『新しい出会いなんて期待できないんだから、誰かの恋観てリハビリするしかない』(ポプラ社)の刊行記念トークイベントが2021年12月21日に、三省堂書店有楽町店(東京都中央区)で行われました。
同書は、コラムニストのジェーン・スーさんと、音楽ジャーナリストの高橋芳朗(たかはし・よしあき)さんによる対談エッセイ集。ラブコメディーを愛する2人が、映画34本を語りつくした内容で、“自分の人生”を突き進むヒロインたちに励まされる一冊です。
そんな2人が、おすすめのラブコメディーについて熱く語ったトークイベントの様子をお届けします。
【関連記事】渡辺直美から「私なんて…」が口癖の貴女へ『アイ・フィール・プリティ! 』の魅力
ラブコメを愛してやまない2人の出会いは…
ジェーン・スーさん(以下、スー):ようやく本が出ましたね。私と芳くんは、20年くらいの知り合い?
高橋芳朗さん(以下、高橋):そうですね。20数年ですね。
スー:そんな私たちが、10数年前に、お互いラブコメが好きだということが分かりまして。
高橋:スーさんがmixiで日記を書いてたんですけど、ほとんど和製『セックス・アンド・ザ・シティ』みたいなすてきなコラムで。それで声を掛けたのがきっかけになってラブコメの話をするようになったのかな。
スー:ラブコメが好きな人が、周りにいなかったんですよね。今よりももっと、ラブコメの社会的地位が低くて、「女子供が見るものだ」っていう印象が強かったし。それで、「2人で話そうよ」って言って、月に1回くらい集まって、ラブコメの話をしたり、ラブコメを考えたり。楽しかったよね。
高橋:そうそう。ラブコメを話すだけじゃ飽き足らなくなって、脚本も考えて。
スー:元々、私の頭の中にあったラブコメを芳くんに話したら、「これはもっとこうしたほうがいい」「そこはこうじゃない?」って。どこにも出すとこないのに(笑)。『ジョナサンを探して』っていうタイトルなんですけど。
高橋:『ジョナサンを探して』は僕らの長年にわたるラブコメ研究の賜物(たまもの)と言っていいだろうね(笑)。
スー:この本では、芳くんとラブコメについて話してるんだけど、基本的にものの見方の話をしているつもりです。「この監督はこうだ」「この俳優さんはどうだ」とかじゃなくて、「作り手は何を言おうとしてるのか」「この作品とこの作品を合わせると、こんなふうに透けて見える」とか。
この歳になって、世の中にあるもの面白いと思えるかどうかって、ものの見方のバリエーションをいくつ持ってるかの話なんだなと思うようになりました。それで人生を楽しめる度合いが変わってきたので、この本でものの見方のひとつを提案できたらいいなと思ってます。
ラブコメの真髄は「適度なご都合主義を楽しむ」
高橋:ラブコメの魅力を語るにあたって、まずは僕らが提唱する「ラブコメ映画 4つの条件」をご紹介しておきましょう。「1、気恥ずかしいまでのまっすぐなメッセージがある」「2、それをコミカルかつロマンチックに伝える術を持つ」「3、適度なご都合主義に沿って物語が進む」「4、『明日もがんばろう』と思える前向きな気持ちになる」。以上の4つ。
スー:ラブコメ映画では、キャラクターの深淵な描写とかいらないと私は思っていて。「悪いやつが実はすごい複雑な家庭環境で育ってきた……」とか、そういうのはいらないんです。悪いやつは悪いやつ、良いやつは良いやつでいい。
高橋:とにかく話が早いよね。ラブコメ映画はテンポ感が命だから。
スー:頭を打って異世界に行ってしまうラブコメの主人公、ビックリするくらい存在するもんね。
高橋:5本に3本は頭を打ってる。さらに言うと、5本に4本は舞台がマンハッタン(笑)。
スー:そう。ラブコメ映画って、『火曜サスペンス劇場』みたいなものなんじゃないかと思っていて。着地が基本的に決まっていて、何をやるのかも決まっている。でもラブコメ映画のタチが悪いのは、映画のポスターを見ただけで、誰と誰がくっつくか分かっちゃうところ。犯人がポスターになってるサスペンスみたいなものです。こんなネタバレの激しいジャンルはないですよ。だからこそ、その2人をどうやって出会わせて、どんな流れを経てどうやってくっつけるか。そこが制作陣の腕の見せどころになるんです。
