『戦争の歌がきこえる』インタビュー・前編

「日本人」の私たちが“もう一つの戦争の記憶”をたどる意味【戦争の歌がきこえる】

「日本人」の私たちが“もう一つの戦争の記憶”をたどる意味【戦争の歌がきこえる】

「日本兵を殺したことを告白してきた退役軍人」
「罪悪感に悩まされつづけた原爆開発の関係者」
「PTSDに悩まされた退役軍人と結婚した女性」

米国認定音楽療法士*としてホスピスで働いているときに第二次世界大戦を生き抜いたアメリカ人から聞いたストーリーをつづった、佐藤由美子(さとう・ゆみこ)さんによる『戦争の歌がきこえる』(柏書房)が7月に発売されました。

この本に登場するエピソードはもしかしたら「日本人」が思い浮かべる戦争のイメージとは程遠いものばかりかもしれません。国籍も置かれた境遇もまったく異なる人たちの記憶やストーリーをたどる意味とは? 今を生きる私たちの「責任」とは? 著者の佐藤さんにお話を伺いました。前後編。

*音楽療法とは、対象者(クライエント)の身体的、感情的、認知的、精神的、社会的なニーズに対応するために、音楽を意図的に使用する療法。音楽療法は確立された専門職で、トレーニングを積み、資格をもった音楽療法士によって行われる。

彼らが「日本人」の私に話したかったこと

——本書では私たち「日本人」が語り継いできた戦争の記憶とは異なる、アメリカの側から見た「もうひとつの戦争の記憶」がつづられています。なぜこのテーマで執筆しようと思ったのか、経緯を教えてください。

佐藤由美子さん(以下、佐藤):私は音楽療法士としてアメリカのホスピスで10年間働き、何百、何千人という患者さんと出会ってきました。その中で、特に印象深かったのが第二次世界大戦を経験した人たちの話だったんです。彼らが私に話してくれたことは、私がこれまで学んできた戦争の話とはかなり異なるものでした。それはもちろん、日本で生まれ育つ中で聞いた話とも違ったのですが、私が高校卒業後に留学して、アメリカで暮らす中で耳にしてきた戦争の話ともまた違っていたのです。

そういう意味では貴重な話を聞いたのだと思いますし、おそらく彼らは私だけに伝えたかったのではなくて、たまたまその場に私が立ち会っただけで、本当はもっとたくさんの人に知ってほしかったのではないか? とずっと思っていました。私が「日本人」であるからこそ話してくれたことだと思うので、やはり日本の人たちにも知ってほしいと思いました。

シンシナティでのセッションの様子=著者提供(2012年撮影)。※この本に登場する第二次世界大戦のエピソードを語った人物とは関係ありません。

シンシナティでのセッションの様子=著者提供(2012年撮影)。※この本に登場する第二次世界大戦のエピソードを語った人物とは関係ありません。

——今年は第二次世界大戦が終わって75年目にあたります。今、このタイミングで本を出版される意義についてはどう考えていらっしゃいますか?

佐藤:2013年に16年ぶりに帰国したのですが、ナショナリズムの台頭をアメリカでだけでなく日本でも感じました。特に日本では、歴史修正主義にもとづく発言などが社会的にも目立ち、とても驚きました。戦争を経験した人たちがどんどん少なくなっていく中で、世界的にこういう流れが起こってくるのは偶然ではないと思いますし、だからこそ今、伝えなければと思い2年ほど前から執筆し始めました。

——本を執筆するにあたり、特に意識したことはありますか?

佐藤:私に戦争体験を打ち明けてくれた人たちのストーリーのエッセンスを、いかに正確に伝えるかということに注力しました。そのためには、まず彼らの経験を理解することが大切だと思い、さまざまな資料にあたりました。でも、戦争というのは想像をはるかに超えるようなことであり、経験しなければ分かり得ないことなのだと思います。なので、彼らの経験に近づくことがとても難しかったです。

だからこそ、と言っていいのかは分かりませんが、執筆中はよく夢を見ました。夢の中では、彼らが経験したことに似た事柄を、自分自身が経験するのです。例えば、人を殺してしまうとか、逆に自分が殺されそうになるとか……。そうやって初めて、彼らの経験に少しだけ近づくことができたように思います。

すべての出来事には2つのサイドがある

——本書では「日本兵を殺したことを、日本人である佐藤さんに告白してきた退役軍人」のエピソードや「日本占領下の中国で生まれ、日本からもアメリカからも忘れられた人」の話など、私たち「日本人」が共有している集合的記憶*とは異なるストーリーが紹介されています。国籍も置かれた境遇もまったく異なる人たちの記憶をたどることの意味についてどんなふうにお考えですか?

