『愛と呪い』『1122』特別対談【後編】

恋愛を通してしか「自分」は見つからないのか?【ふみふみこ・渡辺ペコ】

恋愛を通してしか「自分」は見つからないのか?【ふみふみこ・渡辺ペコ】

漫画家・ふみふみこさんの半自伝的漫画『愛と呪い』(新潮社)の最終巻が11月9日に発売されました。同書の電子版には『1122』(講談社)の著者・渡辺ペコさんとの対談が掲載されています。

『愛と呪い』で父親からの性的虐待や宗教にのめり込む家族の中で育った女性を描いたふみさんと、『1122』でセックスレスの解決案として公認不倫を行うという30代の夫婦を描いている渡辺さん。二人の作品を読むと“家族”のあり方について改めて考えさせられます。お二人の対談の後編です。

少女の成長を「恋愛」で描くことが、あまりにもメジャーすぎて(渡辺)

ふみ:私、渡辺さんが「ヤングユー」でデビューされたころ「すごい人が出てきた!」って興奮しながら読みました。「依存」とか「掠め取る/取られる」みたいなことを一生懸命に考えたら、「え? おかしくない? 結婚って」みたいに見えてくる部分を描いてくださっているところが、家族の問題に潰されかけていた、というか潰れていた自分にとって憧れだったんだと思う。

今回、こういう機会をいただいて『ラウンダバウト』を読み返したりしたんですけど、やっぱりいいなと。子どもたちの話だけど、どこかみんなが独立した感じがするんですよ。女性も男性も独立しようとした結果、変なことになっちゃう、みたいな(笑)。

渡辺:私はずっと少女漫画を読みながら育ったのに、途中で離脱してしまった時期があるんです。少女漫画って少女の成長過程が描かれるものが多いわけですが、高校生くらいの時に「おや? なんだか自分の感覚と違うぞ」ということで。

少女漫画を読んでいた頃は、漫画の中の「家族とはこういうもの」とか「年頃になったら男女はこういうふうに付き合うもの」というのを漠然と信じていた気がするんですよ。そんなに素直な子でもなかっただろうに、他にあまりにもサンプルがなさすぎて。

ふみ:サンプルがない?

渡辺:少女の成長を描くバックグラウンドとして、恋愛があまりにもメジャーすぎて。だから「なんでこんなに恋愛漫画ばかり?」とか「恋愛を通してしか自分というものは見つからないのか?」とか感じ始めて。もちろん、当時はそんなにはっきり意識できたわけではないですけど、女の子ひとりひとりは魅力的でも、男の子が来ると「女の子の役割」を演じ始めてしまうのがどうも残念というか。

ふみ:ああ……私はそのファンタジーに縋ってきた部分もありますね。『愛と呪い』の愛子はロマンチックな恋愛というファンタジーを大切に大切にして、本当のどん底ではそれに助けてもらう部分もありました。ただ、今でも少女漫画は大好きですけど、じゃあ恋愛のキラメキをどう思うよと聞かれたら「けっ!」と答えたい気持ちも確かにある(笑)。

『1122』のいちこちゃんは、キラメキを探しているわけではないんですか?

渡辺:キラメキとは違うかもしれませんね。

もちろん恋愛とか家族とかにまつわる個人のファンタジーを否定したいわけではないんですよ。ただ、恋する二人の世界を私の目を通して描くというのがちょっと苦手で。24、5歳でまた漫画読者に戻り、その数年後にデビューした頃には、自分が「人間と人間」以上に「社会と人間」の関係性に興味があることがなんとなくわかってきて、たとえば恋愛も社会的な産物だと捉え始めたように思います。制度とか、なぜそれがあるのかとか、そこに違和感を持ち始めたのはなぜなのかとか、それを考え始めると個の物語よりは社会の方に描くものが繋がって行くことが多くて。

ふみ:『1122』でいちこが男性を買うというところ、いろいろな議論があるのは承知していますが、私はいちこちゃんが買ってくれてよかったと感じました。「男性が女性を侵す」ことと「女性が男性を侵す」ことを較べれば、どうしたって女性から男性にアクセスする方が難しいですよね。その「いま社会にある非対称」を、「他人の性を買うなんてことに誰が責任を持てるのか」という問題からも逃げずに、『1122』で描いてくださったのが嬉しいです。私が「男の娘」みたいな登場人物を描くことが多いのは、自己分析すればやっぱり「性差をなくしたい」というところに根ざしていて……。

渡辺さん、漫画に戻ってきたきっかけみたいなものはありますか?

