昔から他人の顔色をうかがってしまうところがあって、相手の機嫌が悪かったりすると「私変なこと言ったかな?」などつい自分のせいにしてしまう部分があります。最近は自分と相手の間にしっかりと境界線を引くことを意識しているので、同僚や上司などいわゆる「会社の人」の機嫌が悪くても特に気にならなくなったのですが、友人や親しい関係の人の表情やしぐさはつい気になってしまいます。対処法があれば知りたいです。
大人になると友人が減って人脈が増える理由
若い頃はまだアイデンティティが確立していないため、「友人」という共同体に身を寄せ、その共同体をアイデンティティのよりどころにする必要があるわけですが、その共同体の中で自分の居場所を確保するために、「周りと合わせなければならない」というムラ社会のような暗黙の掟(おきて)を守る必要があるのです。
だから互いを相互監視をして、互いのご機嫌うかがっている関係性になるわけですね。
何よりもパーソナリティを求められるその社会性には、常に「お前は何者なのか」を問われることになります。
友情は強い結び付きではあるのですが、その副反応として息苦しく窮屈な思いをすることは誰でも心当たりがあることでしょう。
しかし、大人になりアイデンティティが確立されてくると、そのムラ社会のような関係性は必要なくなっちゃうんですよね。
友情という輪にしがみつかなくても、自分のアイデンティティは自分の中にある。
そうなると小さなムラ社会の共同体を捨て、広く大きな社会に単身で身を寄せるようになるわけです。社会は自由な市場なので、市場の倫理さえ遵守していれば、外見も性格も出自も一切問われない自由な構造になっています。
自分が何者なのかを問われることもなく、基本的に利害が一致していれば誰でも市場に参加することができる優しい世界です。
パーソナリティを求められることがないため、誰の機嫌を伺う必要もないし、誰が機嫌を取ってくれることもありません。
ゆえに友人のような強い結び付きではなく、他人以上友人未満といった利害関係を基本とする緩いお付き合いになります。
だから大人になると友人は減り、その代わりに人脈が増えていくという逆転現象が起こるわけですね。
気遣いがあるからこそ強い結びつきができる
ただ、大人になったとしても完全無欠なアイデンティティを持てるわけではありませんから、最小限の強い結び付きは必要になります。
それが恋人や家族、または親友のような、互いのパーソナリティを主とする利害のない関係性です。
利害がない代わりに互いのパーソナリティを重視する関係性になりますので、その人のご機嫌をうかがうことは至極当たり前のことであり、それは自分だけでなく双方がやっていることです。
気遣いは「お互いさま」なので、「自分ばかりが」とは思わないように。
その気遣いがあるからこそ強い結び付きになっているのだと思ってください。