最近、学生時代の友達(30代後半)と会うと「下の世代や後輩への指導の仕方がわからない」という話で盛り上がります。私たちはどちらかと言うと昭和ゴリゴリの世代に育てられた世代で、今から考えると「あれってパワハラ・モラハラだったのでは?」と思うことも多いです。(もちろん、みんながみんなそうだったわけではないですが……。)
だからこそ「下の世代には同じことをしないようにしよう」と思うのですが、何か言ったりするたびに「これは言い過ぎかな?」「ここまで踏み込むのはやりすぎなのでは?」というアラートが鳴って後輩や新人に指導するにもつい遠慮がちになってしまいます。
この前もみんなでひとしきり盛り上がったあと、「そもそもZ世代がって言うけれど、世代って考え方も古いのかもね」と誰かが言って「まあそうかもね」と結論が出ないまま会はお開きになりました。昭和と令和の世代に挟まれた私たちにアドバイスをいただきたいです。
「世代」で括るのはもう限界?
「男子は丸刈りであれ、女子はおかっぱであれ』みたいな、量産型を製造する画一的な教育を受けていた時代なら、「ナントカ世代」と一括りにして傾向や対策を考えてもあながち間違ってはいなかったのかもしれませんが、今は多様化が進んでいる時代ですからね。
オタクは「我輩はオタクである」と大手を振って歩いているし、ぼっちちゃんも市民権を得て奇人変人扱いは受けていないし、性的マイノリティの若者なんてもはや珍しくないほど街に溶け込んでいるし、もちろん昔ながらの体育会系な陽キャ共も健在で、各々が自分の個性に合った細分化した文化の中で生きているので、もう「ナントカ世代」と一括りにするのは無理があるんじゃないかと私は思っています。
世代別ではなく個人別で見てあげて
例えば、Z世代はソーシャルネイティブと言われていますが、ラインが苦手な子もいればSNSのアカウントを放置している子もいます。
どうかすれば昭和のおじさんのほうがSNSも活発に更新していて、ラインで日夜スタンプを連打したりしていますからね。
一概に「Z世代はソーシャルネイティブ」とは言えないんですよ。
いわゆる「ゆとり世代』と呼ばれた人たちならわかると思うのですが、身に覚えのないレッテルを貼られるのって、無性に腹が立ったりしませんでした?
同じ時代に生まれたという理由だけで、ひとつの箱に押し込められ、身に覚えのない偏見を受け、一山ナンボで扱われてしまう。
その人たちは「世代」を見ているだけであって、誰も「私」を見てくれない……。
どこかの知らんおっさん共が膝を突き合わせて勝手に作った偏見をものさしに見られるのって、個性を否定されているようで、それこそハラスメントに似た憤りを感じた人も少なくないと思います。
その悲劇を繰り返さないためにも、もう「ナントカ世代」と若者を一括りにする文化は終わりにしてもいいんじゃないですかね?
ひとりひとりの個性を看破して、世代別ではなく個人別で、指導方法も画一的なものではなく、各々に合わせて多様化していくべき時代なんじゃないでしょうか。