“切り取り”やタイパ視聴対策も万全? “今”をふんだんに詰め込んだ『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』

“切り取り”やタイパ視聴対策も万全? “今”をふんだんに詰め込んだ『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』

米マーベルコミックスの人気キャラクター・スパイダーマンの活躍を描いた劇場版アニメ『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018年、日本公開は2019年)の続編『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』が6月16日に公開されました。

公開週末3日間(6月16日~18日)で動員24万8,602人、興行収入3億9000万円を突破。新作映画で初登場1位を記録し、世界中でヒットしている本作について、音楽プロデューサーの渋谷ゆう子さんにつづっていただきました。

スパイダーマンの正体とその苦悩とは?

恋人やパートナーとのデートで映画鑑賞を考えたとき。休日のゆっくりした家族や友人たちとの時間を配信の映画を見て過ごすとき。ヒーローものの作品を提示されて、思わずしぶってしまうことはないでしょうか。見たい映画が合致せずに険悪になってしまうことも。でも大丈夫。今まで全くアメコミ作品やヒーローものに興味がなかった方も楽しめる、新作『スパイダーマン :アクロス・ザ・スパイダーバース』をご紹介いたします。

赤と青のボディースーツを着て、ビルを飛び渡り、粘着糸を出して悪をやっつけ、市民を助ける。スパイダーマンといえばこの程度しか知らないという方もいらっしゃることでしょう。昔からあるアニメ、という印象もお持ちかもしれません。そうです。スパイダーマンはなんと60年以上にわたって愛されてきたキャラクターなのです。マンガやアニメ、実写化された映画なども含め数多くの作品が愛されてきました。スパイダーマンも一人ではなく作品によって登場するキャラクターもさまざまです。テレビや映画などシリーズは多くありますが、それぞれは独立したストーリーとなっていますので、どの作品から見始めても十分楽しめます。

スパイダーマンの正体は、ごく普通の人、「親愛なる隣人」とされる人物です。ある日放射能を浴びた蜘蛛(くも)に噛(か)まれ、特別な力を手にしたことで、これまでの日常が一変。事が起きればスパイダーマンに変身して市民の安全を守るために戦うという、世界を救う使命を背負うことに。愛する家族や恋人を守るために戦っているのに、正体を隠し、日常の幸せと引き換えに戦うことを選ばなければならないヒーロー。それがスパイダーマンです。

映画シリーズをざっとご紹介すると、2002〜2007年『スパイダーマン』シリーズ、2012年〜2014年『アメイジング・スパイダーマン』シリーズ、2017〜2022年『スパイダーマン:ホームカミング』と、主人公ピーター・パーカーの物語が展開されてきました。『スパイダーマン:スパイダーバース』と本作はピーター・パーカー亡きあと、スパイダーマンを継承した高校生マイルス・モラレスの物語が展開。「運命を受け入れろ。」というコピーはそのままで、作品の継承性と根底に流れるメッセージのつながりを印象付けています。

マイルス・モラレスは黒人とプエルトリコ人の両親を持つニューヨークに暮らす高校生。ある日、蜘蛛(くも)に噛(か)まれたことで超人的な力を身につけ変化してしまったマイルスが、運命に与えられてしまった役割にまだ折り合いがついていない状況が描かれます。

誰にでも「何か」は起こる…スパイダーウーマンの描かれ方

本作のマイルスの物語の特徴は、時空がゆがめられたことによって、異なる次元で活躍するスパイダーマンたちが集結していること。本作冒頭では、マイルスではなくもう一人のスパイダーマン、いやスパイダーウーマンとなってしまったグウェン・ステイシーの登場で始まるところが見逃せません。そう、スパイダーマンは一人ではなく、しかも男性だけのヒーローものではないのです。グウェンもマイルスと同じく高校生。ドラム演奏の好きなクールで機敏性もパワーも持ち合わせたスパイダーウーマンとして描かれます。本作のプロデューサーであるクリスティーナ・スタインバーグは、自身の幼い娘がスパイダーウーマンに感激する姿を例に挙げ、「この映画は私たちに可能性を探るチャンスを与えてくれた」と話しています。

本作では、女子高生がかっこよくスパイダーウーマンに変身するだけではありません。グウェンのほかにもう一人、ジェシカ・ドリューというスパイダーウーマンが登場しますが、彼女は大きなバイクに跨り、的確に状況を判断しながら指示を出す有能なベテランとして描かれます。しかも彼女は妊娠中という設定で、大きなおなかの姿を見たときは正直驚かざるを得ませんでした。ここまでの多様性がアメリカのアニメに必要とされているのかという単純な疑問とともに、「運命をどう受け入れるか」を突き付けられるのは、女性だろうが妊婦だろうが個別の事情には関係がないということ、つまり事件は“どこにでも起こりうる”という単純なリアルの恐怖もありました。

先述のスタインバーグはこの妊婦のスパイダーウーマンに関して「最も強く、最も印象的なスパイダーウーマン」と称しています。私自身も母親のひとりとして、こうまで母は強くあらねばならないのかと、女性に求められ強いられる映画が、少々リアルすぎで心が痛くもあるシーンです。さらに前作までの主人公スパイダーマンであったピーター・パーカーは赤ん坊を抱っこ紐(ひも)で抱えて戦いに向かう姿で描かれています。妊娠している女性であろうが育児男性であろうが日常の中に“何か”は起こりうるわけです。