*人間が集団生活において現在の関心から構成する共通の過去についての知識、イメージ(『社会学小辞典』、有斐閣)。例えば、8月15日の「終戦記念日」は、単に過去を振り返るものではなく、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、私たち日本人の集合的記憶を呼び起こす。

佐藤:すべての出来事には少なくとも2つのサイド(側面)があります。戦争に限らずすべての事柄についてそうだと思います。例えば私の場合であれば、ある患者さんとその妻の間にいざこざが発生して、患者さん側から話を聞いたとします。でも、念頭に置いておかなければいけないのは、あくまでも患者さんサイドからしか話を聞いていないということです。もし妻の側から話を聞いた場合は別の側面が見えてきます。患者さんには患者さんの、妻には妻の言い分があるわけです。

戦争を考える場合も同様だし、もっと事態は複雑だと思います。あれだけ大きな出来事でたくさんの人が犠牲になったわけですから、「日本人」の言い分や語り、ストーリーは一つの側面でしかない。ほかの国の人に聞いたらまったく違う話が出てくるでしょう。いろいろな側面から光を当てることで段々と全体像が見えてくるというのは、アメリカ人の患者さんやご家族との関わりを通じて学んだことです。

——たとえ自分たちに都合が悪かったり、向き合いたくなかったりする記憶であっても向き合って語り継いでいくことが大切なのでしょうか?

佐藤:現在アメリカで起こっている人種差別に対する抗議を見ていても感じますが、向き合いたくない記憶を避けていても問題は解決しないんですね。本当の意味での「reconciliation (和解)」にはつながりません。本書でも引用したオバマ前大統領の「その記憶は、私たちが自己満足と戦うことを可能にするのです」という言葉は、そのことを言い表したものです。

今を生きる私たちの「責任」とは?

——本では「謝罪」と「責任」についての日米における観念の違いについて、6ページにわたって丁寧に書かれていました。

佐藤:英語と日本語では「責任」や「謝罪」に関する観念が異なります。例えば、英語で「責任」を表す言葉のひとつに「responsibility(レスポンシビリティ)」がありますが、これは「AがBを引き起こした」という因果関係が明確なときに使う言葉です。

私に当時の日本軍が行ったことに対する「responsibility」、つまり直接的な責任はないと言えます。でも、これらの歴史を「知らない」ということについてはどうでしょうか? 私たちは、戦時中アジア諸国で起きた事柄を学校でほとんど学びませんし、メディアでもあまり報道されません。でも、自分が知ろうとしてこなかったのも事実です。

私がアメリカに留学中に出会ったアジア諸国出身の学生が、日本の言葉を知っていたり、彼らの祖父母が日本語を話せるという話を聞いたりすることがよくありました。それは、過去に彼らの国が日本に侵略され、日本語の使用を強制されたという歴史があったからなんですね。もちろん、彼らは私を責めているわけではなく、むしろ親しみを込めてそう言ってくれたのだと思うのですが、なんとも言えない居心地の悪さがありました。

そのとき私が感じた居心地の悪さは、私が日本とアジア諸国との歴史を知らないことに起因するものです。今の若い世代が世界に出て行ったときに私と同じ思いをしないためにも、歴史をしっかり教えることが社会の役割なのではないか、と思います。今を生きる私たちの「responsibility」は何か? それを考えたときに最低限必要なのが、過去に何が起きたかを知ることだと思います。

エンパシー(共感)は居心地が悪い

——お話を伺って、私たちが今まで知らなかった歴史を知ったり、誰かのライフヒストリーをたどることが“縦軸”としたら、“横軸”は、同時代を生きる、自分とはまったく考えが違う人とか異なる立場や境遇にいる人に、思いをはせたり想像力を働かせることなのではないか、と思いました。というのも、今の世の中を見渡すと自己責任論が跋扈(ばっこ)し、人々の間の分断も進んでいると感じています。今生きている世界をよりよくするために必要なことは何だと思いますか?

佐藤:今、おっしゃったことはまさに「empathy(エンパシー)」、つまり「共感」の問題だと思います。英語には「put yourself in someone’s shoes」という表現がありまして、直訳すると「その人の靴を履いてみる」という意味です。例えば、相手の話を聞きながら、その人が生きてきた道程だったり、その人が抱えているものを見てみなさい、というときに使うのがこの表現です。私はセラピストとしてそれをやるのが仕事なのですが、必ずしも楽しいことではないし、むしろ居心地が悪い場合もあります。

——「居心地の悪いこと」なんですね。

佐藤:分かりやすい例で言うと、私は終末期を迎える患者さんのケア(ホスピスケア)の音楽療法を専門としているのですが、私自身は末期の病気になったことがないので、その人の立場を完全に理解することはできません。でも、彼らが経験してきたことやしていることに近づいていかなければ共感することはできないので、「もしその人の立場だったら」「自分があと数週間の命だったら」ということを想像してみることが重要なのです。

——確かに楽しいことではないですね。後編では、「居心地の悪いこと」について考えていければと思います。

※後編は8月10日(月)公開です。

(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)

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