人生の後半とどう向き合いたいか「50 to 100」として、50代から100歳以上の著者の本から考えてみる本連載。
7冊目に紹介するのは、『親父と猫 定年後に待っていた猫ライフ』(ハーパーコリンズ・ジャパン)です。本書は、70歳で定年退職をむかえた父親と父が拾ってきた子猫の生活を息子のTuriさんが綴った一冊。親父さんと猫の出会いから現在までがたくさんの写真とともに紹介されています。
仕事一筋でこれといった趣味もなかったという父の退職をひそかに心配していたというTuriさんでしたが、想像もしていなかった笑顔あふれるセカンドライフを過ごしているそうです。
幸せそうなシニア男性って実は珍しいのでは——? そんな疑問を持つ作家の南 綾子さんに読んでいただきました。
幸せそうな同世代の男性はまわりにいますか?
Twitterで最初にバズったときからこの”親父”さんと黒猫るるのことは知っていた。新聞を読む親父さんの背中にちょこんと乗るるるの画像も愛らしくてよかったが、より印象的だったのは、るる以前、以後の親父さんを比較した二つの画像だった。
明らかに、るる以後の親父さんは時間をさかのぼっていた。表情がいきいきとして、肌のつやも取り戻している。本書には、シニア男性が幸せに生きるヒントが必ずあると思った。
外国はどうだかわからないが、日本のシニア男性たちの多くはあまり幸せそうに見えない気がする(わたしだけの単なる偏見、思い込みだったらごめんなさい)。今回この原稿を書く前に、知り合いのシニア女性たちに「幸せそうな同世代の男性はまわりにいますか?」と聞いてみたのだが、「いないわ、おばさんはみんな幸せそうよね」といった趣旨のことを答える人が多かった。
シニア女性は未婚既婚子持ち子なしに関係なく、人生を楽しもうとしている人をよく見るが、反対にシニア男性は、なんというか、ギスギスしている人がわりかし多いような……?と考えて、わたしはあることに思い当たった。
わたしは最近麻雀にハマっていて、女性専用の麻雀教室に通っている。しかし、そこが移転して少しいきづらくなってしまったので、少し前から別の教室にも通いはじめた。そこは教室とノーレート雀荘半々といった雰囲気で、初級者から上級者までの老若男女様々いるが、中級以上のシニア男性の割合が高い。
二つ目の教室にはじめていったとき、とても驚いた。
最初に注意事項を説明されたのだが、その項目がやたら多いのだ。先ヅモ、引きヅモ禁止などの基本的なものから、「発声の際、『それポン!』『通らばリーチ』などの余計な言葉を足さない」「他人の手牌や待ちに意見を言わない」などの言動マナーにいたるまで様々(知らない人はちんぷんかんぷんかもしれない。すみません)。教室の壁にもあらゆる注意書きがびっしりはられていて圧倒された。トイレにいったらトイレにもはられていた。
女性専用の教室では、そういったことは一切なかった。だからわりとやりたい放題。あがった人に冗談で「何その待ち〜!」なんて言う人もいる。「それポン!」も飛び交いまくる。でももめごとはほとんど起こらない。よって、マナーに関してうるさく注意する必要はないのだ。
ところが男性がいる場所ではそうはいかないということだ。ちょっとした発言やしぐさで空気がぴりつき、トラブルに発展してしまう。例えば誰かが大きなあがりをしたとき、女性専用の教室だと「わー!」「すごーい!」と盛り上がるが(それはときどき過剰に感じるほど)、男性のいる卓ではシーンとしたままが基本、ときどき不満げに点棒を投げる人もいる(これが大きなトラブルの種の一つ)。
もちろんすべてがそうだというわけじゃない。強気で怖いシニア女性もいるし、いつもにこやかで親切なシニア男性もいる。でも教室単位になるとこのような違いが表れる。そしてこの違いは、シニア男性の人生の幸福度と無関係ではないという気がするのだ。
そんなことを考えつつ、本書を読んだ。
るるが親父さんを変えたわけではなかったのだろう
しかし結論からいうと、この本から何一つ、幸せのヒントは見つからなかった。
これは本書が中身のないうすっぺらな本だったといいたいのでは決してない。むしろ中身はギチギチにつまっているほうだ。なにがいいってまず写真がいい。親父さんとるるのなにげなくもかけがえのない一秒一秒がうまく切り取られている。いつでもそばにおいておき、つらいことがあったときにぱらぱらっとめくるのにちょうどいい一冊だ。
しかし、この親父さんは、結局、るるがいなくてもそれなりに幸せな部類の人なのだ。その理由は息子である筆者の親父さんを見るやさしい視線に表れている。親父さんは昔気質の人で、子育てや家事にはあまり関与しない父親だったようだ。そういう父親がのちのち家族から孤立してしまう、というのはシニア男性の不幸の一つのパターンであると思う。
しかし、親父さんは何よりも仕事を優先する日々を送りつつ、不器用ながらも家族を気遣ってきた。その気遣いを、筆者はきちんとキャッチし続けて大人になった。そして今は、定年後の父親を心配するやさしい息子でいる。だから、親父さんはるるがいなくても、仕事をやめても、少なくとも家族の中で孤立するということはなかったはずだ。
結局、シニア世代になってからの幸せは、若いうちからまわりに優しさを分け与えるというあたりまえの努力なしには成立しないということなのか。そんなこと、すでにわかりきったことじゃないか。
結局、シニア世代になって以降の幸せは、若いうちからまわりに優しさを分け与えるというあたりまえの努力なしには成立しないということなのか。そんなこと、すでにわかりきったことじゃないか。
しかし、今のシニア男性は、成功や勝利を第一優先することを求められた世代だ。それらを優先するあまり、家族や周りの人との関係に気を遣うのをさぼってきた人が、仕事という最大の”生きがい”を手放したとき、老後に幸せを見つけることは可能なのか。この本からはそのヒントは見つけられなかったが、別のどこかにあると信じたい。そしてわたしも麻雀をやるときは勝利至上主義になってしまうことがある。気をつけたい。
(南 綾子)