こうしたある意味当たり前のリアルの中でさらには、人種の捉え方も組み込まれています。スパイダーマン・インディアやスパイダーマン2099のミゲル・オハラなど、国や人種の異なるスパイダーマンの登場です。彼らはコミックでもすでに登場していますが、本作品で最重要な役割を果たすあたり、ハリウッドが、ひいてはアメリカ文化や世界市場が何を重視しているかが透けて見えます。近年のインド映画の台頭とそれを熱心にPRしていく市場、アカデミー賞が白人以外の俳優に焦点を当てる理由。そこに単なる映画の出来や演技の秀逸さだけを表すものだけを見ているものでないことは明確でしょう。

多様性を反映? マルチバースの描き分け

多様性が意識されているのはストーリーや設定だけではありません。本作は内容の複雑さをアニメーションによって明確に場面分け、色分けすることにも成功しています。それぞれのスパイダーマンがもといた世界は多次元の空間のひとつで、それぞれの世界は違うタッチ、映像の作り方をされています。目で見る世界の違い、映る景色の違いで、個々の違った価値観と生き方を持つスパイダーマンの多面性を、画質や印象の異なる質量と色彩で強調しています。

こうしたマルチバースの描き分けは、圧倒的なCGアニメーションの芸術性を高めたクリエイティブ・チームの功績です。コミックブックの中に入ってしまったかのような古い質感や、近未来的な2Dルックを没入型の3Dに落とし込んでいく手法など、ビジュアルの秀逸さと色彩感覚にはどの分野の人も学べることが多いでしょう。

タイパ世代への対応とアンチテーゼ

さらには、映画としての本作の有り様からは、今のメディアの様相に沿った作りを提供している側面が見えます。シナリオが、キャラクターたちのセリフやモノローグを長尺で成立させるのではなく、一言一言が独立してそれだけで機能するよう練られていることで、スパイダーマンという素材が60年前の物語であっても、現在の映像作品としての作り方が随所に感じられます。会話のキャッチボールというよりはむしろ、バッティングセンターで一打ずつに気合をこめて完結させるような、シーンごとに完成度が高く構成されています。TikTokやYoutube shortなどの映像で、シーンを数秒で切り取ってPRのために使用しても、個々のセリフと構図が映画の本質を損ないません。こうした手法はSNSでの拡散によるPRに多いに役立つことでしょう。

一方で、日本でも話題になっているタイムパフォーマンス視聴(速い再生速度で鑑賞すること)では、話の筋が追えないほど場面展開は早く、構図の切り替わりとシチュエーションの転換を畳み掛けるように進めていきます。早送り視聴ではこの映画のストーリーを追うことが難しいと言わざるを得ません。しっかりと映画を見ることによってのみ、真に内容を理解できるよう仕掛けること。これも映画を制作する側から現在の視聴者に向けたメッセージであり、映画の価値を上げる対応のひとつと言えるでしょう。音楽プロデューサーとして、MVなどの映像のディレクションをしている身からすると本作のそうした視点もまた、興味深い一側面です。

『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』は、普通の高校生だったマイルスが「運命なんてブッつぶせ。」と、今ここにある選択の自由を果敢に握っていくさまに、また自分の存在意義を問い続けながら戦うさまに、ただただ感情移入して楽しむこともできる優れた娯楽映画です。しかしそれは、例えるならミルフィーユの一層目でしかありません。その娯楽映画の下には何層も重ねられた、練られたストーリーとシナリオ、そしてそれを支えるクリエイターたちの戦いがあります。それがこの映画のおいしさの根本です。アメコミに興味を持てなかった方もぜひそんな視点を取り入れながら、楽しんで鑑賞していただきたい作品です。

■映画情報

タイトル:『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』 (原題 :『SPIDER-MAN: ACROSS THE SPIDER-VERSE』)
監督:ホアキン・ドス・サントス、ケンプ・パワーズ、ジャスティン・K・トンプソン ・
脚本:フィル・ロード&クリストファー・ミラー、デヴィッド・キャラハム
声優:シャメイク・ムーア、ヘイリー・スタインフェルド、ジェイク・ジョンソン、イッサ・レイ、ジェイソン・シュワルツマン、ブライアン・タイリー・ヘンリー、ルナ・ローレン・ベレス、ヨーマ・タコンヌ、オスカー・アイザック
日本語吹替版声優:
小野賢章<マイルス・モラレス/スパイダーマン>、悠木碧<グウェン・ステイシー/スパイダー・グウェン>、宮野真守<ピーター・B・パーカー/スパイダーマン>、関智一<ミゲル・オハラ/スパイダーマン2099>、田村睦心<ジェシカ・ドリュー/スパイダーウーマン>、佐藤せつじ<パヴィトル・プラパカール/スパイダーマン・インディア>、江口拓也<ベン・ライリー/スカーレット・スパイダー>、木村昴<ホービー・ブラウン/スパイダー・パンク>
日本語吹替版音響監督:岩浪美和
日本語吹替版主題歌:LiSA 「REALiZE」
コピーライト:(C)2023 CTMG. (C) & ™ 2023 MARVEL. All Rights Reserved.   

SHARE Facebook Twitter はてなブックマーク lineで送る

この記事を読んだ人におすすめ

この記事を気に入ったらいいね!しよう

“切り取り”やタイパ視聴対策も万全? “今”をふんだんに詰め込んだ『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』

関連する記事

編集部オススメ
記事ランキング

まだデータがありません。