働き女子の30代といえば、20代で種まきをしてコツコツやってきたことがやっと実を結び花が開く時期。
そんな「仕事も人生もこれから」という時期にがんを発症したら……。「仕事はどうなるの?」「生活はどう変わるの?」といった疑問が一気に湧いてくるのではないでしょうか。
今日はがんじゃないかもしれない。でも、明日がんになったら——。
去年の6月に乳がんで亡くなった小林麻央さんの追悼番組を見ながら何気なく胸を触ったところ、しこりに気づき乳がんが発覚したという装花デザイナーの関尚美さん(34)。
乳がんになったとわかってはじめに思ったのは「自分が死んでしまうということよりも、日常生活を送れなくなってしまうかもしれない」ことだったと言います。
「私が私らしくなくなることのほうが怖かった」と話す関さんに話を聞きました。
<乳がん告知、手術からこれまで>
6月27日 小林麻央さんの追悼番組の録画を見る
6月28日 近所の婦人科に行く、大きな病院を紹介される
7月3日 病院で精密検査を受ける
7月10日 乳がんの告知を受ける
8月16日 入院
8月17日 手術
8月24日 退院
9月4日 抗がん剤治療(6ヶ月)、放射線治療(6週)、ホルモン治療(5年以上)を受けることが決定
10月11日 入院
10月12日 抗がん剤治療1回目
11月7日 抗がん剤治療2回目
11月28日 抗がん剤治療3回目
きっかけは小林麻央さんの追悼番組
——乳がんとわかったきっかけを教えてください。
関尚美(以下、関):6月に小林麻央さんの追悼番組を見ていたときに、区からくる子宮頸がん検診に合わせて乳がん検診をしていたことを思い出して、「そう言えば乳がん検診を2年くらい受けていないかも?」と気になって自分でセルフチェックをしてみたんです。
そうしたら、しこりのようなものがあって「あれ?」と思って。たまたま次の日、時間が空いていたので近くの婦人科に行きました。
はじめは乳がんじゃないという体で診察を受けたんです。35歳未満の乳がん患者は全体の2%ほどらしく*、年齢的にも若いし、先生も「多分良性だろう」ということで進めていたらしいんですが、「ちょっと大きい病院を紹介しますね」と言われたんです。
*厚生労働省資料「日本人若年性乳がんの特徴と予後」より
——そのときの心境は?
関:がんかもしれないとわかったはじめの4日間は相当落ち込みました。逆に言えば、4日間でがんを受け入れて、ほぼ立ち直ったんですけれど(笑)。
初日はちょっとヤバいなと思って、その日の夜はネットでかなり調べました。がんになったら何が起こるんだろうっていうのを調べていくと、出てくるブログがみんな暗くて怖くて……。
麻央ちゃんの死を見てからの自分の発見だから、私も死んじゃうのかな? と最初は思ったんですけれど「死ぬのは別にいいや」って感じだったんです。やりたいことをやってきたし、もちろんこの先にやりたいことはたくさんあるんだけど、たった今の私自身は満足させてあげられている気がしたから。
別にすごくも何ともない日々なんですが、日常を楽しく過ごせていたので、それはいいやと思ったんです。それよりも家族が可哀相だなと思った。旦那さんが可哀相だなという気持ちのほうが強かったですね。
夫の反応は「虫歯みたいなものだから大丈夫」
——夫の反応は?
関:病院から電話で「何かごめん、がんかもしれない」って話をしたら「大丈夫だよ、虫歯みたいなものだから」って言われて。「歯を磨いてケアしててもなるときはなっちゃうし、治療すればまた使えるし、抜けたって生きていくことができるし、がんと言っちゃうとすごく怖いものみたいだけれど、虫歯みたいなものだから」って言われました。
ちょっと天然の旦那さんなんですけれど(笑)。私はそれをすごくよい表現だなと思いました。
——その表現、いいですね。ちなみに結婚生活は何年めなんですか?
