女社長の乳がん日記

「人生で“理不尽なカード”は必ず配られる」けど…女社長が乳がん手術から5年経って思うこと

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2016年に乳がんの宣告を受け、がんの摘出手術をした川崎貴子(かわさき・たかこ)さん。川崎さんの手術から治療、乳房再建までの日々をつづった連載「女社長の乳がん日記」は『我がおっぱいに未練なし』(大和書房)として書籍化されました。

がん患者にとって一つの区切りとされている5年を経過した女社長が5年間を振り返りました。

女社長、乳がん手術から5年が経過する

2021年10月24日(日)

「我がおっぱいに未練なし!」と乳がんの摘出手術をしたのが2016年11月。

乳がんの告知を受けたのは、そのひと月前である2016年10月(第1回参照)だったので、あの日から早くも5年が経過したことになる。

乳がんは他のがんに比べてゆっくり進行するケースが多く、10年後やそれ以上の期間を経ても再発したり転移したりするものらしいのだが、がん患者にとって「5年経過」は一つの区切りであるからして、今回は「記念カキコ」めいたノリで、術後5年経ったサバイバーの日常を誰にも頼まれていないが綴(つづ)ってゆきたいと思う。皆さん、ご機嫌いかがですか?

この5年間を振り返ると、乳首を作ったり、おっぱいを作り直したり、3カ月に1回病院でホルモン治療の注射を打ったり、運動したり、乳がん関連のイベントに出たり、働いたり、諸々あったり……とそれなりに忙しく過ごしてきた。

それにしても、だ。

5年という歳月があっという間に、瞬く間に過ぎたことのほうが、10年生存率の数字よりも今の私には恐ろしい。当時44歳だった私が、当たり前だが49歳になっており、来年は50歳。

手術前は「果たして、私の余命はいつまでなのか?」と、世を儚(はかな)んでいたものだが、今は「もう来年50歳かよ!」のほうにガクブルな訳で、喉元過ぎれば熱さも恐怖も忘れちまうものですね、人間って。

そしてもう一つ。先月、注射と触診の為に病院に行った際に先生から言われた事が気がかりで、今もモヤモヤしている自分がいる。

先生は、いつもながらの熟練の手捌(さば)きで私の両おっぱいを触診した後に、
「5年間よく頑張りました。良好ですね。」
と、にこやかに言った。

そして、こう続けたのだった。
「そろそろ注射をやめましょう。
で、注射をやめるとですねぇ、生理が再び来てしまうかもしれません。」

えーーーーー?

予想外の通告を受けた為、思わず私の脳内で轟いた感嘆詞が洩れた。そして慌てて、
「それは困ります!!!ほんとに困るんです!」
と、叫んだのだった。

がんを経験した女性でも入れるがん保険、MICIN(マイシン)のイベントに登壇しました。

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女社長の閉経ライフが最高だった件

ホルモン治療をスタートした当初は副作用をいろいろ心配したものだったが、私の場合ほとんどが杞憂(きゆう)に終わった。

女性ホルモンを抑えてしまうため肌や髪や諸々のパサつき等を心配していたが、実は元から乾燥系なのでどっちみちパサパサだったし、更年期障害で汗がなかなか止まらない事もあったが、そもそもお金払ってジムのサウナに入っている身。

「より老廃物が出て効率が良いではないか」と開き直るのにそう時間もかからなかった。

軽い頭痛みたいなのも漢方薬で治ったし、私に関して言えば、更年期障害は軽めだったが故、結構共存できていたのだ。

そんなことよりもなによりも、生理がない生活がこんなに楽だなんて知らなんだ。

経血がなく、お腹や腰の鈍痛もなく、気分の浮き沈みもない「閉経ライフ」を5年間もエンジョイしていた私は、この生活をもう手放したくはない。いや、手放してたまるか!!!

長くなったが、それが先生に言った「困ります!」の全容である。

「閉経」って「女性として終わり」的なマイナスのイメージを持ってる人は多いと思うし、これから妊娠を考えている人、更年期障害が重い人はこの限りではないのだが、私の個人的な感想としては、

「閉経最高! 皆さん、閉経は最高ですよー!」

と、選挙カーで地域住民にお知らせしたいくらいなもの。それほどにこの5年間は楽ちんだったのだ。それに比べたら、注射の痛みや病院に行く手間なんかなんぼのもんじゃい! ってなもの。

ま、年齢的に閉経期ではあるので、注射を止めても生理が始まらない可能性もある。この件は再スタートしないことを祈りつつ、経過を見守りたいと思っている。

女社長、おっぱいをチェックする

2021年10月26日(火)

昨日は週一で通っているジムに行く日だった。

この乳がん日記を書くために、ジムの大きな鏡で5年の歳月で変化したであろう体の様子を諸々チェックする。

先ずはおっぱいからスタート。

手術痕はだいぶ色が薄くなったものの未だ健在だ。そして、左右のおっぱいは、作り直した時に比べると多少シンメトリー度が揺らいでいる。

私のぜい肉100%おっぱいと、シリコンが入ったぜい肉30%(多分)のおっぱいではやはり左右差が出てしまうらしい。が、しかし、肩こりもないし、他人が見たらよくわからないぐらいの差異なので問題なしの範疇だ。

お次は乳首。

がんの摘出手術で乳首も全摘したので、健常な左乳首を切って右に移植、足の付け根の皮を使って乳輪を作成したのが4年前。

結果的に、作った右乳首の色や形は残っているが、凹凸は4年間でほぼなくなってしまった。

ただ、私の中で右乳首は、サウナや温泉等で活躍してくれる、あくまで「見せ乳首」という位置づけであるが故、正直な所凹凸はあまり関係ない。「乳首らしきものがありますね」と人様に印象付けられればそれでいいのでこちらもあまり気にならない。

