第2次大戦下、領土を奪われ翻弄されるウクライナ、ポーランド、ユダヤ人の3家族の姿を描いた『キャロル・オブ・ザ・ベル』が公開中です。ロシアによるウクライナ侵攻を予感していたかのように2021年にオレシャ・モルグネツ=イサイェンコ監督によって作り上げられた同作について、音楽プロデューサーの渋谷ゆう子さんにつづっていただきました。
今まさに戦火にさらされている『キャロル・オブ・ザ・ベル』の舞台
第二次世界大戦下におきる市井の人たちの物語。これまでにこの題材を扱った数多くの映画と本作『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』が違うのは、舞台となるウクライナが今まさに戦火にさらされているという現実だ。
1939年1月、当時ポーランド領であったスタニスワヴフ(現ウクライナ、イバノフランコフスク)に、あるユダヤ人一家が暮らしていた。その建物にウクライナ人とポーランド人の家族が引越してくる。互いに人種や背景の違う三家族。はじめはよそよそしいが、それぞれの年頃の近い娘たちの交流がはじまり、次第に親しく付き合うようになる。タイトルである「キャロル・オブ・ザ・ベル」(原曲はウクライナ民謡「シェドリック」)を娘たちが歌い、三つの国も人種も違う背景の人たちの心を温かく結びつけていく。
しかし、第2次大戦が始まると、街はソ連に侵攻を受け、続いてナチス・ドイツによる侵攻がはじまる。はじめはポーランド人一家が最も恵まれているような生活だったが、開戦を機に立場は弱くなり、ついには強制的に連行されてしまう。この際、ポーランド人両親はまだ幼い一人娘をウクライナ人一家に託す。
ナチス・ドイツが勢力を伸ばし始めると、今度はユダヤ人一家の人生が剥奪されていく。収容所に娘たちを連れて行かれないようにするため、やはりここでもウクライナ人家族が娘を預かる。絶対に見つからないよう、ドイツ軍の家庭調査の際には柱時計の裏にユダヤ人の娘たちを隠しながら、迫り来る恐怖に耐え、息を潜めて暮らしていく。
さらにはナチス・ドイツの弱体化に伴い、今度はソ連軍に占拠されるようになると、街にいるドイツ人たちが追われる立場となる。この時に逃げてきたドイツ人の幼い男の子を、ウクライナ人夫婦がまたも助ける。日々食べるものにも困るような生活の中で、ウクライナ人夫婦は自身の娘に加えて、ポーランド人の娘、ユダヤ人の幼い姉妹とドイツ人の少年を抱え、なんとか生きようとするが、戦争の影響は色濃く、そして戦局が変わるたびに翻弄され続ける。ついにはかくまっていた子供たちのことが明るみに出てしまい……というストーリーである。
ウクライナの民謡だった「キャロル・オブ・ザ・ベル」
本作では一貫してひとつの家族の目から状況が語られる。政治状況が変わるたび、どれほど市民が振り回されるかをウクライナ人家族の目を通して表される。通りに出れば、掲げられた国旗がポーランドのものから、ソ連になり、やがてかぎ十字に変えられる。ソ連に侵攻されればロシア語で言えと命令され、ドイツ兵が街を占拠した際にはドイツ語で話せと強いられる。街を歩く人々の着ている服も変わっていく。最後にまたソ連の国旗が揚げられた後、ウクライナは自国と母語を取り上げられる。戦争とは、国家という領土への侵攻だけでなく、その国の言葉を奪い、文化を奪い、全てを取り上げられるものなのだと、この映画は明確に主張する。その結果のひとつが、「キャロル・オブ・ザ・ベル」の歌である。
アメリカのクリスマス時期に最も多く歌われ、クリスマス時期にはディズニーランドのエントランスで流れ、映画『ホーム・アローン』などでも使われているこの「キャロル・オブ・ザ・ベル」という歌が、ウクライナの民謡だったことをどれほどの人が知っているだろうか。この民謡を編曲した作曲家・マイコラ・レオントーヴィッチュもまた、ソビエト連邦のスパイに暗殺されている。レオントーヴィッチュがウクライナ独立正教会の殉教者であること、またウクライナのバッハとも呼ばれる偉大な作曲家であることも知らず、私たちはこの歌を歌ってきたのだ。