高橋:適度なご都合主義が肝になってくるんですよね。あくまで「適度」であって、ご都合主義がすぎると白けてしまう。そのさじ加減が結構むずかしくて。スーさんのお話にもあったように、ゴールが分かっている状態でそこにたどり着くまでのロードマップを楽しむのがジャンル映画としてのラブコメの醍醐味(だいごみ)と言っていいと思う。
スー:本には史上最高のご都合主義ラブコメ映画も入ってるよね。『ニューヨークの恋人』っていう作品。メグ・ライアンがニューヨークに住んでるキャリアウーマンで、人生に疲れていたら、16世紀から白馬に乗った理想通りの王子様が現れるっていう話で。これ、男女が逆だったら、間違いなく大炎上だけどね。
高橋:そういう映画もライフワークとしてラブコメを見てきた側からするとぜんぜん楽しめちゃうんですよね。
スー:余裕ですね(笑)。つまり、同じジャンルのものをたくさん見ると、ひとつひとつに腹を立てなくて済むようになる。どんな作品も楽しめるようになるとも言えます。ラブコメじゃなくても、何かジャンルを決めて見ることで、浮かび上がってくる太い線みたいなものがありますからね。
ラブコメを見比べることで“気づき”がある
高橋:「ラブコメ最前線」を代表する作品としては、『アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング』がおすすめ。これはまさにラブコメの様式美にのっとった映画で、主人公のレネーが頭を痛打することから話が転がっていく(笑)。そのレネーは自尊心がめちゃくちゃ低い女性で、なんとか自分に磨きをかけようとジムでエクササイズに励むんだけど、サイクリングマシンから転落した拍子に頭を打ってしまって。それによって自分が絶世の美女に見えるという暗示にかかるという。
スー:これと対で見てほしいのが、『愛しのローズマリー』。主人公のハルを演じるジャック・ブラックが、心のきれいな女性が美人に見えるという催眠術にかけられるんだけど、グウィネス・パルトローが心がきれいな体の大きい女性を演じていて。ただ、特殊メイクで巨体になったグウィネス・パルトローと、「美人」になった普段通りのスリムなグウィネス・パルトロー、その両方を映像で出しちゃってるんですよね。だから、美醜の基準がかなり固定されてしまう。
だけど、『アイ・フィール・プリティ!』は、頭を打って自分が絶世の美女に見えるようになった話。主人公のエイミー・シューマーは鏡を見て「これ見て! 私すごい!」って言うんですけど、それがどういう状態なのか、一切視覚的な描写が出てこないんです。それに、「細くなった」「彫が深くなった」「髪が伸びた」とか、具体的なことも一切言わない。だから、どういう状態が「美しい」とされるかが固定されない。監督と脚本家はよく考えたなって。
高橋:そうだね。外見はそのままだからね。
スー:「彼女の目には彼女がどう見えているのか?」っていう映像が、一切出てこないわけです。だから、固定された美の定義が、私たちに植え付けられないんですよね。そこが『愛しのローズマリー』とは大違いのところ。
高橋:自己肯定感を高めたエイミー・シューマーがどんどん人を惹きつけていくさまがとにかく痛快で。
スー:そうそう。見た目は変わってないのに、すごく魅力的に見える。それは、彼女が自信を持って振る舞っているからなんですよね。映画だから撮り方とかあるし、化粧とかもできるでしょ?って思う人もいるかもしれない。だけど、それだけではないんです。『愛しのローズマリー』では、世の中で言うところのド美人が何人か出てくるんですが……。ここから先は作品を観て、本を読んでもらったほうがいいかな。
「好きか嫌いかしかない人生はつまんない」
スー:意外と、20年とか30年経ってても強度が落ちてない作品もあるんだよね。
高橋:そうなんですよ。『キューティ・ブロンド』や『ラブ・アクチュアリー』はもう公開から20年経ってる。
スー:『ブリジット・ジョーンズの日記』も公開からかなり時間が経ってるよね。ズボラな生活を送る等身大のアラサー女性のライフスタイルをありのまま、まあちょっとデフォルメはあるけど、描写したことがこの作品の存在意義。そこに新しさがあったんだなって。