関:もう8年になりますね。一緒に暮らして10年くらいかな。
——小林麻央さんの番組を見ていたのはたまたまですか?
関:昔から小林麻央さんがすごく好きで。結婚会見や挙式も見ていたし、麻央ちゃんのウェディングドレス姿が載っている雑誌もいまだに大切に持っているくらい。だから麻央ちゃんの番組じゃなかったら見てなかったと思います。
私は「ステージIIa」の初期のがんで、しこりも1センチと小さかったのにすでにリンパに転移があったんです。
今は抗がん剤治療中なんですが、はじめにがんを取り除く手術をして抗がん剤治療を半年間フルでやって、その後は放射線治療を6週間、最後にホルモン治療を5年以上やるというフルコース状態なんです。
はじめは良性の可能性を視野に入れた見解だったので、「そんなに悪かったんだ」という感じで……。
麻央ちゃんが本当に素晴らしい人で、私がたまたまファンで、追悼番組も泣きながら見ていて、麻央ちゃんが発信をしてくれてなかったら、私のがんはもっと進行してたのかもしれないと思うと、どんな形であれ、批判もあったりするけれど、発信するということは大事なのかなとすごく思いました。
——だから今回の取材もお引き受けくださったんですね。本当にありがとうございます。
関:実際、これまでのがんの日々を振り返って、暗いことばかりではないと思ったんです。「みんながんに対して怖いイメージを持ちすぎている」って。
もちろん私が思っていることであって、こんなにあっけらかんとしている私を見て、逆に辛く思う方もいるかもしれないんですが、時間が経つにつれて自分の気持ちも落ち着いてくる。前向きなものを見たくなったり、でもやっぱり私はそんなに強くないと思ったりとか、いろいろな気持ちが交錯しました。親しい友人には時々弱音を吐いたりもしました。
インターネットで見た情報は先生のコメントと大きく違っていました。もし、病気について知りたかったら医学書を読むほうがいいんじゃないかなと思います。ブログなどを参考にすることもあると思いますが、その日によって気持ちや考え方も変わるし、そのときの自分の気持ちに合うようなものが見れたら一番いいんじゃないかなと思っています。
だから、「闘病記」のような「今日は何時にこの薬を何ミリグラム打ちました」よりは、「こう考えたらそんなに辛くないんだよ」「実際はこんな日常だったよ」というものを発信したいと思いました。
痛みは「タンスに小指をぶつける」が圧勝
——話が戻りますが、乳がんの告知を受けたときの状況を教えてください。
関:6月に紹介された大きな病院に行って告知を受けました。その前にエコー、触診、マンモグラフィー、胸に針を刺すといった検査を10個くらい受けて。
——告知を受ける前に検査をするんですね。痛そう……。
関:実は検査で試みていたことがあって。手術って結構怖いじゃないですか。検査でも長い針を刺すとかあったんですが、「裸足で小指をタンスにぶつけるのと検査はどっちが痛いか?」って比べてたんです。小指をタンスの角にぶつけると骨折したかと思うくらい痛い。検査を受けるたびに「これは小指とどっちが痛いか?」を検証していました。
——どっちが痛かったですか?
