ウートピ読者のみなさん、はじめまして。柴田麻衣です。都内のIT企業に勤めるフツーの33歳の会社員です。ちょっとフツーじゃないところを言えば、通勤時間が片道1時間45分ということでしょうか。長いですよね(苦笑)。
この通勤時間の理由は、2016年11月、逗子に一軒家を建てて、夫と2人で移り住んだから。
「逗子に家を建てました」と話すと、多くの人が「すてきな場所だね」「オシャレ!」と言ってくれます。これは、雑誌で特集される海沿いのカフェや、鎌倉を舞台にした人気ドラマのおかげ。
その一方で、「都内まで通勤するのは大変じゃない?」「東京でマンションを買った方が便利なのになぜ?」と不思議そうな顔をされることもあります。
逗子で生まれ育ったわけでもなく、親しい友人や親戚が逗子に住んでいたわけでもない。そんな私がなぜ逗子で暮らすことになったのか。多くの人が言ってくれるような「素敵な暮らし」なのか。移住してみて感じたリアルを綴っていきたいと思います。
連載初回となる今回は、自己紹介も兼ねて、「私が逗子に移住を決めた理由」をお話しします。
通うくらいなら近くに住みたい
「葉山で暮らしたい」
そんな願望を抱き始めたのは、25、6歳の時だった。きっかけは、友だちとの小旅行。葉山にある「音羽ノ森ホテル」に足を踏み入れた時、自分の中の何かがピピッと反応してしまったのだ。ラウンジの窓の外には海が広がり、テラスには青色のパラソルがきれいに並んでいる。そんな景色を眺めながら、雰囲気よくしつらえられた洋館の中で飲むビールが格別だった。
すっかり葉山に魅せられた私は、それ以降、連休や夏の休暇を使って音羽の森ホテルにしばしば足を運ぶことになる。そのうち「まとまった休みができた時しか来られないなんてもったいない。通うくらいなら近くに住みたい」という思いがムクムク芽生え始めた。
まだ独身だった20代の頃、勢いに任せて、葉山に一人暮らし用の部屋を探したこともある。しかし、なかなかいい賃貸物件に巡り会えず、その時は諦めざるを得なかった。
東京で家を持つのは難しい
再び葉山への移住を考えるようになったのは、結婚した後のこと。30歳で結婚した当初から、夫とは「自分たちの資産に残るものが欲しい」と意見が一致していた。家を買うという一大プロジェクトに、いよいよ本気で取り組み始めたのが31歳の時。
当時、私たちは世田谷区尾山台に住んでいた。都心からほど良い距離の閑静な住宅街。二子玉川や自由が丘に近く、遊ぶ場所にも困らない。結婚後に1度引っ越した時も、再び尾山台のマンションを選ぶほどお気に入りの街だった。しかし、家を建てるとなると話は別。売り出し中の一軒家の広告を見るたびに、「高すぎてとても手が出せないな……」と感じていた。
東京で家を持つのは厳しい。いい土地に巡り会うことは稀だし、なにしろお金がかかる。夫とは、埼玉や千葉や神奈川など郊外のエリアを色々見てみようと話をしたけれど、本当のことをいうと、その頃から私の頭の中は「葉山」一択だったのだ。
2人で初めてデートした場所も葉山だったし、結婚式も音羽ノ森ホテルで挙げたから、夫も私の「移住願望」には薄々気がついていたようだった。
約1カ月のスピード契約
私たちが家を建てた土地は、逗子と鎌倉の中間地点、山に近い高台にある。条件やコストを検討して、葉山からもう少し範囲を広げて逗子や鎌倉を見てみようと、地元の不動産屋に相談し、見学初日に一目ぼれして決めた。実際に土地を決めるまでは、1カ月もかからなかったから、我ながらすごい決断力だと思う。
逗子に住むことを決めたとき、「近くに知り合いがいない場所に住むなんて不安じゃない?」とよく聞かれた。でも、今振り返ってみても、不安は「なかった」と言い切れる。なにしろ、ずっと憧れていたエリアに家を持てるのだ。期待が膨らむばかりで、不安を感じている暇などなかった。
会社に逗子出身者が2人いたことも、背中を押してくれた。逗子で生まれ育ち、今も逗子に住んでいる女性の先輩と、実家が逗子にあるという新入社員の男の子。家を建てることを話すと、2人とも「逗子は雰囲気がのんびりしていて、住みやすい場所だよ」とお墨付きをくれた。何より2人のことが好きだったから、「こういう人たちが育つ場所なら間違いない」という確信を持てたのだ。
逗子ではグチをこぼす気にならない
逗子に移住して約1年。
大人になると、それぞれ生活スタイルが変わり、友だちと会う機会も減っていく。逗子で暮らし始めると、ますます交流の機会が減るかもしれないと思い、それは少し寂しい気がしていた。けれども、予想をいい意味で裏切って、なぜか逗子に移住してからの方が、人と会う機会が増えている。
鎌倉や葉山などのエリアを散策したり、逗子でサップ(スタンドアップパドルサーフィン)の体験をしたり。観光がてら、遊びに来たいと言ってくれる人が多いのだ。学生時代の友だちや会社の仲間が休日に遊びに来てくれて、わが家でホームパーティーを開くこともある。
仕事後に飲みに行くと、ついグチばかりになってしまう人も、逗子ではそういう気分にならないらしい。海を見ながらカレーを食べて、ちょっと寒いけど外でビールを飲んで、ボーッとする。ただそれだけなのに、皆がリラックスして、すっかりほどけた表情で笑い合えるのは、土地の魔法というべきかもしれない。
逗子暮らしの一番のメリットは?
私自身も、逗子で暮らし始めてから変わったと思う。以前は飲みに行ったり遊びに出たりしていた金曜日の夜も、いち早く家に帰って、リビングでビールを飲んだりテレビを見たりしてのんびり過ごすようになった。週末は三浦半島からほとんど出ずに、朝市に行ったり、庭仕事をしたりして過ごしている。東京にいた時には感じたことのない気持ちの余裕を、今初めて感じている。
東京は刺激が多くて楽しい。その刺激を享受していた頃に、もし人生の点数を聞かれたら、私は100点と答えただろう。でも同時に、「私はこの刺激のなかにずっと居続けるのだろうか」と不安を感じることもあったのだ。新しいものをすぐに手に入れられる半面、お金を使い続けなければ幸せになれないのは、怖いと感じることも多かった。
逗子には、話題のショップが入る複合ビルも、日本初進出のコーヒーショップもない。でもその分、地元の人に愛される店や、美味しいコーヒーショップがある。そういう店を見つけて、大切にしていく楽しさを、この1年で覚えた。ただ景色を見て、風の心地よさを感じて、いつもの店にフラリと立ち寄る。家から20分歩けば海がある。それだけで十分幸せを感じられると気づけたのは、逗子に移住して得た大きなメリットだった。
(構成:東谷好依、写真:青木勇太)