タレントのふかわりょうさんが、4月15日(土)に、最新刊『スマホを置いて旅したら』(大和書房)を上梓しました。
「スマホを持たずに旅したら、どんな景色が見えるだろう?」
そんなピュアな好奇心から、スマホを「留守番」させて、3泊4日、岐阜県美濃地方へ旅に出たふかわさん。インタビュー後編では、音や手触り、失敗の捉え方など、ふかわさんのみずみずしい感性に迫ります。
五線譜では表せない“音”に共鳴する
——実は、本作を読み始めるとき、最後のページを閉じるまでスマホを触らないでおこうと決めたんです。「うだつ」って何だろうとか、「水琴窟(すいきんくつ)」って何だろうとか、やっぱり気になって、途中で調べたくなるんですよね。それでも、書かれていることだけを追って1冊読んでみようと。そうしたら、いろいろなイメージが膨らんできて、すごく楽しかったです。スマホを置いた旅は、さぞかしおもしろかっただろうなと思いました。
ふかわりょうさん(以下、ふかわ):すごくうれしいです。そういう風に、思いを巡らせる時間の中に豊かさが潜んでいる気がするので。もちろん、豊かさは人それぞれなので、時間に対する優先度が高い人が映画を倍速で見ることだっていいと思います。いろいろな選択ができるのが健全な社会だと思います。
——今回の旅では、日本庭園の装飾の一つである水琴窟をたくさん回られていました。水琴窟に惹かれた理由は?
ふかわ:水琴窟って、五線譜では表せない音が鳴るんです。例えば、アナログシンセサイザーを弾くときは、音程を合わせる作業から始めるんですが、「調律する」ってひとつの尺度に合わせる行為だと思うんです。
近年のスマホをベースにした社会というのは、どこかで「調律」と重なるところがある。だから、五線譜で表しきれない音が鳴る水琴窟のようなものに、共鳴してしまうんですよ。
自分が紙漉きをするとは思わなかった
——前回、この旅で「ぼーっとする時間」を取り戻せたとお話いただきましたが、想定していなかったけれど取り戻せたものもありましたか?
ふかわ:取り戻せたとはちょっと違いますが、使い捨てカメラを途中で使い切ってしまったこと。3泊4日の旅を27枚のフィルムにおさめようと思っていたんですけど、なんと2日目の朝に使い切ってしまって……(笑)。学生時代、修学旅行などに行っていた頃はペース配分が難なくできたのに、スマホで撮影することに慣れてしまったんだなと感じましたね。
それから、美濃和紙に触れたことで、和紙の素晴らしさを実感しました。デジタルでは表現できない風合いや手触りに魅了され、紙漉き体験をしに行ってしまったほどです。
——ふかわさんの文章から、和紙に触れた瞬間の衝撃が伝わってきました。使い捨てカメラのお話は本作終盤でも出てきますが、スマホで撮影することに気を取られると、「そのときそこに居る実感」が薄れてしまうと私も思っていました。
ふかわ:アイスランド旅行をしたときもそうだったんですが、残せる安心感があると、油断してしまう気がしたんです。今っていうものは残せない。そう思ったほうが、目の前の景色がより深く入ってくる気がします。
「失敗しない」に慣れると不寛容が生まれる
——今回の旅では、スマホで地図を見られないことでものすごい距離を歩くことになるなどの経験もされていましたよね。そういった部分も楽しまれていたように感じました。
ふかわ:もらったガイドマップでは近く感じるのに、歩けど歩けど着かなかったり。そういう風に想定外を楽しむって、心にも時間にも余裕がないとできない、ある意味贅沢なことだと思うんです。
『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)というエッセイで書いたことですが、以前は、資料1枚を縮小コピーするのに、30円くらい犠牲にしていましたよね。頑張って倍率を計算したのに、イメージ通り仕上がらない……みたいな(笑)
いつの間にかデジタル画面で完成形を見られるようになり、僕らは「失敗しない」ことに慣れてしまいました。店を選ぶ時もそうですが、そうやって「失敗しない」に慣れてしまうと、今度は失敗に対する嫌悪感が強くなってしまうんです。
——確かに。
ふかわ:3回失敗してようやく成功するのでは効率が悪いし、社会はそういうところを改善するようなベクトルで動いているから仕方がないけど、いつの間にか、社会全体が失敗を許容できなくなってきていると思います。
失敗を許容できるようになれば、「この店はまずい」も「接客が微妙」も笑い話になるし、人生をおいしくするスパイスになるんじゃないかと思いますね。
スマホを持つ/持たない、どちらの選択も当たり前に
——以前、新潮社の中瀬ゆかりさんと対談されたときに「いいエッセイのひとつの指標は、共感ではなく議論が生まれるもの」というお話が出てきました。本作を読んだ方の間で、どんな考えが広まるといいと思われますか?
ふかわ:「え? スマホ持ってないの?」って、驚かれないようになるといいなと思います。僕自身、完全にスマホを手放すという考えは今のところありませんが、「持っていて当たり前」にならないといいなと思います。
——スマホを持たないっていうことが、選択肢のひとつになる?
ふかわ:そうです。僕は、「ローファイ生活」とか「ローファイ紀行」と呼んでいます。すでに言わずとも、そのような生活を実行している人はいると思いますけど。
いろんな音が聞こえる「ハイレゾ社会」だからこそ、『ローファイ』な暮らしを選ぶ人が増えると予感しています。それが、これからの豊かさになると。
(取材・文:東谷好依、撮影:青木勇太、編集:安次富陽子)