「あなたのために…」と言われた/言ったことがある全ての人たちへ【野球少女】

「あなたのために…」と言われた/言ったことがある全ての人たちへ【野球少女】

TVドラマ『梨泰院クラス』で、トランスジェンダーの料理長を演じ大ブレイクを果たしたイ・ジュヨンさん。韓国の新世代のスターとして注目される彼女が主演を務める映画『野球少女』(チェ・ユンテ監督)が3月5日に公開されました。

「天才野球少女」と称えられ、青春の日々をすべて野球に捧げてきた高校生のスイン(イ・ジュヨン)。夢はプロ野球選手になることだが、“女子”という理由でテストを受けることさえ叶わない。諦めきれないスインに、家族や友人、野球部の監督は「夢を諦めて現実を見るように」と言うけれど——。

劇中より

劇中より

本作について、応援コメントも寄せているトミヤマユキコさんに寄稿いただきました。

これは「女の人生」の話。ならば、わたしにも関係がある

韓国映画『野球少女』が全国公開となった。幼い頃から野球に打ち込んできて「天才野球少女」としてメディアに取り上げられたこともある主人公が、プロ野球選手を目指す話だ。

そう書くと、もともとすごい人がもっとすごい世界に行くのか、自分には関係ないな、と思ってしまうかもしれない。わたしも観る前はそんな感じだった。ところが、観終わって判明したのは、本作がどこからどう見ても「女の人生」の話だったということ。女の人生であれば、わたしにも十分に関係がある。だからわたしは本作の推薦コメントにこう書いた。

「どれだけ才能があっても「女である」というだけで辿り着けない場所がある。世の中は理不尽だ。だけど、少しずつ変えていける。仲間だってきっと見つかる。そのことを、この映画に教えてもらった。」

この「少しずつ」というのが、本作を観るときのポイントである。あらゆることが一歩ずつ、じわじわとしか変わっていかない。エンタメに徹して胸がスカっとするような一発逆転を描くこともできたはずだが、そうはしていないのである。なんて誠実な映画なんだろう。わたしたちの社会でも、あらゆることはじわじわとしか変わっていかない。フィクションと現実を地続きにするための誠実さがこの作品にはある。

劇中より

劇中より

「あなたのため」と夢を踏みにじられ

聞くところによると、韓国では高校で部活動に入ること自体が「プロになりたい」という意思表示なんだそうな。日本だとスポーツ好きがなんとなーく部活をやっても許されるが、そういう感じじゃないらしい。だとすれば、主人公「スイン」も最初からプロを目指していたことになる。なんたって彼女は、特例扱いを受けてまで高校野球をやっているのだから。

それなのに、周囲の反応は彼女の気持ちを逆なでするものものばかりだ。プロ野球なんて無理。この先は趣味で女子野球をやるのはどうか。ハンドボールに鞍替えすればプロになれるかも。もう親のコネで就職しちゃおうよ……どれも「あなたのためを思って」出た忠告の言葉だが、実際のところはスインの夢を踏みつけにしてしまっている。だから彼女は「その足をどかしてください」と訴え続けるしかない。

忠告系の踏みつけではなく、もっとあからさまな女性差別も登場する。トライアウト(各球団が行う入団テスト)が受けられないシーンなんかは、本当に悔しくてたまらない。テストを受けて実力不足で落っこちるなら納得もできるが、受けること自体ができないのだ。韓国プロ野球の規定によれば、1996年以降は女性であっても選手になれる。ということは、テストを受ける権利もあるはずだが、スインは申込書の提出時点ですでに揉めている。それはつまり、「正しく挫折することすら女には許されていない」ということだ。なにそれ。

これだけでもブチ切れて大暴れしたくなるが、スインは静かに怒りを噛みしめるばかりだ。プロからスカウトを受けた幼馴染み「ジョンホ」に八つ当たりすることもなければ、芸能人オーディションに落ちた親友「バングル」と傷をなめ合うこともない。淡々と受け入れ、次に進もうとする。幼い頃から男だらけの世界に身を置き、ときにいじめられながらも決して野球を諦めなかったスインだからこその反応だと思う。その忍耐力がとても切ない。