関:小指の圧勝ですね(笑)。
——関さんの前で言うのもアレなんですが、私、注射や血液検査がすごく苦手で……。
関:あれって痛いというよりかは恐怖心ですよね。怖いと思っていくから怖さと痛みが増しちゃうから、恐怖を取り除いて「本当にこれは痛いのか?」と自問自答するというか、むしろ純粋に痛みのみを感じ取ることに集中する。そうすると意外と痛くない……ような気がします(笑)。
乳がん告知に「スッキリした」
関:検査の一週間後に乳がんの告知を受けました。よく映画やドラマにあるようなドラマチックな感じではなく、一人で聞きに行って。先生が私を傷つけないように遠回しにゆっくりと説明をしながら、最後に悪性である旨を伝えてくれました。説明の中盤で「あ、これはがんだな」と思いながら聞いていましたね。
——落ち着いていたんですね。
関:乳がんと言われたときは「やっぱり!」という感じで「すっきりした!」に近い感情でした。
部屋を出て乳腺科の受付ルームのほうに行くと看護師さんが、すかさず声をかけてきてくれました。「びっくりしちゃったかな?」と優しく話しかけてくださいましたが、「いや! やっぱりな! って思ってスッキリしました!」って言うと、「えっ!?」と笑っていました。
今思えばあの方はがんカウンセラーの方だったかな? と思います。私が行ってる病院はがんカウンセラーが常駐していたんです。入院中はもちろん通院中もいろいろ話しかけてきてくれて、私もその都度疑問に思ったことを聞いていたので本当に助かりましたね。
——そうなんですね。
関:繰り返しになるんですが、やっぱり自分自身が「怖い」というよりは、夫や家族に悪いなと思う気持ちのほうが強かったです。ちょうど姉が出産する直前の時期で、姉の手伝いにも行っていたので、まわりに悪いなと思いました。
——親御さんにはどう伝えたんですか?
関:夫の家族には隠していました。しれっと乗り越えられるかなと思って。実の親にも黙っておこうかなと思ったんですが、言わないとさすがに怒られるかなと思って。それでも姉の出産が終わるまでは心配をかけたくないので家族には黙っておこうかなといろいろ迷いました。
抗がん剤治療をすると排卵ができなくなってしまう可能性が高いので、私は子どもが産めなくなる可能性がかなり高い。それもあって、姉の出産の手伝いはすごくしたかったんです。姉の手伝いで実家に帰ったときに親に「実はがんなんだ」と伝えました。
母は泣いていましたけれど、「出産が終わるまではお姉ちゃんには一旦内緒にしておこう」と話して、手伝いができる最終日ギリギリまで一緒にいて、次の日に手術に臨みました。甥も姪も本当に可愛くて、おかげで「手術まであと何日……」のような、暗い気持ちには一切ならずに済みました。それが8月の中頃でしたね。結局姉にがんのことを伝えたのは9月の下旬でした。
——そうだったんですね。手術は順調に進んだ?
関:結局、開けてみたらリンパを取らなきゃいけないくらいまで転移していたので、入院がちょっとだけ長引いて、9日間入院しました。
辛かったのは麻酔の副作用。以前、盲腸の手術をしたことがあったので、「ちょろいかな」と思っていたら、麻酔の種類が違ったみたいで……。でも耐えられたから大丈夫!
——関さんのお話を聞いているととても落ち着いているなというのと、自分のことでも観察しながら物事を見ているんだなと思いました。
関:もちろん落ち込んだり、くよくよしたりというのもあるんですが、すべてにおいてではないんですが、そんなに長引かないんです。感情を整理してフタをするというか……。
でも、無理してそうしているわけではなく、そのほうが自分にとっても楽なんです。やっぱり、せっかく生きている時間をつまらない時間で支配されるよりも楽しい感情で笑っているほうがいいなって思うんです。なので、ついうっかり辛い感情は忘れて楽しいほうにいっちゃいますね。
——そうなんですね。
関:あと、がんになった友人と話していて意見が一致したのは「がん保険には入っておいたほうがいいよ!!」ということですね。
——実は気になっていたんです。お金めちゃくちゃかかるんだろうなって。
関:友人はがん保険には入っていなくて、「300万円かかった」と言っていました。私はがん保険には入っていたんですが、加入したばかりで審査期間中だったので保険金が下りませんでした。。
——ひえー、そんなケースもあるんですね。
関:はい。。抗がん剤治療など通院が地味に多いので、通院保障がある保険に入っておけばよかったと後悔しました。
——すぐに自分の保険の内容を確認します!
【第2回】装花デザイナーの私が乳がんになって…「それでも作ることを続けていきたい」
【第3回】がんになってもオシャレをしたい 私が乳がんのことを発信する理由
撮影協力:「モンブラン」〒152-0035 東京都目黒区自由が丘1丁目29−3
(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘/HEADS)