【今週のボヤき】
先日、前に勤めていた会社の上司と久しぶりに会いました。仕事がとてもできて尊敬できる人です。後輩への指導のことや人間関係についての愚痴を一通り聞いてもらった後、彼が一言。「会社に文句を言ったり意見を言ったりするのは人の倍以上働いてやることをやって結果を出してからだよ」と。確かに彼の働きぶりを見ていれば「その通り」と納得せざるをえません。私もああだこうだと悩むのはやめて自分がやるべきことに専念しようと思いました。あおいさんの意見も聞きたいです。
愚痴を言い続けてしまう理由
愚痴というのは「自分は悪くない」という主張なんですよね。
ですので愚痴を言う相手に求めているのは同意だけ、「自分は悪くないんだ」と同意してもらい安心したいだけなんですよ。
でも安心するだけで、自分は何も変わらないんですよね。
自分は悪くないんだとただ安心しただけで、自分は何も変化しないんです。
自分が変わらなければ何も問題は解決しないので、愚痴を言う人は同じような愚痴をずっと言い続けるようになるんですよ。
「愚痴」と「相談」の違いは?
相談というのは「自分はどうしたらいいのか」という問題解決のための悩みなんですよね。
それは善悪の問題ではなく現状を打破したいというメッセージで同意は求めていないんです、自分が変化するためのアドバイスを求めているんです。
叱咤激励、異論持論、その人の価値観に触れて変化したいという思いが込められているもので、愚痴と違って相談は建設的な話し合いになるんですよね。
ですので相談をする人は環境に応じてどんどん変化していき、社会人として、または人として成長していくものなんですよ。
「我慢強い」は致命的な欠点
不平不満をただ我慢して飲み込んでしまうのはストレスの定期預金、いずれ満期になったときに暴発暴走してしまう原因になってしまいます。
「我慢強い」というのは利点ではなく致命的な欠点です。
ストレスを溜める受け皿が大きければ大きいほどいずれ暴発暴走したときに取り返しのつかないことをやってしまいますからね。
不平不満は我慢するのではなく上手に外に出してあげることが必要なんですよ。
「愚痴」は「相談」に変換しよう
大事なのはアウトプットの手段、愚痴ではなく相談にして外に出すこと。
それがストレスを自分の成長へつなげる手段になります。
愚痴を言う相手に敬意はいりませんが、相談をする相手には敬意が必要。
尊敬できる人がいたことに感謝するように。
愚痴を相談に変えてくれる人なんてなかなかいませんからね。