音楽劇を柱に描かれる身分と立場を超えた友情 小泉今日子の念願「ピエタ」開幕 

音楽劇を柱に描かれる身分と立場を超えた友情 小泉今日子の念願「ピエタ」開幕 

小泉今日子×ペヤンヌマキで念願の舞台化

小泉今日子念願の舞台、『ピエタ』が7月27日東京・下北沢の「本多劇場」にて開幕した。

17世紀から18世紀にイタリアで活躍した作曲家アントニオ・ヴィヴァルディを取り巻く女性たちを史実に基づいて描いた、大島真寿美の小説の舞台版である。

2020年に上演を予定していたが、新型コロナウイルスの影響により中止となった本作は、朗読の公演を経てやっと披露されたという経緯で、プロデュースの小泉が主演のエミーリアを引き受ける形となった。脚本と演出はブス会のペヤンヌマキが担当した。これは小泉のオファーだったという。

物語の舞台はイタリア・ベネツィア。客席に着くと開演前からすでにチェンバロの演奏(江藤直子)が静かに始まっている。さらに舞台には段差を設け、木のゴンドラを模したセットが組まれている。作曲家ヴィヴァルディをイメージさせるためか、舞台後方のゴンドラの手すりは楽譜、五線譜に見える。白いカーテンとともに出演者たちも一様に白を基調とした衣装で、木目の茶色と白の統一されたイメージに仕上がっている。

また、水の都の環境音として、舞台開演間際にはチェンバロの音色に加えて、ゴンドラを漕ぐ際に水面に立つ水音がBGMに加わる。水の都、水路を交通のメインにしたベネツィアを、こうした音でよりよく表現されている。

そしてヴィヴァルディの代表曲「四季」から「春」が演奏され開演の時を告げる。幕開けに最適な選曲と言えるだろう。これも音楽監督である向島ゆり子が構築したヴィヴァルディの世界観が行き届いた演出だ。舞台奥の上部にロフトのような演奏場が組まれており、そこでチェンバロ(江藤)、ヴァイオリン(向島、会田桃子)が舞台の進行とセリフに合わせて演奏を重ねていく。向島は時にヴィヴァルディの面影としても存在し、そこに“いる”ことの重要性をさらに重ねている。こうした舞台上での演奏はオペラの演出手法で、演奏者が出演者として、またセットの一部として存在することができ、録音された音楽が流されるよりはるかに臨場感がでる。『ピエタ』はまさに音楽劇である。

音楽劇で描かれる身分と立場を超えた友情

物語は、孤児の養育や音楽教育を施していたピエタ慈善院で育ったエミーリア(小泉)やジーナ(高野ゆらこ)、ピエタで音楽を教わっていた貴族のヴェロニカ(石田ひかり)が、身分の違いや立場が変わっても、それぞれに少女時代からの友情を大人になっても変わらず持ち続けている姿が描かれる。

ヴィヴァルディから音楽教育を受けた実在のプリマドンナ、ジロー嬢(橋本朗子)が実際に舞台上でアリアを歌い上げる。ソプラノ歌手として活躍する橋本が舞台の真ん中に立った姿はプリマドンナとして抜群の存在感を放った。あれだけ歌えるのだから、マイクを通さず、生の声だけで聞きたいと思ったほどだ。

また、こちらも実在するヴィヴァルディの愛弟子ヴァイオリニスト、アンナ・マリーア役に抜擢された会田は、ヴァイオリンの劇中演奏だけでなく、複雑な事情を持ちながら巧みに人間関係の潤滑油として立ち回る難役を、柔らかな物腰で演じている。また自身に登場のないシーンでは、ロフトの演奏場からヴァイオリンを奏で、時にウィンド・チャイムを担当する。チェンバロ江藤とヴァイオリンの向島、そして橋本と会田、この四人の音楽家の存在感が、ヴィヴァルディを取り巻く音楽劇としての柱の一つとなっている。

もう一つの見どころは、ヴィヴァルディの元恋人で高級娼婦クラウディア役の峯村リエである。ヴィヴァルディが遺したある楽譜を探しはじめるエミーリアとヴェロニカが、クラウディアのところにたどり着く。ヴェネツィアの夜の社交界、仮面舞踏会が繰り広げるシーンも加えられ、華やかで充実した場面となった。当時、上流階級の男性を相手にする仕事として教養や知性も求められる一方で、決して表の関係になれないクラウディアの気高さと同時に存在する悲哀を峯村はまっすぐ大きく表現した。身分の違う女性たちの友情のありかを、クラウディアの存在が結びつけていく様は、この舞台の核である。

さらにジロー嬢の姉バオリーナを演じる広岡由里子とヴィヴァルディの妹ザネータ役の伊勢志摩の掛け合いは素晴らしく、日常会話をコミカルにやりとりし、全体的に柔らかなトーンの脚本にあって、ひととき笑いのエッセンスを添えるシーンを作った。

小泉演じるエミーリア、高貴で素直なヴェロニカ(石田)を中心に、女性たちが立場や背負うものの違いを超えて、相手の立場と思いに気づいていく物語は、「娘たち、よりよく生きよ。」というモチーフに帰結し、熱く柔らかに、そして力強い終幕を全員が彩った。

ただ、段差と奥行きを出した舞台セットが最終シーンの全員が並ぶ姿を丁寧に見せる効果につながった一方で、舞台中央の段差をまたぐように歩きながらセリフを言う際に、どうしても一瞬足元を気にするあまり、セリフへの集中力がそがれるのは残念だ。これから舞台回数が重ねられ、改善がなされることを願う。

(音楽プロデューサー・渋谷ゆう子)

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