40代からの私

産まないことから生じる「心のざらつき」 気持ちを和らげる4つの発想法

産まないことから生じる「心のざらつき」 気持ちを和らげる4つの発想法

34歳で「子供がほしい病」に陥り、40歳で不妊治療をやめ、現在45歳となったコラムニストでイラストレーターの吉田潮(よしだ・うしお)さん。今年2月に掲載して大きな反響のあったコラムをきっかけに新連載がスタート。「産まない人生」を選択することにした吉田さんが、「オンナの欲望」に振り回されっぱなしだったという30代を振り返り、今思うこととは?

「子供のいない人生を生きる」と決めても、周囲の言葉や言動でふと心がざらついてしまうことがある。そんな時に吉田さんが実践している4つの発想法を書いていただきました。

発想の転換、呪いの解き方

人を呪わば穴二つ。もうやめようと思ったときの発想転換法を記しておきたい。これ、子供が欲しかったけどできなかった人、子供がいない既婚者、子供が苦手な人の救いになるといいな。呪われるほうじゃなくて、つい呪ってしまう自分を責めないためにも。

【1】サンキュー、納税者
まず、子供に感謝する。あの子たちは私が将来年金暮らし(年金なんて死ぬまでもらえないだろうけれど)になったときの、社会の担い手、税金を支払う人たちだと思うようにした。私はベビーブーマーで、ものすごい数の同い年・同世代がいるけれど、彼ら彼女たちは圧倒的に少ない。少ない人数でまかなうことを考えると、ありがたい以外の何物でもない。子供に遭遇したら、「サンキュー、未来の納税者!」と思うようにしている。

【2】こんな母ちゃんだったら最高!
妊娠して出産という偉業を成し遂げた女性たちを、自分の母親と思う「子供目線」になってみる。幸いなことに、私の周りにはカッコイイ母がたくさんいる。自分を犠牲にして愚痴をためるような女はいなくて、いつも自分が主語である。たとえ、仕事やキャリアを犠牲にしたとしても、まったく別の生き様、自身が納得のいく人生を送っている。

「ああ、こんな母ちゃんだったら、まっとうな性教育してくれるだろうな」

「このDNAいいなぁ~、ここの家に生まれたかったなぁ」

あえてその境遇を妄想してみると、意外と楽しかったりする。

【3】脳内「生き別れの母」プレイ
子供と接するとき、生き別れになった産みの親プレイ(脳内)をしてみる。私はワケあって育てることができなかったけれど、まっとうに育ててもらってるんだわ、と思うようにする。遠くからそっと見守る優しい産みの母でもいいし、ガッサガサに乾ききって、やさぐれた産みの母でもいい。都合のいいときだけそっと脳内母プレイ。

【4】誰もがオトナの事情と宣伝戦略
SNSで子供のことや子育てについて書いている人は多い。無垢な子供の驚異の発想、人間の真理を学ぶというものも多い。いいなぁ、うらやましいなぁと思う前に、たくましき「あきんど(商人)精神」だと思うようにしている。

つまり、これらは決して「子供がいるから幸せ」アピールではなく、戦略なのだと思うようにした。子供を利用して、自分の仕事の営業活動を促進しているのだ。

自分の仕事を増やすために宣伝活動するのは、当たり前のことだ。大人の戦略として、どんどんするべきだと思う。そこにたまたま子供がいただけ。何もマウンティングしようとしているのではなく、えげつない商業活動だと思えばいい。

そう思えたのは、ある知人男性(俳優)のツイッターのつぶやきについて、本人と話したときに意外な答えが返ってきたからだ。その人は、とにかく洗濯の話をつぶやく。晴れた日はとにかく毎日洗濯から始まっている。洗濯ばっかりしてるのね、と聞いたら、

「あれは専業主夫層を取り込むための戦略です」

と言ったのだ。

いや、実際に洗濯もしているのだが、ははーん、なるほどと思った。

妊活は妊活中の支持層を、出産は出産前後の妊婦さんの支持層を、自民党は大企業と高額所得者層を、共産党はインテリ庶民層を。ターゲットを絞り込むための戦略的宣伝活動と思うと、心のザラつきは滑らかになめされていく。逆にあっぱれ、と思うし、その「あきんどマインド」を見習いたいと思うようになるから。

もちろん、ここでまた別の羨望の芽と呪いの言葉が出てしまうこともあるが……、そこは理性で抑えよう。黒い自分を飼い馴らせ。子供ネタ・子育てネタに勝る豊富なネタを自ら探せばいい。

産まないことは「逃げ」ですか?

