよォ」の大合唱がはじまって教師がブチ切れるという事案が、日本全国の小中学校で頻発した。わたしも当時、中学二年生。テレビっ子だったので、本書の中に出てくる24時間マラソンのことも、二人の結婚発表のときのこともはっきり記憶にある。

この「50to100」では毎回担当さんが企画趣旨にあう本を選んで送ってくださるのだが、本書はわたしからとりあげたいと申し出た。光さんの身におこったことが、どうしても他人事とは思えなかったのだ。それは単に自分も中学生のときに「聞いてないよォ」とふざけて言って教師にしかられた経験があるからではない。わたし自身も実は、いわゆる自死遺族だからである。

とはいえ、わたしが亡くしたのはもう何年も離れて暮らしていた肉親で、長年連れ添った配偶者を失った光さんと全く同じ立場とは言えない。それでも、本書にはわたしも経験したさまざまなこと——死の直後は悲しみと故人に対する怒りの気持ちがせめぎあうこと、弔問にきてくれた友人たちが悲しんだり泣いたりする姿を見るのがつらかったこと、葬儀後のもろもろの手続きが面倒くさいこと——が記されていて、当時を生々しく思い出しつつ、竜ちゃん(ダチョウ倶楽部の上島竜平さん)を見送ってから今日まで、進んだり引き返したり、遅い歩みであっても必死に前をむいて生きていこうとする光さんのたくましさに、励まされた。

“何にもしたくない、どこにも行きたくないのが本心ですが、自分が寿命を全うするときに、竜ちゃんのせいでつまんない人生だったと思いたくないのです。”

光さんは本書の最後のほうでこう語っている。この心境にいたるまでには、もしかしたら竜ちゃんの死を”書く”という経験の影響も大きいのではないか、とわたしは読みながら思った。

きちんと人前で泣いておかないと、後々まで引きずるよ

本書では亡くなる前後のできごとがかなり詳細に、生々しく書き出されている。書いているときの光さんの心情を思うとなんとも胸がつまるが、わたし自身も、肉親の死をかつて自分の小説の中のエピソードの一つとして書いたことがあった。

書いているときは当時のことを思い出して暗い気持ちにもなったが、すべて書き終えてみると、一つの区切りをつけられたような、過去の出来事として少しそこから前進できたような心持ちになった。

わたしは遺体と対面してから火葬を終えるまで、なぜかほとんど泣けなかった。通夜の席で冗談を言ったり、葬儀場の従業員と軽口をたたいたり、終始へらへらしていた。そんなわたしを見て、母がぽつりとこう言った。

「きちんと人前で泣いておかないと、後々まで引きずるよ」

母は十代の頃に妹を白血病で亡くしている。亡くなったとき、実感が伴わずにちっとも泣けなかったらしいのだが、何カ月もたって学校の先生に「妹さんのことは大変だったね」と声をかけられた瞬間、どっと悲しみがこみあげて大泣きしてしまったという。その経験はたぶんとてもつらいもので、だから今のうちに現実をうけとめて泣いておけ、と言いたかったのだと思う。

ところがわたしは火葬が済んでもあんまり泣けず、そもそも肉親の死という現実から目をそらし、すぐに日常生活に戻ろうとした。なんだか何日たっても他人事のようだったのだ。そんなわたしにとって、泣くことのかわりとなってくれたのが、書くことだった。

私が、書くことを薦める理由

結婚式のスピーチに「人生には三つの坂がある」という定番ネタがある。「上り坂、下り坂、そして最後の三つ目は”まさか”です」というしょうもない、しょうもなさすぎるダジャレである。しかし、ある日突拍子もないタイミングで、まさか——例えば突然の家族の自死——がやってくるのが人生であるのも、また事実。

本書は実店舗でもネット書店でもかなり売れているようだ。なぜ彼が自死したのか、彼の周りにいた有名芸能人のことはどのように書かれているのか、などといった、ちょっとした野次馬根性気分で本書を手に取った人もいるのだろうか。

そういう人はもしかしたら、まだ“まさか”出現前の幸福な人かもしれない。しかしそういう人こそ、光さんの語りを読んで、まさかの準備をしておくのもいいとわたしは思う。

そして、実際にまさかに遭遇したとき、もし悲しみを受け止めきれなかったら、光さんのように細かいところまで書き出してみることをお勧めしたい。手書きの日記でも非公開のSNSでもなんでもいい。もちろん不特定多数の人に読んでもらうというのもアリだと思う。

コツは端折らず、できる限りすべて書き出すこと。人に話すのとは違い、書き出すだけなら時間も分量も気にしなくていい。とにかく思い出せる限りのことを書いて、自分の気持ちを丹念に追ってみることが重要だ。泣いたり怒ったり感情を発露するのでも、詳細に書くことでも、自分で自分に納得する方法を持っておけるといいのではないか。

それで何かが解決するわけではないけれど、何かが少しは改善するかもしれない。もちろん、今、苦しみの最中にいてどう受け止めていいのかわからない、という人も、書くセラピーを一度試してもらいたい。

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