田舎暮らしに必須なのが交通手段の確保だ。数分おきに電車がやってくる都会と違い、今、私が暮らす村では電車は一時間に1本。どうしてもクルマが必需品となる。
東京時代、免許はほとんどペーパードライバーだった私には、引っ越してきて最初のハードルが運転だった。
深い霧の中、クルマで凍死の危機
昨年の4月1日、立山町で最初にクルマを運転した日。東京時代、クルマを手放して10年近く経っていたので、久しぶりの運転だった。忘れもしないその日は、まるでホラー映画「ザ・フォッグ」のごとく、あたり一面に深い深い霧が立ち込めて、私は山に向かって家路を急ぐべく、恐る恐るハンドルを握った。
ようやくガレージに着き、ホッとしたのもつかの間、エンジンが切れない。いや、切ろうと思ってキーをまわすが、カーラジオが消えないのだ。「あれ?おかしいな」と思ってもう一度、キーをまわすがやはり、音楽は鳴り止まない。
4月と言えどもクルマの中は寒かった(いま思えば、暖房をつけていなかったせいだが、その時は、暖房のつけ方さえ知る由もなく)。途方に暮れた私は、家のすぐ裏にすむ白川のお母さんに電話をかけてSOSを求めた。携帯電話越しに「ああして、こうして」と遠隔で指示を受け、その通りにキーを切ろうと試みるが、音楽は止まず。
スマフォで、「クルマ エンジン ラジオ消えない」など、思いつくキーワードで検索もしてみた。徐々に寒くなってくるクルマの中。寒い。このままでは車中で凍死してしまう……。もうあきらめようか。
だけど、このまま、一晩中、音楽をかけたままだと、間違いなくバッテリーがあがってしまう。そんなことを思いながら、半ばやけっぱちに勢い良くキーをまわすと、ようやく最後までエンジンを切ることができた。
音楽はやんだ。そんな運転初日。くわばら、くわばら。
クルマにも人間のような「個性」がある
最初は対向車線にクルマがずらっと並んでいるのを見るだけで、ドキドキした。クルマが無機質な「機械」に見えて、まるで威嚇されているような気分で怖かったのだ。
1年半も経ってようやく、クルマも一台一台、人間の「顔」みたいなもので、いろんな個性があり、決して怖いものじゃない、と思うようになった。立山町で知り合ったお父さんの一人には、「運転は、『お先にどうぞ、どうぞ』と譲る精神が大事」とアドバイスされた。なるほど。
無理に進もうとせず、迷ったら相手に譲る。なかなか深イイ言葉。そして、妙に腹に落ちた言葉だった。
田舎暮らしはイコール、クルマ社会
東京と違い、道を歩いている人の方が少ないので、歩行者は目立つ。
特に夜は街灯もなく漆黒のような暗闇なので、夜歩く場合は「反射タスキ」と言って、暗闇で光るタスキを肩からかけて歩く(これが最初、何か分からなくてビックリした)。一瞬カッコ悪いけれど、命には代えられない。
何より自分が運転してみると、この反射タスキのありがたみが良く分かる。反射タスキをかけずに夜、歩いている歩行者やランナーを見ると、「命知らずか!」と突っ込みたくなる。
そして、雪国の運転で大事なのがスタッドレス・タイヤに履き替えること。これは一般的に家庭では旦那さんの仕事だ。心配した友人から、「タイヤ、どうした? オンナ一人だと誰がタイヤ交換やるの?」と聞かれた。
自力でタイヤ交換できたらカッコいいのだけど、さすがにそこまでは出来ない。それに、何でも一人で出来ちゃったら、ますます婚期が遅れそうな気がするのだ(もう十分、行き遅れているけれど……)。
そう、私の場合クルマはリースなので、リース会社がスタッドレスに換えてくれる。
そして、これはどの地方でも同じだと思うけれど、高齢者ドライバーが多い。
マナーについては、ウィンカーを出さずに右折したり、対向車が来たら上向きライトを下げる(まぶしいので)のが都会のマナーらしいが、田舎では上向きのままが多い、とか、色々なクルマネタを聞いた。
大阪から来た修学旅行生をクルマに乗せて走っていたら「すれ違うクルマの運転席にいる人が妙に小さくて、座高が低い! おじいちゃんやおばあちゃんが運転してる!」と驚かれたものだった。
そう、田舎暮らしはイコール、クルマ社会。それはすなわち、運動量が減る、歩く機会がなくなる。ちょっとそこまで行くにも歩かない、ということも意味する。
東京時代、街歩きが好きだった私にとって、ふらりと路地裏散歩が出来ないのは少しストレスで、とても残念なことなのだ。
写真:松田秀明
(高橋秀子)