いつか一度は旅してみたいキューバ。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を生んだラテン音楽の天国に憧れている人も多いはず。カメラとひとり旅をこよなく愛する編集者兼ライターの宇佐美里圭(うさみ・りか)さんが、キューバを訪れた時、彼女の身に起こったこととは?
街を歩く女性をうんざりさせるもの
11月25日、フィデル・カストロ前国家評議会議長が90歳で亡くなりました。1959年にキューバ革命を成し遂げてから、およそ57年にも渡り権力の座にあったこの人物を、「独裁者」と呼ぶ人もいれば、「英雄」と崇める人もいる。一言で「いい、悪い」では片付けられない、稀代のカリスマだったことは確かです。
私が初めてキューバへ行ったのは2002年のこと。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のアルバムがリリースされたのが1997年。同名の映画が日本で公開されたのが2000年。ちょうど世界中で「古き良きキューバ」への憧れが再燃していた頃です。
いざ行ってみると、まさにそこはイメージ通りの“キューバ”。古いスペイン風の建物が並ぶ旧市街に50年代のアメ車が走り、どこからともなくサルサが聞こえてくる。もちろんマクドナルドもコカコーラもなく、広告といったら「Hasta la Victoria(勝利するまで)」というプロパガンダのみ。映画で見たままの、“キューバすぎるほどキューバ”な光景でした。
しかし、こんなに素敵な街なのに、すぐさま外を歩くのがイヤに……。キューバ風ピロポ(男性から女性へ、すれ違いざま言葉を投げかけること)があまりに強烈だったのです。ラテンアメリカでは多かれ少なかれある風習ですが、その表現の仕方がハンパない! 10秒に1回くらいの割合で何か言ってきます。満面の笑みで何か言うのはまだいいものの、後をついてきたり、腕をつかまれたり、突然道でひざまずいてロマンティックな詩をうたいだしたり……。
一度は、いきなり目の前でおじさんがバタっと倒れたことがありました。びっくりして立ち止まると、「君の美しさに心臓が止まって、倒れてしまったよ!」。ここまでやれば上等。そこに居合わせた人みんなが大爆笑でした。
断っておきますが、これは美人、不美人関係なく若い女性なら誰でも体験することです(当時は私も若かった)。今は状況も少し変わっているかもしれませんが、私のまわりにいた女性観光客は、みんなしばらく外を歩く気が失せていました。
そんなキューバでしたが、さらにびっくりしたのが、働いている子どもが一人もいないことでした。そう、一人も!です。もちろん、物乞いをしているホームレスもいません。それは、他の南米諸国では見たことのない光景でした。すべての子どもが教育を受けられるということは、日本にいると当たり前のようですが、決してそうではありません。これが社会主義国キューバなのだ、と強く印象に残りました。
一方で、あれ?と思うことも。まず、みんなどこか“不満気”なこと。一見明るいとはいえ、会う人会う人、口を開けば愚痴ばかり。配給手帳を取り出して、「食べ物は配給されるけど、これじゃ全然足りない」とか、給料が安い(医者でも月給20ドルほど)とか、モノがないとか、外国に行けないとか、とにかくありとあらゆる不満を外国人の私に訴えてきます。
確かに、お店に入ってもビスケットや日用雑貨がガラスケースにぽつんと並べられ、スペースの10分の1くらいしかモノが並んでいません。でも、だからといって大半の人は何かをするわけでもない。何かできるわけでもない。そう、亡命する以外は……。
あるキューバ人の若者が私にこんなことを言いました。
「僕は人生で戦おうとは思わない。ここでは意味がないし、変わるときがくれば変わるから。どんなことにも耐える準備はできているんだ。モノがないからといって不幸にはならないでしょう。パンしかなければパンを食べればいい。卵がないと不満を持つことはない。あるものの中でどうにかするんだ」
長い間じっと待っていた“変化”が起こったいま、彼らはどういう方向に向かって行くのでしょうか……。