「短所をなくす」から「長所を伸ばす」へ

そんな彼女から最初に足をどかしたのは、野球部に新しくやってきたコーチの「ジンテ」だ。彼もかつてはプロ野球を目指していたが、球速が足りず独立リーグまでしか進めなかった苦い過去を持つ。それゆえ、150キロ超の球を投げるのが当たり前の世界で130キロしか投げられないスインに対し、プロにはなれないと言ってしまうのだ。しかし、スインとの時間を過ごすうち、「短所をなくす」のではなく「長所を伸ばす」ことをだんだんと考え始める。剛速球は投げられなくても、変化球の技術を磨くことで、相手を出し抜くことはできると考えられるようになったのだ。

これは、「足をどかす」行為であると同時に、「剛速球の呪い」から監督自身やスインを解放する行為でもある。ちなみに、ジンテ監督は「プロになれなかった俺」がスインの指導をしていいのか不安に思っているのだが、これも一種の呪いと言っていい。これに対し彼女は「代わりに行きます/それで十分」と答えている。呪いを秒で粉砕するスイン、かっこよすぎる。

劇中より

劇中より

家族のために「私の人生」を諦めた女

次に足をどかすのは、スインの母親だ。娘は幼少期から野球に夢中、夫は宅地建物取引士の受験勉強をもう何年もやっており実質無職、という一家にあって、この母親は経済的な支柱である。家族のために自分らしい人生を諦めた女。それが彼女だ。そうした背景を考えれば、娘の夢に理解を示さず、「ふつう」が安心・安全だと考えるのも致し方ないことだと思う。

だからこそ、母親が初めて球場を訪れ、スインの投球を見つめるシーンは感動的だ。母親なんだから見なくたってわかる、じゃなくて、母親だけどちゃんと見る。娘が男だらけの世界で野球をやっていることが圧倒的な現実として迫ってきたときの、あの表情。あの動き……本当に素晴らしい(ぜひ劇場でご確認ください!)。スインだって、子どもの夢だから闇雲に肯定して欲しいのではない。自分の野球をちゃんと見て、真剣なんだと知って欲しかったのだ。こうして、ガチガチだった母娘関係が少しずつほどけていく。家族のためだけに生きてきた母親がこの先、少しでも自分の人生を取り戻せるといいなと思う。

劇中より

劇中より

「私の未来は誰にも分からない/私でさえ」

お前の身の丈はこれぐらいだよ、それぐらいで諦めな、と言ってくる人たちはどこにでもいるし厄介だが、言っている本人もまた常識や慣例という名の呪いにかかっていて、それはそれで気の毒だ。『野球少女』を観る人の中には、スインみたいな経験をした人もあれば、監督や母親みたいな経験をした人もあるだろう。両者はしばしば対立するが、本当は手に手を取って呪いを生み出す構造それ自体を解体するのが一番いい。それは大それた理想だろうか。いや、スインを見ていると、そうでもないような気がしてくる。

一足飛びにはいかないが、少しずつ前進すれば、やがて思いも寄らない未来が見えるのだと、『野球少女』は教えてくれる。「私の未来は誰にも分からない/私でさえ」……ほんと、スインの言うとおりだ。

劇中より

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(トミヤマユキコ)

■作品情報

監督・脚本:チェ・ユンテ 出演:イ・ジュヨン「梨泰院クラス」イ・ジュニョク「秘密の森」 ヨム・ヘラン「椿の花咲く頃」
2019年/韓国/韓国語/105分/スコープ/5.1ch/英題:Baseball Girl /日本語字幕:根本理恵 配給:ロングライド 
© 2019 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED
3月5日(金) TOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー
公式サイト:longride.jp/baseballgirl/

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