小説家でエッセイストの燃え殻さんの原作をおかざき真里さんがマンガ化した『あなたに聴かせたい歌があるんだ』(扶桑社)が3月24日に発売されました。5月には成田凌さん主演でHuluでドラマ化も控える同作について、病理医ヤンデルさんに寄稿いただきました。
【試し読み】『あなたに聴かせたい歌があるんだ』第1話を読む。
「いつか読みたいと熱望していた」物語
一言で表すならば「不信」なのだと思う。
ただし、「信じられない」のではなく、「信じさせてもらえない」ということ。
世の中の仕組みの話だ。
誰もがみな、うすうす感じてはいるけれど語らないことに決めている、秘密の設定の話だ。
『あなたに聴かせたい歌があるんだ』を読み終わり、今、なぜ私はこの本に惹かれたんだろうと考えている。
おかざき真里さんという尊敬する漫画家が描いているからか? 燃え殻さんという大好きな作家が原作者だからか?
属人的な安心感はもちろんある。でもどうやらそれだけではない。美麗な絵が躍動し、無数のプロットがかみ合う、「それ以前の段階」で、何かがある。
「このような登場人物たち」が出てくる話を、いつか読みたいと熱望していた。
それはきっと17才の頃から。あるいはたぶん27才の頃にも。
「世の中は、何かを信じさせてくれないようにできている」と確信しているような人物たちの物語を、摂取したくてしょうがなかった。でも、その願いは、どうせぴったりハマるようなものは読めないだろうという「不信」に、べっとりと抱きしめられていた。どうせ、読めないだろうとあきらめていた。
だから私はこの物語に惹かれるのだ。
「不信」のない物語を物語と呼びたくない
ヘラッと笑う高校生。クスクス冷笑する高校生。アルバイト先の店長と不倫して駆け落ちする高校生。縁側で踊る高校生。バイクで事故る高校生。
「屈託のなさってしんどいんだな」という章題。
おっ、と思ったのは、作中に流れるキリンジ「エイリアンズ」がまるで心に届いていないらしい高校生。「…何これ?」「さあ…」。間違いなく本書に通底するテーマソングに、まったく共振しない高校生。
そういうものだ。そうでなければいけない。
そんな物語しか読みたくない。
「これが最高だよね」と押しつけてくるドラマを見ていると眠くなる。「これが最高だよ」と100%信じ切っているキャラクターが出てくるマンガをどこか幼稚に感じる。私は「不信」のない物語を物語とは認めない。
私はそうやってこじれた。
皆さんはどうか。
不信の世界で生き抜くための決意
さまざまな形で27才を迎えた人たちが本書の主人公である。念のため書き添えておくと、中には27才を迎えられなかった人もいる。そういうのも含めて。
そして、ここでも、うっすらとした不信が鎌首をもたげる。
「誰もが主人公、なんてこと、絶対にないだろ?」
言うまでもなく、私たちは全員モブだ。世の中にはごく一握りの、間違いなく主人公を張っているタイプの人がいるけれど、でもそういう人たちはどこか俗世間からぼうっと浮かんでいて、違うレイヤーの中を飛んでいる。一方の私たちは、誰もが誰かと交換可能で、出会いも別れも偶然で、願ったことが叶ったり叶わなかったりして、自分以外は決して自分に親身になってくれなくて、うっかりレイヤーごと消去されても「戻る」ボタンが効かなかったりする。だから、最初は「主人公然とした主人公」が活躍する物語にあこがれ、取り込もうとし、少しずつそういうのが信じられなくなって、だんだんヒネった設定の話に暗い快感を覚えるようになる。
それでも、本書では誰もが主人公だ。ただし、そこにはおかざき真里と燃え殻による周到な「不信」が濃厚なジャムのように塗りたくられている。ものまねの交換可能性。電話のタイミング。夢をあきらめるきっかけ。空虚に美しく鳴り響く拍手の音。
「これは最高だな」と思った。
「皆さんはこれから十年たったら必ず27才になります」
「皆さんがその時に生きていて後悔することが」
「私なんかよりひとつでも少ないことを私は本気で願っています」
私が本書のエピソードの中で特にぐっと来たところ? 教えてあげてもいいけど、たぶん眉をひそめられるだろう。
それは、ある小説家が気持ちよさそうに○○ところ。
たとえ伏せ字にしても、世界の秘密が「不信」だと気づいている人には、わかる。
ぼくはこれが物語だと思った。
……より正確に言うと、誰かの物語を通じて、自分が小さな舞台の主人公になるための、「とても大切なプロット」だと思った。
今、とても残酷なことを言った。
誤解をおそれずに言うと、ある小説家のような生き方は世の中に満ちあふれている。彼もまた主人公であり、そして、他の全員にとって、彼はモブである。彼ですらモブである。私たちが全員モブであるのと同じように。
だからこそ、彼が○○○後、あるひとりの「主人公」は決意する。このくだり、説明はぜんぜんないのだけれど、なぜそう決意したのかはわかる。ある小説家の物語は、自動でインストールされる更新プログラムなのだと思った。世の中に対する「不信」の脆弱性を修正するためのパッチ。それはあるひとりの「主人公」に生を命令し、そして、気づくと、私のデスクトップにも「更新表示」が現れていて、私はまた一つ、不信の世界で生き抜くための決意を手に入れる。
あるひとりの「主人公」が決意する瞬間の表情は、すごい。おかざき真里さんは神である。
「不信をないがしろにしない物語」がハーモニーを奏でる瞬間
燃え殻さんとAV監督の二村ヒトシさんがやっているラジオ「夜のまたたび」が好きで、よく、真夜中に車の中で聴いている。こないだ燃え殻さんが本書についてこんなことを言っていた。
「ぼくがまずプロットを書きました。そして、おかざき真里さんがマンガにしたことで、それはおかざきさんの作品になった。おかざきさんが膨らませた部分、肉付けした部分、おかざきさんの解釈がたっぷり盛り込まれたものです。すごくいいですよね。同じように、萩原健太郎さんが映画にする際には、萩原健太郎さんの作品になります。主演の成田凌さんや多くの役者さんたちが思いを持ち寄って、演じて、また違ったものになる。ぼくはそれらを見ながら、インスピレーションをもらって、あらためて小説として書き下ろす。それはきっと、また何か違うものになります。楽しみにしていてください」
ぼくは運転中に興奮した。なんておもしろいことをやるんだ。「不信をないがしろにしない物語」がハーモニーを奏でる瞬間。
私はそういう歌をずっと欲していた。
皆さんはどうか。