コルセットがなくても息苦しいこの世界の片隅で私たちが欲しいもの【鈴木涼美】

コルセットがなくても息苦しいこの世界の片隅で私たちが欲しいもの【鈴木涼美】

オルコットの世界的ベストセラー『若草物語』を映画化した『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』が6月12日(金)に公開されます。

都会に憧れるアメリカの17歳の少女の不安と不満タラタラの日々を描き、日本でも話題になった『レディ・バード』のグレタ・ガーウィグ監督とシアーシャ・ローナンが再タッグを組み、「これは私の物語だ」と思わずにはいられない作品が誕生しました。

結婚が幸せと信じる長女・メグ(エマ・ワトソン)、自分の体を顧みず人を助ける三女・ベス(エリザ・スカンレン)、お金が幸せと信じる四女・エイミー(フローレンス・ピュー)、そして小説家を目指す主人公の次女・ジョーがそれぞれの選択でそれぞれの幸せを模索します。

そこで、作家で社会学者の鈴木涼美(すずき・すずみ)さんに寄稿いただきました。

コルセットに絡まる後ろ髪

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家族をつくっていくことや愛する人のために生きることが、新しい時代の道や個性的な選択、自分の信念と角逐するとき、襲ってくる孤独をどうするか。向き合うとか乗り越えるなんて言葉はあまりに軽く、現実はもっと曖昧で根強い。

19世紀後半の米国を舞台に書かれたオルコットの自伝的小説『若草物語』は世界中の少女たちに読み継がれ、これまで幾度も映画やドラマ、日本ではアニメなどの作品として新たに生まれ変わり続けてきた。多くの人の印象が強いのはやはり1949年公開のマーヴィン・ルロイ版であろうか。私もそうだったのだけど、エイミー役のエリザベス・テイラーの真似をして鼻が高くなるよう洗濯バサミで挟んで寝たかつての少女たちはきっと少なくない。

そうやって愛されてきた、戦争や貧困などの困難な状況にありながらも明るさを失わず、母の教えや家族のつながりを糧に4姉妹が経験する日常や成長は、本作でも回想の中でたっぷり楽しめる。ただし、『レディ・バード』で少女と女性の間の逡巡や母への抵抗と執着の間の葛藤を巧みに描いたグレタ・ガーウィグ監督はそれに加えて、次女のジョーが小説家となるまでの心の揺れにフォーカスする。主演のシアーシャ・ローナンとは「『レディ・バード』に続くタッグで、19世紀後半の物語の中にある、現代女性にも通じるジレンマを丁寧に抽出し、更新した。

結婚をしない選択などほとんど存在し得なかった時代に、押し付けられるまでもなく当たり前にそこら中を埋め尽くしている価値観に違和を感じながら、しかしその価値観の魅力にも惹かれながら、ブチギレと迷いを繰り返し、彼女は4姉妹の物語を書き上げる。映画の中でメリル・ストリープ演じる伯母は、女の仕事など「売春宿を運営するか、ステージの上に立つか」くらいで、「女性が自分の力で生きることなんて不可能」と断言する。旦那を見つけることが生きていく条件と教えられた彼女にとって、妻や母という役割の籠の中から外に手を伸ばすための穴はものすごく少なく、それと比較すれば私たちのいる籠には無数の穴が空いていることは確かだ。

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それは、エイヤで通り抜けなくてはいけないほど荒々しくもなく、気付けば手足が飛び出ているほど広い穴で、ジョーが息を止めて突き破ろうとしたバリアなどないように思える。逆に言えば、そんな穴から手足をぶらぶら出している私たちは、彼女ほど気高くも強くもないように思える。しかし、後ろを向かずにただ強い意志で走り抜けたわけではない彼女の逡巡は、私たちの息苦しさを少し言い当ててくれるような気もした。

一度は作家になるためにニューヨークに出た彼女は、同じ下宿の学者に書いたものを酷評されたことと、妹ベスの身体の不調の報せが届いたことを機に、家族のもとに戻る。看病と家族の死を経験したあと、自分の幸福の道を見失うところは印象的だ。そして昔の全てを懐かしんだり、以前自分にプロポーズしようとした男と一緒になろうと考えたりしながら、無気力な毎日の中で、やがて突き動かされるようにまた足元の道を作り出す。そして当然、他の姉妹にもそれぞれの悩みと物語がある。

画家になる才能がないことを悟り、お金持ちとの結婚を計画するエイミーも、恋心を成就させたのちの押し寄せる現実や貧困と向き合うメグも、最も自由をもたないのに他者に与えることをやめないベスも、意志と動機と迷いのある女たちだ。彼女たちの物語が今後より詳細に描かれるかもしれないが、いずれにせよ、コルセットの中にいた時代もゆるゆるのデニムにはき替えた後の時代も、思いと幸福と守るべきものの間の葛藤は常にあった。

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ジョーは妻の籠、母の籠からの突破口としてペンを握るが、その手に常に力が入るわけではない。普遍的なものとは簡単に言えないが、伝統的なものの力や魅力は強いし、打ちひしがれている時ほど、その籠に身を委ねてしまってもいいかな、と思うのは私も一緒だ。フェミニズムがあり、ウーマンリブがあり、雇用機会均等法があり、そして時代が変わって複雑化しているけれど、伝統に後ろ髪を惹かれ、また温かいものを否定せずに、癇癪(かんしゃく)持ちの私たちは不安塗(まみ)れの選択を繰り返す。

ある者は結婚制度を拒絶するし、ある者は仕事に疲れ、ある者はバランスを取ろうと足掻き、またある者はあえて籠の中で自分らしさを見つける。正解がないのは当然でも、時々この自由という重みある餌を与えられた水の中で、上に向かって浮上しているのか、海底の探検のために潜っているのか、分からなくなる。仕事の成果で評価されない恋愛に身を委ねていると、全て諦めてしまってもいいかなという気分になるし、仕事が名前を与えてくれる時もある。

Jo March (Saoirse Ronan) in Greta Gerwig's LITTLE WOMEN.

コルセットがなくても息苦しいこの世界の片隅で

私自身が女性として、常に極端な選択から極端な選択を繰り返す若い頃を経験した。恋愛なんて非効率的だと一蹴したかと思えば、女の幸福なんて時代や教養で変えられるものじゃないと悟った気になったり、あるいは女の身体的価値を使って狡く生きられないか模索したりして、突然仕事を辞めたり、専業主婦になって淡路島か台湾に住もうかと画策もした。それは私が特殊なわけではなくて、全ての女性たちが、与えられた選択肢の多さに怯んだり、意外と自由のきかない人生にゲッソリしたりしながら、常にいろいろな方向に引っ張られる後ろ髪を痛い思いで振り解(ほど)きながら、浮上したり潜ったりしている。

窒息するくらいなら諦めてもいいと思う。かつて否定した価値観を取り戻すことだって悪くない。こだわりまくって周囲に距離を置かれても別にいいし、恋愛に甘えても、逆に失恋で逆ギレして仕事に没頭してもいい。コルセットがなくても息苦しい世界で、別に大して強くなんかない女たちが、救われはしなくとも肯定される、そんな瞬間を支えるのが映画や本や、母という存在なのかもしれない。籠や檻が複雑な形になればなるほど、私たちには気休めや安らぎや、そして手放しの肯定が必要だと、私は思っている。

Saoirse Ronan in Greta Gerwig's LITTLE WOMEN.

■映画情報
『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』
6/12(金)全国順次ロードショー

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