【今週のボヤき】
休日はネイルサロンや整体に行っているのですが、おしゃべりが苦痛です。普段は営業と言うか、人の話を聞く仕事をしているのですが、そのせいか仕事以外のときや休日は友達や親しい人以外と話したくありません。でも、話しかけられると職業柄、ついいろいろ受け答えてしまったり、相づちをうったりしてしまいます。
これはサロンに限らないのですが、職場でもプライベートのことを根掘り葉掘り聞かれるのが苦痛です。おそらくプライベートのことを話せば距離が縮むと思っているのかもしれませんが、友人以外にプライベートのことを話したくありません。
これからは初めてのお店に行ったときはカウンセリングシートに「話したくない」と書こうかなと思っております。お店だってサービスの一環で客に話しかけているのかもしれないし、職場でも雑談の一環としてプライベートのことを聞いてくるのかもしれないですが、話していて居心地がいいなと思うのは、距離を無理に詰めてこない人です。私も人と話すときはそれを心掛けています。彼らにちゃんと相手を見てほしいというのは過剰な要求でしょうか?
そんなに頑張らなくていいのに…
違和感のあるコミュニケーションをする人って、単純にコミュニケーションが下手くそなんですよ。
例えば初めていく美容院で「いらっしゃいませこんにちは、ところで年齢はおいくつですか?」と突拍子もなく聞かれても「え? なんで?」と違和感しかないじゃないですか。
それほど喋ったこともない同僚にいきなり「休日は何をしているんですか?」と突拍子もなく聞かれても「なに? なんなの?」としか思えないじゃないですか。
「ご結婚は?」と聞かれて「はい、していますよ」と正直に答えてやっても「へえ、そうなんだ」としか返せない人とかも「話を振ったら少しは膨らませろよ……」と思うじゃないですか。
何がイヤかって「私は頑張って沈黙を埋めていますよ、あなたと仲良くなるために努力をしていますよ」という感じが全身から出ちゃっているのがイヤなんです。
そんなけなげで真っすぐな努力と根性を見せられたら、こっちも人として付き合わなきゃならないじゃないですか。
それを無視して拒絶していたら「気難しい偏屈ガンコBBA」になってしまうじゃないですか。
でもこちらも海千山千を越えてきた「接客を伴う飲食店の女神」ではないので、必ず会話と会話の間に予期せぬ沈黙が生まれてしまうじゃないですか。
お互いが最初から沈黙を容認していれば、沈黙なんてお互いにとって心地の良いものにしかならないのに、二人で力を合わせて粉骨砕身一生懸命に沈黙を埋めてきたにも関わらず、突如として生じてしまったこの沈黙の重さたるや、この気まずさたるや、この恥辱たるやという話なんです。
たった3秒の沈黙なのに、人類が滅亡したかのような荒廃の世界観になってしまうのがもうたまらなく耐えられないんですよ。
どちらか一方がコミュニケーション能力に秀でていれば問題はないのですが、両者共にコミュニケーション能力がポンコツだと地獄のような沈黙が生まれてしまうんです。
その地獄の沈黙をつくらないためにも「お願いだからほっといてくれ」と我々は思ってしまうわけですね。
コミュニケーションに大切な「喋らない技術」
無理に距離を詰めてこない人って、沈黙を容認してくれるんです。
その沈黙が心地良いから、心が緩んでポツリポツリと自然に言葉を交わすようになり、そしていつの間にかプライベートなことも話し合える関係になるんですよ。
心地良いコミュニケーションの第一歩は「沈黙の共有」から始まるものですからね。
本当は「喋らない技術」というのがコミュニケーション能力には大切なんですよ。