中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。
今回は、夫婦で参加した「ドナーの集い」で知った夫の本心と、もろずみさんの気づきについてつづっていただきました。
日記をのぞき見ていた私を許してくれた夫
前回、夫に嘘をついて日記をのぞき見してしまったお話をしました。その事実を、あろうことか取材記事で知った夫は、ショックを受けていたようでした。それでも夫は「だましたな〜」と、こちょこちょをしてきたくらいのことで、すぐに許してくれました。済んだことは水に流すさっぱりとした人でいてくれて感謝しています。
だけど……やっぱり怒っているんじゃないの? 腎移植についても言えてないことがあるんじゃないの?
私は夫のよき理解者にはなれないのかな……。もやもやした気持ちを抱えながら私たち夫婦は5月末に開かれた「ドナーの集い」に参加しました。それは私がお世話になった病院や関連施設で臓器移植を受けた患者さんで組織される「患者会」による勉強会で、移植者や同士が持つ共通の不安、悩みをシェアし、移植医療に関する情報交換が行われます。
その日は夫を含むドナーの方が中心となって、各々の体験談をシェアすることになっていました。
その日、シェアされたのは以下の3つでした。
・なぜドナーになろうと思ったのか
・ドナーになる現実をどう受け止め実行したのか
・術後の経過は順調か
交友関係が広くない夫が、第3者に向けて、夫婦の話をするなど、普段はありえません。夫は寡黙で、自分の気持ちを言語化するのが苦手。しかしここは「ドナーの集い」です。聞き手が夫の”同志”であるドナーさんとあって、夫は重い口を開き、隣で聞いている私がドキドキするほど饒舌に、当時の思いを語り始めました。
「妻と老後まで一緒にいることがしあわせだと思った」
「僕は、はるかさんにプロポーズされ、その申し出を承諾しました。その時彼女は『病気で妊娠できないかも、それでもいいの?』と、は心配そうに言いました。でも、僕にとって子どもは二の次でした。彼女と老後まで一緒にいられればしあわせだと思えたからです。
『僕の妻は病気なんだ』と自覚したのは、結婚2年目のこと。妻の妊娠がきっかけでした。妊娠すると腎臓に大きな負担がかかるそうで、妊娠4ヶ月で妻の腎臓は悪化し、妊娠中毒症になり、僕らは授かった大切な命を手放すことになりました。奇しくも、僕自身が生まれた病院で、僕らは我が子とお別れしました。
また同時期に、妻は“ネフローゼ症候群”になってしまいました。腎臓は一度悪くしたら回復することはないと言われているのですが、まさしく妻も回復の兆しはなく、悪化する一方でした。疲れやすくいつもぐったりしている妻を見るに見かねて、僕は2年前に『腎臓がほしいならあげるよ』と言いました。妻が元気でいてくれないと、僕も元気が出ないからです」
フルマラソンを走りきった後にやってきた恐怖心
そして夫はドナーになることを決めてからのことについて話し始めました。
「クロスマッチングテスト (腎臓を提供する人に対する、主にHLAに対する抗体がないかどうかを調べるもの)を受けた僕は正式にドナーになりました。ということは…半年後、腎臓を1つ差し出さないといけないわけです。ならば、手術までの半年は思い残すことがないよう過ごそう。僕は、趣味のフルマラソンで自己新記録を出すと心に誓いました」
この頃の夫がどんな気持ちでトレーニングに励んでいたのか、私は察してあげることができませんでした。夫は会社から帰宅すると「走ってくる」と言って姿を消し、汗だくになって戻ってきました。週に3度、10〜15キロ走り、月合計で170キロほど走りこんでいたそうです。
夫は半年の間に2度フルマラソンに出場しました。2度目の大会は移植手術のほんの2週間前。ドナーになるにはギリギリのタイミングでした。42.195キロも走れば、少なからず腎臓に負担がかかります。しかし夫は、誰がなんと言おうと「走る」という姿勢を崩しませんでした。
