中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。
今回は「気が変わっても夫は本音を言えないのではないか」というもろずみさんの不安についてつづっていただきました。
夫は“ピン”ときているのだろうか
この連載、「夫の腎臓をもらった私」を読んでくださった方から感想が届くようになりました。特に男性は、夫に共感しやすいようで、「僕は妻に『(腎臓を)あげる』と言えるだろうか」そんなことを考えるのだとおっしゃっていました。その中の多くの人はこう続けます。「やっぱり、答えはすぐに出ない」。
それでいうと、うちの夫はあっさり「あげる」と言いました。正直なところ、私は不安でした。
だって命を扱う重い決断です。非日常的な決断とも言えます。
30代のこの夫は、「あげる」ということは、健康な腎臓をひとつ失うことだと“ピン“と来ているのだろうか、と。
全部はるかさんの思う通りにしなよ
ドナーは移植を決断すると、手術が行われるまでの半年間、心臓や肺、がん検診などあらゆるメディカルチェックを受けます。その中に、精神科医による「自発的提供意思の確認」という項目があります。
命を扱う重い決断であるからこそ、医療倫理の立場から「ドナー自らの意思によって移植を希望するのか」チェックするのです。
思いやりがある人は、時にやさしい嘘をつきがちです。相手を想うからこそ、「いいよ」と譲歩してしまう。本当は、よくなくても。夫はまさにそういうタイプの人です。その証拠に、結婚して以来、私は夫に何かを否定されたことが1度もないのです。
「いいよ、いいよ。全部はるかさんの思う通りにしなよ」
とてもありがたいけど、こと臓器移植において、やさしい嘘はご法度です。
そんな私の心配をよそに夫は難なく精神科医のチェックをクリアしました。
「どんな質問をされたの?」と聞くと、「移植を決断するまでの経緯を聞かれた」とだけ、夫は答えました。
夫のやさしい嘘を見抜くにはどうしたらいい?
夫の意思であるとお墨付きをもらったものの、私はまだ不安を拭えずにいました。
精神科医の診察が行われたのは昨年の12月。移植手術の予定日は翌年3月。診察から手術まで約3ヶ月あったからです。
「やっぱりあげたくない」と気が変わるには十分な期間です。
私は、夫の気が変われば、受け入れるつもりでいました。でも、きっと夫は「あげない」とは言えないでしょう。心のやさしい人だから。
私は、どうにかして、夫のやさしい嘘を見抜けないか思案するようになりました。それで思いついたのが、交換日記でした。
将来“交換”するための日記
といっても、ちょっと特殊な交換日記です。「移植手術後に”交換”しよう」と提案したのです。
1冊の日記帳を交互に回すのではなく、夫用、私用と、日記帳を2冊用意し、各々が自分の日記帳に思ったことをつづり、移植手術後に見せ合おうねと。
使ったのは、「ほぼ日5年手帳」。向こう5年で、夫婦関係は大きく変化すると思ったからです。手術をすれば夫はドナーになり、妻はレシピエント(臓器を提供される患者)になるということ。それにより妊娠が可能になれば、私たちは親になります。
日記を書く上で、ルールも設けました。
ルールは、忖度なし。
思ったことは全て書く。互いの恨みつらみも大歓迎です。
「わかった、移植前は絶対見ないでね。本当に、本音を書くからね」
そう言って、夫はなにもかも日記にさらけ出してくれました。
なぜ夫がさらけ出してくれたのか、移植前の私が知っているのか。
ごめん、夫。私、嘘ついた。
実は、私は夫の日記をずっとリアルタイムで見ていました。
夫の”本当の気持ち”を覗き見て
3ヶ月前倒しにしただけとはいえ、夫を欺いたという点で、携帯を盗み見する女性の気持ちがわかりました。なに、この罪悪感。
ドキドキしながらも、夫の日記をめくると……。
そこはホラーの世界でした。
私に抱いたあらゆる嫌悪感が、達筆な字で書きなぐられていたのです。
「なんで遅くまで仕事をしているんだ。はるかさんのために腎臓を取られる人間の気持ちを考えたことがあるのか」
「身勝手すぎる。嫌悪感で、はるかさんの顔をまともに見れない」
「今日は試しにはるかさんの肩に触れてみた。よかった、嫌悪感はない。この調子でいこう」
普段のやさしい夫とのギャップに、ページをめくる手が震えました。私への嫌悪感のほかには、こんな記述もありました。
「なるべく健康な腎臓をはるかさんにあげたい。お酒を断とう」
「風邪を引いたら移植手術が延期になる。毎日マスクしよう」
夫は重度の花粉症でもマスクは息苦しいからとつけなかったのに。
夫はドナーになることの責任や不安、私への不満、どちらも抱いていた。夫は、移植に関して、やさしい嘘などついていなかったのです。
移植後、ちょっぴり冷めた夫婦の温度感
「夫の腎臓をもらったら、夫婦関係はどう変わった?」と質問されることがあります。
夫の腎臓をもらってから、夫婦の温度感が少し下がった気がします。お風呂でいうと、45度から40度に湯が冷める感じ。断然、40度の方が心地いい。
思い起こすと移植前の私は、心配性でした。「私のこと好き?」と四六時中たずねる厄介な妻でした。また、移植前の夫も心配性でした。私の帰りが遅いと「顔を見るまで心配で眠れない」と言って、いつまでも起きている人でした。
しかし移植後、夫は私を待たなくなったし、私は夫に愛情表現を求めなくなりました。
移植を経て絆が深まり、相手への信頼度が増したためです。
数日前、何の気なしに「私のこと好き?」と聞いてみると、
夫は「まあまあ」と答えました。
以前は、「大好き」とか言ってくれたのに。
けれど、その真意を聞いて、納得。
「移植して長生きするんでしょ? ゆっくり焦らずいきましょう」
なんかもう、好きとか嫌いとか、嘘とか本音とか、なんでもいいや。
今、目の前にいてくれること。それが一番大切に思えるからです。
(もろずみはるか)