最近、ネットの記事で「会話泥棒」という言葉を見かけました。会話をしていてすぐに自分の話にすり替えて周りをうんざりさせる人のことを指すらしいのですが、自分もそうならないように気をつけようと最近は意識しています。
そんなことを考えていたら、この前、古い友人と会ったときに彼女が「会話泥棒」でぐったりしました。どんな話をしていても自分や自分の知り合い人の話にすり替えてしまい、ある意味“匠の技”でした。学生時代からプライドが高いというか、自慢話をするほうだったのですが、年を重ねて会話泥棒に一段と磨きがかかっていました。「会ったこともない人の話を延々とされてもなー」と思いながら適当に相槌を打っていたのですが、会話泥棒してしまう人にはどんな接し方をすればいいでしょうか? 会話泥棒してしまう人の対処法と心理を知りたいです。
コミュニケーションに苦手意識を持っている人の思い込み
コミュニケーションに劣等感を持っている人のお悩みを聞いていると、あるひとつの共通点があることに気付きます。
それは、コミュニケーション能力とは、発信能力のことであると思い込んでいる点です。
発信能力とはつまり自分の中にある思いを言葉に変換して口から発信する能力。
簡単に言えば喋る能力のことをコミュニケーション能力だと思っていて、それができないことに劣等感を覚えているのですが、ご存じの通り、コミュニケーション能力とは傾聴する能力のことなんですよね。
彼ら彼女らがうまくコミュニケーションが取れないのは、人の話を聞かずに自分の内にあるものにしか意識が向いていないからであって、話術や語彙(ごい)などの発信能力の問題ではないんですよ。
人の話を傾聴する能力があれば、リアクションなんて意識しなくても勝手に出てくるもの。
そこでより高度なコミュニケーションを取るために、初めて語彙(ごい)や話術等の発信能力が必要になるわけですね。
なにはともあれまずは傾聴する能力が土台になければコミュニケーションは成り立たないということです。
「会話泥棒」になってしまうのはなぜ?
人の話を傾聴しないという点で言えば、いわゆる『会話泥棒』も同じ。
わかりやすく言うと『語彙と話術を持っているだけのコミュ障』ということです。
彼ら彼女らにすれば他人の話など自分語りのネタ探しくらいの熱量でしか聞いていませんからね。
だから隙あらば自分の話に持っていってしまうわけです。
でもこれは特殊な人が持つ特殊な傾向ではなく、実は誰にでも起こり得る現象です。
私も精神的なコンディションが整っていないときは、ついつい自分語りに傾倒してしまうことがあります(承認欲求が枯渇しているとき)。
そんな失態をやらかしてしまった夜は決まって布団を頭まですっぽり被り『数時間前の自分のところへタイムスリップしてその口を塞ぎたい』という衝動に駆られます。
まぁそんな非現実的なことなどできませんので、自分への戒めとして泣く泣く黒歴史に認定するだけですけどね。
『自分語りをしてしまった』という自覚も持てる人なら、きっとその夜は黒歴史を更新してしまったことに勝手に反省して勝手に改めてくれるでしょう。
もし自覚を持てないほど慢性的に承認欲求が枯渇している人なら、その人は何か自尊心を大きく損なう悩みを隠しているのかもしれませんね。
その人が自分にとって大切な人ならば、根本となる話を聞き出せるまで根気良く自分語りに付き合うべきですが、そうでもない人ならば『お力になれず申し訳ない』という思いを胸にそっとフェードアウトしてあげましょう。