「産まない人生」について単行本を書いている、というと、驚くほど周囲が協力してくれる。「そういう本がないから楽しみです!」と熱望してくれる女もいれば、「こんな経験をしたよ」と話してくれる女もいる。同じ思いを抱いていて、背中を押してほしい人もいれば、「産まない人への迫害」をネタとして提供してくれる人もいる。

いずれにせよ、ささやかな肯定を欲しているのだと思う。ささやか、というところがポイントだ。

煽るのもどうかとは思うが、やはり世間には「母マウンティング」があちこちで勃発し、イライラ一歩手前のモヤモヤを感じる女も多いようだ。いくつかの例を紹介したい。

友人Jが、母になった友達と映画を観に行ったときのこと。子供が中心となる外国映画で、Jは正直に「イマイチ、面白さがよくわからなかったなぁ」と素直に言ったそうだ。すると、友達は「ああ、子供産んでいない人にはわからないよね」と言ったという。たかが映画の感想、観終わった後でおおいに盛り上がると思っていたのに、その一言でJは目の前でシャッターを下ろされてしまったような感覚を味わったという。子供を産む前はそういう言葉を選ぶ人ではなかったのに、と寂しさを覚えたそうだ。

また、友人Yはカテゴライズされる不気味さを体感したという。ヨガの教室へ行ったときに、主催者は明らかに「子供がいる女性と、いない女性」でチーム分けをしたという。もちろんそのほうが話も合うだろうという配慮なのだろうが、Yはモヤモヤしたそうだ。配慮という名の線引き。自動的な線引きが公然と行われることに、Yは愕然とした。

もしかしたら、会社にお勤めの人はさらにそういう線引きを日々感じているのかもしれないと思った。でも、逆もしかりだ。子育てしている母が少ない職場では、ワーキングママが肩身の狭い思いをするという話もよく聞く。カテゴライズすることで摩擦を避けようとする配慮が、逆に摩擦の火種を起こしているケースもあると思う。

さらに、友人Kの話は聞いているだけでちょっと切なくなった。仲の良かった友人が高齢出産をしたという。そこから、彼女の高齢出産礼賛と説教モードが始まったそうだ。

Kが子供を持たないことに対して、

「Kちゃん、それは『逃げ』だよ! 仕事に逃げているだけだよ!」

と言って、電話のたびにお説教されたそうだ。そして、妊活本や高齢出産本を大量に送りつけてきたという。

え? 産まないことは「逃げ」ですか? 

私はこの話を聞いて思った。もしかしたら友人自身が「子供」に逃げたのではないかと。そして、もしかしたら孤独な子育てに苦しんでいて、子供から逃げたいのかもしれないと。だから、親友であるKも仲間になってほしかったのかもしれないと。

このふたりは以降、疎遠になってしまったそうだ。この手の話は本当に多いよね。

今のご時世、産まないことは「親になること」や「子育てすること」から逃げているととらえられるのかもしれない。「要は自分勝手で無責任に生きたいだけでしょ」と心無い言葉を言う人もいる。

でも、産まないと決めた人は、少なくとも自分自身とイヤというほど向き合っていて、自分からは逃げていない。欲しくないという意思を貫き、パートナーがいる人はお互い膝を突き合わせて、意思の疎通を図った結果でもある。逃げているどころか、逃げずに立ち止まって向き合った結果、産まないと決めたのだ。

【新刊情報】
吉田潮さんの連載コラム「産むも人生、産まないも人生が、8月25日にKKベストセラーズから書籍『産まないことは「逃げ」ですか?』として刊行されることになりました。
公式Twitter

(吉田潮)

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