高橋:ラブコメの歴史を丁寧に追っていくと『ブリジット・ジョーンズの日記』の革新性がよく分かりますよね。
スー:良くも悪くも、いまの日本の心情的にピッタリなのは、アメリカだと2008年、2009年、2010年くらいのラブコメ映画なんだよね。「分かる! こういう上司いたよね」とか。
高橋:うんうん。当時の作品では『理想の彼氏』や『恋とニュースのつくり方』が意外な掘出し物。このへんがいましっくりくるラインなのかもしれないね。
スー:過去の作品にはもちろん政治的に正しくない表現がないわけではないけれど、駄作だろうが何だろうが、ある種のフォーマットに沿って見ていくと、「何が余計なのか」「何が足りないのか」が分かってきて、違う楽しみ方ができる。好き嫌い以外の楽しみ方ができるって、有意義だと思います。
例えば、カレーばっかり食べてたら、「どこのカレーがどうおいしいか」が分かるみたいなことと一緒だと思うんですけど。たまにしかカレーを食べないと、好きなカレーと嫌いなカレーだけになっちゃうじゃないですか。でも、いろんなカレーを食べてると、「自分に合うのはこういう味だけど、ここはこういう感じだな」って、違う楽しみ方ができるじゃないですか。
高橋:『プラダを着た悪魔』のスーさんの切り口は、いまの話にも通じるよね。一般的にはお仕事ものとして語られる映画だけど、これをアンディとミランダのラブストーリーとして解釈したのは目から鱗だった。
スー:私はそういうやり方が一番楽しいなと思ってて。この本で、そのお手伝いができたらいいなと思ってます。
“今の気分”にピッタリなのは『モダン・ラブ』
スー:俳優陣で言えば、なぜメグ・ライアンとドリュー・バリモアがラブコメ映画のプリンセスかって言うと、親しみやすさがハンパないんだよね。クシャッとした笑顔で。
高橋:笑顔一発で持っていくからね。
スー:その前はジュリア・ロバーツだったんですよ。彼女がだんだん大物になって、ラブコメ映画には出なくなったんだけど。ドリューの次の世代は誰でしょうね? 意外と出てきてないんだよね。
高橋:ラブコメや学園映画をひとつの登竜門として台頭してきたのは、アン・ハサウェイやエマ・ストーンが最後かもしれないね。
スー:確かに。ただ、時代が変わってきてるので、台本の粗を俳優の笑顔でカバーするのは、もう効かないと思うんですよ。これからは「サタデー・ナイト・ライブ」系に出てる女性コメディアンが、ますますラブコメ映画に進出してくるんじゃないかな。エイミー・シューマーもそうでしょ? 日本で言ったら、ゆりやんレトリィバァさんが、月9のヒロインになるみたいな。
高橋:これは映画ではなくドラマになるんだけど、ラブコメディの今後を占う作品としてはAmazonプライムで配信してるジョン・カーニー監督の『モダン・ラブ』が必見。人種問題やLGBTQなども積極的に取り入れた、まさにラブコメの可能性を考えるのにうってつけのドラマシリーズだと思う。一話完結のうえ1エピソード30分程度のコンパクトさで、このぐらいの尺でさくさく観ていくのがまたいまの気分なんだろうな。
スー:「ニューヨーク・タイムズ」に送られてきた読者投稿を基にしてるから、結構リアリティもあって。
高橋:アン・ハサウェイやティナ・フェイも出演しているシーズン1に比べてシーズン2がいくぶん地味になっているのは否めないんだけど、お話のクオリティ自体はまったく引けを取らないのでぜひ全シーズン完走してほしい。『ビフォア・サンライズ』をオマージュしたエピソード「ダブリンの見知らぬ乗客」なんて本当に最高だから。
スー:あと、日本で広く知られた現代ラブコメ作品で言ったら、『逃げるは恥だが役に立つ』とか『きのう何食べた?』とかかな。
高橋:個人的には『古見さんは、コミュ症です。』も現代ラブコメとして推しておきたい。まるで『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』の高校でラブコメをやっているような、すごくいまっぽいお話だと思う。
スー:『逃げるは恥だが役に立つ』という金字塔がドンと建ったあと、これからどうなっていくのか楽しみですよね。