東京移住女子 第8回

「公務員になりなさい」母の“呪文”はずっと消えない 10LDKの家でひとり思うこと

「公務員になりなさい」母の“呪文”はずっと消えない 10LDKの家でひとり思うこと

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住むところが変われば、当然だが、家も、住環境も変わる。これまで集合住宅でしか暮らしたことのなかった私に町から与えられた住まいは、10LDKの一軒家だった。おんなお一人様の、人生初の一軒家暮らし。やはり、自分が心から望んだことは、何らかの形で実現するのだ。

人生初の一軒家は、10LDK

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移住する前、住居を用意してくれた町役場から送られてきた家の地図。

引っ越してくるまで、富山には通ったけれど、立山町には正直、詳しくなかったので、地図を見ながらも、「千垣(ちがき)」という場所がどれだけ山深い場所なのかわからなかった。新しく住むことになる住所を、富山出身の友人に伝えたら、「秀子ちゃん! そ、それは、大変なエリアだよ! 高校時代、千垣に住んでいる友達がいたけれど冬は吹雪で帰れなくなっていたよ」と教えてくれた。

親は東北出身の雪国生まれなのに、私は寒いのが苦手なのだ。夏の暑さならどれだけでも耐えられるのだけど、寒さは、私から「体温」だけでなく「やる気」「モチベーション」「パッション」など、すべてを奪いさる。

そんなディープな雪深いところに住めるのかしら、とドキドキしながらの初年度だった。幸いにして昨年は暖冬で、雪にはほとんど悩まされることなく。移住する前、富山のお友達が私の住む家をわざわざ下見に行って、写真を送ってくれた。こんなとやり取り一つにしても、やはり、富山のお友達はとことん、面倒見がいいのだ。

そして役場からいただいた電話で、住むことになった家の間取りを聞いてビックリした。

「高橋さんに住んでもらう家ですが一軒家をご用意しました」

「はい。ありがとうございます」

「間取りですが、お部屋が10部屋ある10LDKで」

「えっ!? じゅ……じゅうLDKですか?」

電話を片手にズッコケそうになった。それまで、私はアパートや団地、マンションなどの集合住宅にしか住んだことがなく、一軒家に淡い初恋のような「憧れ」を持っていた。にしても、単身で引っ越してきたのだから、せいぜい、4LDKとか、それくらいを想像していたが、それは甘かった。

必ず聞かれる「寂しくないんですか?」

移住女子④

そう、富山の一軒家は「デカい」のだ。家の話をすると、たいてい、みんなこう聞く。

「そんな大きな家に一人で寂しいでしょう?」と。

それが、まったく強がりでないのだけど、「寂しくない」のだ(きっぱり)。

そこで、嘘でも「そうなんよ。一人の夜は寂しいんよ……」とでも言えば、そこから淡いロマンスでも生まれるのかもしれないが、本当に寂しくないのだから、仕方ない。いやっ、ここは文脈上、「少しは寂しい」としておこうか……(否!)。

この広い家が何に役立つか、と言えば、自宅を開放して町おこしのイベントをやる会場にしたり(これまで、地場野菜を使ったお料理会、一日ライター講座などのイベントを開催した)、「民泊」と言って、大阪や東京から来た修学旅行生を一般の家で受け入れ、農業体験などをしてもらう立山町の事業があるのだが、この民泊の際、子どもたちを泊める「宿泊先」として、この部屋数は役に立つ。

中学3年生の女子たちと、一緒に畑作業をしたり、台所でご飯を作ったり、一緒に温泉に入ったり、「なんちゃってお母さん」気分で1泊2日をともにするのだけど、この時も、子どもたちに聞かれたものだった。

「秀子さん、こんな広いお家に一人で寂しくないんですか?」と。

来たな、この質問。ここは、マニュアル通りの答えをしようと、私はニヤリと内心ほくそ笑みながらも、「そうなの~!めちゃ寂しいの。だから一緒に暮らしてくれる旦那さんを募集中なのよ~」と可愛らしさを装って答えたものだった。

母の言葉「公務員になりなさい」

移住女子4ー⑤ (1)

そういえば、子どもの頃から広い台所に立つのが夢だった。それまで、集合住宅しか経験のなかった私は、母と台所に立つのも窮屈な家しか知らなかったので、いつか、大勢でお料理しても、大丈夫なほど大きな台所に憧れがあったのだ。

それが、いま、こんな形で実現するなんて。

ところで、うちの母、生前から私に呪文のように「公務員になりなさい」と言い続けた。
恐らく父が、サラリーマンでなく、お給料が安定しない職業だったので、娘の私には安定を求めたのだと思う。

大学を出て、何度か転職を重ねた私は、新聞社に外部ライターとして出向して、全国紙で記事を書くようになった。それから間もなくして母に病が見つかり、仕事と病院を行ったりきたりする生活が始まった。今から10年以上前の話だ。

毎週のように病院に、自分の書いた記事を持っていった。ベッドの上で、嬉しそうに目を細め、記事を眺める母。さすがに母も、私の仕事を認めてくれているだろうと、思い切ってある日、聞いてみた。

「もういい加減、私に公務員になってほしいなんて思わないでしょ?」

すると母は、弱りきった顔の中にも、目をキラリと輝かせてこう言った。「ううん。おっかあは今でも、デコちゃんに公務員になってほしいと思っている」思わずズッコケそうになった瞬間だった。

新しい扉を開くのは、自分の意思

そんな私は、今、立山町役場に席を置かせてもらい、移住者のサポートを行っている。この年にして、人生で初めて役場の仕事の流れを知ることになった。

きっと母の呪文が、こんなカタチで今も生きているのだなぁ、と。そして、いくつになっても、新しい扉を開くのは、自分の意思なのだ。

それにしても、とことん、「命綱」のない私の人生だ。日々、悩みは尽きないのだけど、それでも近い将来の自分の姿をイメージすると、ニヤリと笑いがこみ上げてくる。

多分、この先もどうにかなるだろう、私の人生。

写真:松田秀明

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東京移住女子物語

東京に生まれて、大学も就職も、生活の拠点はずっと東京。それが、ひょんなことからキャリアをリセットしてIターン&お一人様で富山県へ。 仕事、暮らし、人間関係……。42歳にして、まったく未知の世界に飛び込んでしまった、おんなお一人様の移住物語である。

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