サムソン高橋×ジェーン・スー対談・第2回

もう50代? 始まってもないのに「しまい方」なんてわからない【ジェーン・スー×サムソン高橋】

もう50代? 始まってもないのに「しまい方」なんてわからない【ジェーン・スー×サムソン高橋】

「ジェーン・スー対談」
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コラムニストのジェーン・スーさんが会いたい人と会って対談する企画。今回のゲストは、能町みね子さんと「夫婦(仮)」として共同生活を送り、最近は『私みたいな者に飼われて猫は幸せなんだろうか?』(著:能町みね子、写真:サムソン高橋)も上梓したゲイライターのサムソン高橋さんです。全3回。

「とにかく社会の歯車になりたいって思っていた」

ジェーン・スーさん(以下、スー):サムソンさんはもともとは鳥取のご出身ですね。

サムソン高橋さん(以下、サムソン):スーさんは文京区育ちですよね。『私がオバサンになったよ』読んでうわーって思いました。軍パン履いてアフロでフェリス女学院ですって。当時「CUTiE」に載ってたCHIEKO BEAUTYっぽい。

スー:その世代ではありますけど、違う違う。そういうのを指をくわえて見てたCHIEKO BEUATYワナビー。

サムソン:うちは典型的なダメな親でしたからね。

スー:どうダメだったんですか。

サムソン:単純に働かない。

スー:あー、ベーシックな。

サムソン:はい、本当にベーシックなダメな親で。親が働かなくて、お母ちゃんが主に家計を支えているんだけど、お父ちゃんは働かない、暴力を振るう、ギャンブル狂。

スー:西原(理恵子)さんの話みたいだ。

サムソン:西原さんはお金にしたからいいですけど。

スー:お金にしないんですか?

サムソン:お金にするほどの能力も努力する精神力もない。

スー:東京に出てきたのは大学?

サムソン:ワンクッションあって、大学は大阪でした。

スー:大阪から東京に出てくるのがいくつの時ですか?

サムソン:話すと長くなるんですけど、わたくし親がそんな感じでしたからサラリーマンになるのが夢だったんですよ。普通に企業で働いて、お給料をもらいたい。とにかく社会の歯車になりたいって思っていた。

スー:努力したがらないのは子供の頃からですか?

サムソン:そうそう。でも自分がゲイというのはわかっていたから、その辺ですでにずいぶん外れているので社会的にはレールの上から外れたくなかった。大学を卒業する頃はバブルだったし、卒業さえすれば大丈夫って思ったのに卒業できなかった。

スー:そこで引っかかってしまいましたか。

サムソン:真面目系クズって一時流行りましたけど、マジそれなんですよ。お勉強でもマークシートを塗りつぶすのは成績いいけど、自由研究とかができない。自主的に何かをするというのがね、大学のレポートとか。それでレールからゴロゴロと落ちた。

スー:除籍ですか。退学ですか。

サムソン:大学には9年くらいいましたからね。

スー:除籍のパターンですね。でもそこから東京に来て編集者になるわけですよね?

サムソン:「SAMSON」というゲイ雑誌があって、そこに投稿してたんです。そうしたら「面白い文章書くじゃない、編集部に遊びに来ない?」って。

スー:面白い人がちゃんとフックアップされる時代があったんですよね、かつて。

サムソン:大学辞めて自堕落なひどい生活をしてたので、「そんなんだったらうちで働いたら?」と言われて東京に来ました。

スー:「キミ面白いね、書いてみなよ」なんて、今ほとんどないですよね。

サムソン:あるとしたら「安く使う」という魂胆しかない。

スー:それはフックアップじゃない。

サムソン:90年代後半頃、日本が貧しくなったって言われましたけど、今から考えたらあの頃はまだ元気ありましたね。

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