戦争に翻弄される一般市民の苦悩は、これまでも多くの小説や映画、そしてドキュメンタリーで語られてきた。日本ももちろん例外ではない。戦争に至った経緯やその甚大な被害についても検証され語られている。そうした視点からすれば、本作は特異なものではない。しかし、繰り返すが、この映画のこの登場人物たちの年代、その家族たち、そしてここに出てくる幼かった娘たちは現代を生きる世代である。その人たちにまた命の危険が迫り、街を捨てて外国に逃げることを余儀なくされ、男たちは徴兵され、命を落としている。
目の前にあったロシア・ウクライナ戦争
少し個人的な話になることをお許し願いたい。2022年2月24日、ロシアがウクライナ軍事侵攻を始めたというニュースを聞いた際、私が真っ先に心配したのは、都内に住むウクライナ人の友人と、ウクライナにいる彼女の家族のことだった。日本に留学経験もある彼女は、聡明で、活動的で、家族への愛はもちろん、友人たちへも惜しみない笑顔と愛情を注ぐ、素晴らしい女性だ。母国語ウクライナ語だけでなく、ロシア語と英語、日本語を完璧に扱い、スペイン語とポルトガル語、そして中国語でさえ日常会話は問題ないという才女だ。私はそんな彼女が大好きで、彼女のおいしい手料理やウクライナから送られてくるお菓子をいただくためにしょっちゅうお宅にお邪魔しては、すてきな時間を過ごしている。
この度の侵攻以降、彼女は夜を徹して現地の情報を正しく入手したいと、インターネットと電話を使い続けていた。私は目の前で家族や友人の安否を必死に探す彼女の力になりたいと願ったが、そんな姿をすぐ横で見ても、何もしてあげることができなかった。私も少しでもウクライナ語ができればと、これほど強く思ったことはない。
しばらく後に幸いにして彼女の家族は避難が確認できた。聡明な彼女は次にできることとして、日本からの情報収集と避難民たちの支援を手伝っている。ウクライナ語から日本語への翻訳や通訳も各所から任されるようになり、強く心を持ち、働き続けている。彼女が泣いていたのは、本当に最初の頃だけだった。心配で眠ることもできず、かといって泣いてだけもいられず、そこに強くいなければならないと、強い意思を持ち続けている。戦争は、私の目の前にあった。
彼女のそんな姿は、この映画の主人公であるウクライナ人たちそのものである。状況に負けず、日々の生活を大事にし、国籍や人種がなんであれ困った人に手を差し伸べられる。極限の状態でもそうした人間らしい感情を、愛情を、どうしたら持ち続けていられるのだろうか。どうしたらこんな悲惨なことを避けられるのだろうか。
それには、まずは「知ること」が必要なのだとこの映画は訴える。どんな歴史がどの国にあったのか。人々はどんな生活を強いられ、何を奪われ、何を損なってきたのか。国境を接して戦争が起こるとはどういうことなのか。人種は、言語は、文化は、何によって守られ、何を伝えているのか。それらを知らずしてはこの現実を生きていくことは難しい。自分の状況を知り、相手の状況を想像することで防げる何かを得られるのではないか。そこに生きてきた人たちの個人的な出来事を「知る」ことによって、そして想像力を積み上げていくほかない。
かつて何が起こったか。そして、今何が起きているのか。これから何が起ころうとしているのか。戦争はまた起こってしまったのだ。「知る」ことへの第一歩は、この映画にあるだろう。
(音楽プロデューサー・渋谷ゆう子)
■映画情報
『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩(うた)』
出演:ヤナ・コロリョーヴァ、アンドリー・モストレーンコ、ヨアンナ・オポズダ、ポリナ・グロモヴァ、フルィスティーナ・オレヒヴナ・ウシーツカ
監督:オレシア・モルグレッツ=イサイェンコ
脚本:クセニア・ザスタフスカ 撮影:エフゲニー・キレイ 音楽:ホセイン・ミルザゴリ
プロデューサー:アーテム・コリウバイエフ、タラス・ボサック、マクシム・レスチャンカ
原題:Carol of the Bells
配給: 彩プロ 後援:ウクライナ大使館 映倫G
(C)MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020