こんにちは、アラフィフ作家のにらさわあきこです。
別人級のメイクテクを持つ二十歳の女子大生、姪のキョウカからノウハウを盗む(まなぶ)このコラム。今回は、メイクを通じて感じたイマドキ女子大生のマインドについてです。
具体的には、なにかを選ぼうとするときに「できる・できない」という考えに縛られるか?
という話です。我ら大人との違いを見つつ、今回も学んでいきましょう。
顔を変えても個性はある
これまで書いてきた通り、キョウカは1日に2時間もメイクに費やしています。なぜかというと、理想の顔をメイクで実現するため。理想のためには、眉を剃ったり、アイプチを使ったりするなど己の顔を隠す(または消す)ことも厭(いと)いません。
そういうタイプの若い女性が今は多いせいなのか、SNSを見ていると同じような目鼻立ちの女性たちの顔がずらり……。韓国の女性アイドルや日本のグループアイドルたちも私からすると同じような顔に見えてしまいます。
とはいえこうした現象は今の時代に限ったことではなく、昔から「若い女性は同じような顔を作りたがるもの」だったのかもしれません。たとえばヤマンバメイクとか、紀香カットとか、もっとさかのぼって聖子ちゃんカットとか。
ただし、これまでと大きく違って感じられ、なおかつ、私が大きな衝撃を受けて連載を始めるに至った大きな事実がひとつあります。それは、「装う」という段階から「変える」領域に踏み込んでしまったのではないかということ。整形だけでなくアイプチやカラーコンタクトなどに対しても思うのですが、そこはもはや「装う」ではなくて、「変える」領域なのでは?
とはいえ顔を変えたからと言って、「その人がその人であること」が個性であるとするならば、どんな「なり」であろうとも、その人はその人らしいと言えるわけで、顔がどうであれ(似たような顔であれ)、個性が消え去ることはない……という立場で私はあるのですが……。
つまりキョウカと伴走する中で私が新しく発見したのは、「若い女性は昔から同じような(素敵と言われる)顔になりたがる」傾向があり、「今の時代はそれを実現しやすくしている」ということでしょうか。
「できる・できない」でスタートしない
では、なぜ若い女性たちは同じような顔になりたがるのでしょうか。
たとえば私たち大人は、そこまでしてなりたい顔になろうとはしないですよね。
その理由を考えてみたのですが、「1・そもそもなれないと思ってしまう=できるできない問題」と、「2・自分の顔を受け入れている=自分をそこそこ好きになれている」ということになるのではないでしょうか。
2については、時間をかけて自分とつき合っていく中でたどり着く境地だと思うので、年齢や人生経験に関係している気がするのですが(よって、実は年齢でくくれない面はある)、1についてはある意味学ぶべき点だなあとも思います。
というのも、私や周りの大人たちを見ていると「できるか、否か」で物事を選択する習慣がついている(と思える場面が多々ある)のに対して、キョウカ世代は「自分の純粋な願望の実現を目指すこと」ができている……。もっと言うと、私たち大人は自分の純粋な願望に向き合うことから目を背けているとも言っていいのかもしれません。
特に私は偏差値教育世代なので、「やりたいこと」よりも「できること」で選択をスタートする習慣があります。より正確に言うと、私自身はそういうルートから逸れた自由業に生きているので、同世代の中ではそこまでではないと思っているのですが、それでも「できる・できない」でものごとを考える思考があるという自覚はあります。
また、周りには実際、「できない」に縛られてやりたいことに踏み出せないでいる大人たちも大勢います。それどころか、「自分がやりたいこと」や「希望」がわからなくなっている人もいます。
「できないの壁」とでも言いましょうか、「できる・できない」に人生を縛られているのです。
「できないの壁」を乗り越える「叡智」!
一方で、タレントの渡辺直美さんなどを見ていると選択に縛りがなく、自由だと感じます。「芸人ならこうすべき」という「べき」を超えた生き方をしていると言いますか、やりたい思いに純粋で、まっすぐに進んでいる印象があります。
そんな彼女は、メイクを見ていても「べき」を乗り越えていて、おしゃれでかっこいい。それは、彼女の中に「なりたい」を実現する「欲望力」がキープされているからなのかなとも思います。
そしてキョウカもその世代の子たちも、少なくともメイクにおいては「なりたい」「したい」を実現する欲望をキープできているように私には見えるのですが、それができるのも現代のメイクテクニックやグッズのおかげだとするならば、「別人級メイク」も悪くないのではないかとも思います。
希望を叶えるのに「邪魔するもの」があるとするのなら、その「邪魔」を取り除くことこそが、人類の叡智であり、進化ではないかと私は思っているからです。
ただし、その「理想」自体が本当に自分の希望する理想なのかを疑う心を持ってほしいと、オバとしては思います。
もちろん、「失敗」や「後悔する選択」をすることも含めて全てはひとりひとりの生き方でしょう。「失敗しないように」との助言すら余計なお世話であるわけで、失敗する人が増える未来も、若い世代や私たち大人が選んだ未来の一つの形なのでしょう。
ただ、言えることは、大人世代こそ「先の可能性」に左右されて、今の自分の願望にフタをするのはもったいない。大人の私たちこそ、自分の願望にフタをする習慣を解き放ち、今この瞬間から自由な発想で生きられたらいいなとキョウカの世代の生き方を間近で見て、私は強く思いました。
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最後に。
キョウカが21歳になったので、「二十歳のキョウカ」にメイクを習う連載は今回でいったん終了します。また、学ぶべき要素を見つけたら、その時には改めて何か書いていこうと思います。ご愛読ありがとうございました。
●自己紹介
キョウカ
二十歳の女子大生で、にらさわの姪。専攻はメディア論だが、専門の勉強以上にメイクに時間と情熱を注いでいる。欲望にフタをしないタイプで、別人級のメイクを実現する。
にらさわあきこ
文筆家、時に美容研究家。美肌と美ボディ作りを追求していて、普段はノーメイク。著書は、『未婚当然時代』(ポプラ新書)、『婚活難民』(光文社)ほか多数。