渡辺:大学を卒業してから古本屋さんで働いたりしてたんですけど、そこで青年誌系を読むようになりました。福本伸行さんの『カイジ』とか、古谷実さんの『僕といっしょ』や『ヒミズ』とか……読んでびっくりしたのを覚えています。あとは「FEEL YOUNG」で魚喃キリコさんや南Q太さんにも出会ってびっくりして。絵も文法も自分にとって衝撃で。

ふみ:こんなことしていいんだ漫画って! という体験は私にもあります。少女漫画と、あと弟がいるので少年誌をずっと読んできたわけですけど、それだとどうしても“戦うか、恋するか”だけになっちゃうじゃないですか、よい悪いは別にして。だから『寄生獣』(岩明均)を読んでびっくりしました。

私が高校生の90年代終わりから2000年あたりって、時代的に漫画がサブカルっぽくなりますよね。私にとっての“サブカル”って、世の中の一般的な意味よりだいぶ広いのかもしれなくて、そこには渡辺さんの作品も入るんですけど、ここで「恋愛しなくてもいいんだよ」って初めてヒントをもらったというか。「COMIC CUE」とか「コミックH」とか、まだ漫画業界に余裕があって、すごくいろいろな作品がありましたよね。

渡辺:ド派手じゃないけど豊かというか。私も「コミックH」がとても好きで、衿沢世衣子さんや真鍋昌平さんの作品を楽しみにしていました。

人にはどこかで軌道修正させてくれる力が必要なんじゃないか(ふみ)

『愛と呪い』の最終巻となる3巻の帯メッセージ/ふみふみこ

『愛と呪い』の最終巻となる3巻の帯メッセージ/ふみふみこ

渡辺:ところで私、『愛と呪い』の3巻目を読んでドキッとしたことがあるんですけど。

ふみ:なんですか!

渡辺:人間関係であり社会制度でもある「家族」は私にとってどうしても気になる存在で、ずっと頭のどこかで考え続けている対象なんです。それで、『1122』を連載しながら「いずれ描こう」と思っていたことを、ふみさんがもうはっきり描かれていたんです!(笑)。

愛子が日記の中で、自分自身がパートナーに求めていたものは何だったのかを告白するところです。「だから私の『まともな親』になって、私を産んで育てて欲しかった。それがかなわないと泣き叫んで暴れてた」というあたり。

ふみ:確かにこの最終巻に来るまで、描きながらずーっとぐちゃぐちゃ考えてきた果てに出てきた言葉ですけど、私は先日、売野機子さんの『ルポルタージュ‐追悼記事‐』の最終巻を読んだ時にドキッとした(笑)。

売野さんは娘を大量殺人犯に殺された母親に、「もしも時計が戻せるのなら、佐藤被告が子供だった時に戻したい。それで私が育て直すの」と語らせるんです。売野さんは親の方から、私はいわば殺人犯の方から、同じところに手を伸ばしたのかな、と。あれを読んだ時、上手く言えませんけど、「ああ、ここはたどり着くべきところなんだ」って感じました。

1巻で神戸連続児童殺傷事件の「酒鬼薔薇聖斗」に憧れる愛子を描いた後、どうやってあの“世界”と“自分”が一対一で憎悪をやりとりしちゃうような中二病的世界から彼女を引きずり出そうかと苦労しました。酒鬼薔薇の世界観は絶対にダメなものだと直感しながら、一方で酒鬼薔薇と同じく私と同年齢の、秋葉原通り魔事件の加藤智大は完全に否定しきれない自分がいたからなんです。これ、微妙な問題だからインタビューとかで語るなって、ずっと編集さんから止められていたんですけど。

もちろん加藤の犯罪は決して許されないし、「社会が悪い、弱者救済!」って言えば済む話でもないですよね。でも、中二病の子どもが他人の命を奪うグロテスクさと、何かに追い込まれた大人が他人の命を奪うグロテスクさは、同じく許されない罪でも性格が違うと思うんです。いまでもきちんとした答えは見つかりませんが、やっぱりどうにもならない場所に立った時に、人にはどこかで軌道修正させてくれる力が必要なんじゃないかと考えています。その力は、愛子が考えたような親なのか、あるいはお金なのか、もっと別のものなのか……。ああ、でも愛子は“親”的なものが手に入らなくても、リアルな加害者にはなりませんしね。よくわかりません(笑)。

渡辺:「自分は何によって救われ得るのか」がわからないままもがくリアリティーを捉えたのって、本当にすごいことだと思います。『愛と呪い』を最後まで読んだ時に、私が圧倒されたのは作品の面白さとうまさ以上に、その覚悟と勇気とエネルギーなのかもしれません。私も自分のたどり着いたところを描きたいなと改めて思いました。

ふみ:いやほんと、みんなで「家族」というよくわからないものを、手垢でベタベタになるまで撫で回しましょう。

2019/10/15 新潮社クラブにて
(構成:yomyom編集部、写真:広瀬達郎)

記事提供:yomyom編集部(新潮社)

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