映像化もされた小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)で知られる作家の燃え殻さんによる初エッセイ『すべて忘れてしまうから』(2020年刊、扶桑社)の文庫版(新潮社)が7月28日(木)に発売されました。
文庫版の発売を記念して、恋愛や人生にまつわるツイートが人気を博し、SNSの総フォロワー数が約100万人を誇り、7月14日には新刊『かっこ悪くて、くだらなくて、でも安心できる。人はそれを愛と呼ぶ。』(大和出版)を上梓した、作家のニャンさんに書評を寄稿いただきました。
「今回はどんな感情を思い出させてくれるだろう?」燃え殻さんの本を読むときに思うこと
烏滸(おこ)がましいかも知れないが、燃え殻さんと私は近い性質を持っていると感じている。
燃え殻さんの文章は、私の触れたくはないけど忘れたくはないことや、目を背けてしまう弱さに優しく、問いかけてくれる。
私はそれに悶(もだ)えたり、ほほ笑んだり、時には後悔を感じたりしながら作品を楽しんでいる。
燃え殻さんの本を手に取る時、私は、「今回はどんな感情を思い出させてくれるだろう?」とワクワクしながら読み進める。
◇
燃え殻さんの作品は、読者の人生をタイムスリップさせてくれる力を持っている。
直接会ったことはないのに、燃え殻さんの人生のエピソードに何故か親近感を抱いてしまうのだもの。
でもそれは、ある意味、人の一生なんてあまり変わらないということを示しているのかも知れない。
人の一生は、出会って別れての繰り返し。
親近感を抱くのも当たり前なのかも知れない。
冒頭で、私と燃え殻さんは性質が似ていると述べたのは、この著書の中で「思い出と距離を取るのが苦手だ」という一節を読んだ時に確信した。
そう、私たちは思い出と距離を取るのが苦手なのだ。
いい加減、忘れて前を向かなきゃダメな過去を昨日のように思い出してしまう。
いつまでも、アイツの言葉が心から抜けてなかったりしてる。
いつまでもあの人の言葉に寄りかかって助けてもらったりしてる。
理想の大人になりきれなかった。
諦めてるのに、諦め切れるほどの才能は持ち合わせていない不器用な人間なのだと思う。
◇
人間は二種類に分けられる。
殺人事件のニュースを見たときに、何も考えずに犯人を非難できる人か、一歩間違えたら犯人は自分だったかも知れないと考えてしまうタイプか……。
私たちは後者だと感じています。
面倒くさい想像力を持ち合わせてしまいましたね。
私が特に好きなエピソードは二つ。
燃え殻さんが祖父から言われた「偉そうにするなよ。疲れるから」
私は昔から先輩を慕うのが苦手だった。早く産まれただけなのに、何故こちらに尊敬を強要する権利があるのかわからなかった。
尊敬したい人には勝手に尊敬するから放っておいてほしい。そう思っていた。青年期に先輩に押し付けられた礼儀は私の中の劣等感を育ててしまっていた。
自分自身がSNSで名が売れ始めた頃、幼なじみや同い年の友人、家族にまで私は威張り散らしていた。
正論で人を責めて、相手が言い返す言葉がなくなる表情になると、認められた気分になって勝ち誇った。
ただ、人に威張った日の帰り道、時折どうしようもなく虚しくて、後悔とか、見栄とか、素直になれないもどかしさとかいろんな感情に襲われながら生きていた。
一度、偉そうにしてしまった手前、誰にも弱音を吐けなくって疲れていた。
燃え殻さんの祖父の言葉が、あの時の私の痛い記憶と繋がった気がして恥ずかしくて嬉しかった。
もう一つ、「へラヘラ笑うことがせめてもの抵抗だった」もすごく好きです。
好きって言っていい話かわからないけど、私は小中学校で肌が黒いことをよくイジられていた。
笑っていたが本当は悔しかった。でも、笑わないと周りから「本当に笑えないやつ」になってしまうとわかっていたから、笑っていた。
母譲りの地黒だった。母は昔、女の子なのに黒くてそれを言われるのが嫌だったと私に
話してくれた。
だから私は学校で「黒人」と呼ばれていることを何となく母に話すことができなかった。
ある日、中学3年の授業参観でクラスの一軍が僕の肌の色をイジった替え歌を歌った。周りが私に目配せをしてくすくすと笑うと視線で背中がチクっとした。
教室の窓に目を向けると、家では亭主関白な父が笑顔で見に来てくれていた。
私は一軍が早く私の替え歌を歌い終わるのをただただヘラヘラと笑って我慢することしかできなかった。
締め付けられたように痛かった喉の感触をいまだに忘れることができない。
私もあの缶蹴り少年のように一発決めてやればよかった。
あの缶蹴り少年が私の代わりにナイスシュートを決めてくれた気がした。
それだけで、良かった。