そして、久しぶりに体重計に乗ってみると、体重は当時から1kgぐらい減っていた。

私の乳がんは体重に比例して再発率が上がるそうで、「絶対に太らない事」は先生との約束事だった。だから、義理を果たせたようでとても嬉しい。

また、平熱が1度くらい上がったのもここに自慢しておきたい。

元々、乳がん前はずっと平熱35.4度だったのに、今では36.3度、36.4度を行ったり来たりしているからご機嫌だ。ウオーキングしたり、走ったり、今は水泳に落ち着いているが、運動大嫌いだった私が毎週運動する習慣がついたのは、間違いなく乳がんのお陰である。

ま、運動した夜にビール飲んでたり、とても「ヘルシーライフを送っている」とは言い難いが、この調子でゆるゆると、術後10年クリアも頑張りたいと思う。

コロナを機に庭いじりをはじめ、とうとう高枝切り鋏を買ってしまった女社長。

コロナを機に庭いじりをはじめ、とうとう高枝切り鋏を買ってしまった女社長。

女社長が2人の娘と読者に伝えたいこと

2021年10月27日(水)

5年間で一番変化したのは、私なんかより娘たちである。

入院中反抗期だった長女(「女社長・川崎貴子、長女に約束する」の回参照)は高校2年生になり、見た目も性格もだいぶ大人になったように思う。コロナで長い事一緒に家の中にいたが、話しているとまるで女友達のようで、長女のおかげで楽しいコロナ自粛期間だった。彼女の年齢的に、もうあまり親としてやってあげられることは少ないし、当然、あの頃のようにぎゅーもしてあげられないけれど、そんな切り替えのタイミングでお弁当が必要となり、今では毎朝ぎゅーの代わりにせっせと早起きして弁当を作る母である。

長女が楽しみにしてるので、毎朝張り切って作っています。

長女が楽しみにしてるので、毎朝張り切って作っています。

そして、告知した当時「ママ、しむ? しむの?」と、泣いていた次女も今では小学4年生。まだまだ甘えん坊だけれど、電車に一人で乗って習い事(合気道)に行けるぐらいにお姉さんになってきた。親の前では可愛い次女を、ねーねの前では辛辣(しんらつ)な妹を、と使い分け、学校では男子と喧嘩して帰ってきたり、なかなかの多面性を持つ隅に置けないキッズに成長した。

時を瞬間移動したような気になってたけれど、娘たち二人を見ると、5年という歳月の凄さを思い知る。

5年分成長した二人は、果たして、母が乳がんだったことを覚えているのだろうか? ま、覚えているとしても彼女たちにとってはえらい昔の話で、とっくに解決した家族の歴史の1ページなんだろうと思う。

ただ、二人にも、このブログを読んでくれた多くの女性達にも伝えたいのは、

「人生で“理不尽なカード”は必ず配られる」

という事だ。

乳がんに関して言えば今や9人に1人が罹患する。それも、男性特有のがん(前立腺がんなど)が定年前後に見つかるのに対して、女性特有のがん(乳がんや子宮がんなど)は30代から40代というキャリアもプライベートも充実した、忙しすぎる時期に罹(かか)りやすいという特徴*がある。
*https://www.osaka-yomiuri-kenpo.or.jp/health_promotion/risk.html

病気だけではない。

大切な人を失くしたり、頑張ってきた職を失ったり、信じていた人に裏切られたり、「なんで私がこんな目に遭うの?」と思う事は、人生で何度か、必ずやってくる。

その時に、ただ絶望せず、いかにしてその忌々しいカードをひっくり返せるかどうか、で人生はドラスティックに変わると私は思っている。

私自身の乳がん発覚時は「私ががんでも私に住まうであろう」と半ば納得の「ちょい理不尽カード」であったが、右乳房全摘出を決めた時も、手術の前も、

「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」

というチャップリンの言葉を何度か思い出していた。

そして、早くロングショットで見て、この顛末をも「喜劇」にしてやろう! と目論んでいたものだ。

結果、この「女社長の乳がん日記」をできる限り俯瞰して書いた事によって、私はこの5年間の乳がん生活をただの悲劇じゃなく、「どたばた劇」や「落語みたいなもの」に塗り替えることができたように思う。

私のように文章に書きだしてもいいし、メタ認知のトレーニングを受けてもいい。
友人やプロフェッショナルな人達に頼ってもいい。

「生きていさえいれば、解決できない問題はない」し、
「どんな絶望の中にも蓮の花は咲く」のだから。

そして、不条理のカードのひっくり返し方は、年を追うごとに、チャレンジするごとに
どんどんスキルアップできると、この5年間、乳がん関連以外でいろいろあった私は断言できる。(そのお話はまた今度!)

だから、下手くそでも、勇気を出して、

「理不尽」をひっくり返していこうぜ!

と、娘たち及び世間の妹達へ、最後に熱く伝えたいと思う。

夏には川遊びを、完全海女スタイルで楽しんだ女社長。

夏には川遊びを、完全海女スタイルで楽しんだ女社長。

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女社長の乳がん日記

「がん宣告」を受けた女社長・川崎貴子(44)が、「乳がんプロジェクト」と自ら命名して己を奮い立たせ、がん宣告から手術・治療までの日々をリアルタイムにつづっていた日記を初公開します。

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