「移植をおこなう2週間前、僕は2度目のサブフォー(フルマラソンを4時間未満で走りきること)を達成しました。やりきったという達成感を味わえたのはわずかな時間で、すぐに現実に引き戻されました。僕を襲ったのは、いよいよ腎臓が1つとられる、という恐怖心でした」
そういえば手術の数日前、夫は「昨晩見た」と言って、夢の話をしてくれました。それは、机の上にコロンと置かれた腎臓を夫婦2人で眺めている奇妙な夢。きっと、夫は追い詰められていたのでしょう。そういう気持ちも、私は察してあげることができませんでした。
「震える足で手術台へ」
「手術当日、オペ室に向かう僕の足は震えていました」
るんるんと軽い足取りでオペ室に向かったあの時の私に「バカ!」と言いたくなりました。
手術の翌日、夫と私はそれぞれ腎機能を測定しました。手術はまさに大成功。私のクレアチニン値(腎臓の状態を表す数値)は移植するやいなや安定してくれました。
夫が私の結果を聞きに飛んできてくれたので(実際はよちよち歩きでしたが)夫と私は手を取り合って大喜びしました。すかさず私が「あなたの数値も大丈夫だよね?」と聞くと、なぜか夫は「それは秘密!」と言って、自分の数値を教えてくれませんでした。その理由もこの時にわかりました。
「僕のクレアチニンは、思った以上に悪くなっていました。移植後の妻より、ずっと。けれどこの事実を妻に知られてはならないと思った僕は、数値を明かすことはできませんでした。余計な心配をかけるだけですから」
「ドナーの集い」で夫の口から語られたのは、夫のクレアチニン値※が移植前の0.7から移植後は1.5まで一時的に上がっていたという事実でした。私がホッとしている隣で、夫は将来の不安を抱えていたのです。
※腎臓患者が認識しているクレアチニン値の評価基準は以下の通りです。0.7→すごく調子がいい/1.5→悪くない。現状維持したい/2.0→心配/3.0→すごく心配/5.5→移植なのか透析なのか今後の治療方針をすぐに決断すべき
誤解を避けるため、ここで、ドナーのリスクについて触れさせてください。2つある腎臓が1つになったら、なんとなく腎機能も「半分」になるとイメージしてしまいます。しかし一時的に腎機能が落ちたとしても、70~75%まで徐々に回復するのだそうです。その後、ドナーが腎不全になることは稀ですし、人工透析を受けるリスクは0.5%未満なんだそうです。
最後に夫は術後の経過について語ってスピーチを終えました。
「術後2週間ほどで痛みはひき、2カ月も経過すると移植前とほとんど変わりらないほど体調は回復しました。移植したことを忘れつつあるくらいです」
夫の話を、10~20年先輩のドナーさんたちは熱心に聞いてくださいました。「大変だったわね」「心配しなくて大丈夫よ。こんなに元気な私を見てごらんなさい」「うちの場合はね……」 などの相槌を打ちながら。
夫は、先輩ドナーさんたちの励ましを聞くうちに、「僕は大丈夫なんだ。今後もきっとうまくいく」と心が軽くなったようでした。
「孤独や不安も夫婦でシェアしたい」という私の傲慢
病を持つ人は、時に孤独です。周囲がどれだけその人を愛したとしても、病による苦痛をシェアすることはできないからです。
しかし夫は、苦痛が伴うことを承知で自分の腎臓を半分切り取り、これ以上ない「自分ごと化」をしてくれました。
私の孤独が晴れたのは、私のお腹に夫の腎臓があるからです。夫の体に数センチの傷があるからです。でも苦痛を分け合ったと同時に、夫は新たに自分の中にしかない孤独を背負ってしまったのかもしれません。
夫は私の前で語れなかったことを、同じ思いを抱えているドナーさんたちの前で饒舌に語りました。それが答えなんですよね。
夫のよき理解者になりたい、なんてのは私の傲慢です。夫からSOSがでない限り、そっとそばで見守っていよう。それが、彼への配慮なんだと思いました。
明日、6月21日は、私の3ヶ月検診です。病院に1泊して、移植した腎臓の機能を組織レベルで評価してもらいます。これを乗り越えれば、移植後最初の関門を突破したことになります。
必ず、良い結果を自宅に持ち帰りたい。
それが夫の頑張りに報いる一番の方法だと知るからです。
(もろずみはるか)