何か問題が発生すると「全部私が悪いんです」と言う後輩がいます。仕事でトラブルや問題が発生した時に、なぜそうなってしまったのか経緯を聞いても「全部私が悪いんです」で終わらせます。そのうち何となく追及できない雰囲気になって結局うやむやに終わってしまうことも多いです。「誰かのせいにしたいわけじゃなくて、次に同じことが起こらないようにするんだよ」と話すのですが、あまりわかってもらえません。物事をすべて「誰が悪いか」で捉えているのかなあとも思うのですが、どんなふうに接していけば良いでしょうか?
とりあえず謝ってしまう理由
この国には古来より「まずは謝る」という鉄の掟(掟)があります。
どんなに正当な理由があっても、まずは誠心誠意をもって謝罪をしなければならない。そしてその謝罪が流麗で美しくあるほど良しとされています。
自己犠牲の美学とでも言うのでしょうか、このような姿勢を「謙虚」と呼ぶのだそうです。とにも書くにもまずはその謙虚な姿勢を見せなければならない。その謙虚な謝罪が認められて初めて話し合いの場に立てるというシステムです。
昔はそれで話し合いの場に立てたのでしょう。ちゃんと謝ればこちらの言い分をちゃんと聞いてくれたのかもしれません。
しかし現代はちょっと事情が異なるんですよね。
それほど上の人が権力を握っていない場合が多いので、自分の裁量で裁くことができず、100点の謝罪をしたとしても話を聞いてくれない場合が多く、謝ったとしても「お前が悪い」で終わってしまうのです。
事情から説明すると「まずは謝れ」と叱られる。言われたとおりに謝り、そして事情を話す。
すると「言い訳をするな」と怒られる。
結局上の人は謝罪しか求めていない場合が多いので、事情を説明して怒られるというプロットが余分に感じられてしまうんです。
わざわざ余計なストレスを請け負うことになりかねないので、謝罪をするだけで事情を説明しない人が増えているそうですよ。
もちろん「謝罪なんていらないからちゃんと話がしたい」という人もたくさんいるのですが、前述したような経験があるとちょっとしたトラウマになってしまいますので、頭では理解していても深層心理に刻み込まれた恐怖心がなかなか取り除けないという人が多いようですね。
時間がかかる問題なのであまり無理強いはせず、しばらくは様子を見ながらコンディションが良さそうなときを狙って少しずつ信頼を深めていくしかないですね。
「とりあえず謝罪」から話し合いができるコミュニケーションへ
「まずは謝る」という文化は時代的にもすでに限界に達している印象を受けます。
おそらくはそう遠くない未来に廃れてしまう文化でしょう。
その代わりによりお互いを尊重するためのコミュニケーション(話し合い)が発達していくと思われます。
今の私たちにできることは、謝罪文化によるイノセンスな被害者をこれ以上量産しないことです。
謝罪を求める前にちゃんと人の話を聞ける大人になるように精進していきましょう。