東京移住女子物語 第9回

この瞬間も、死に向かって生きている。「ばあちゃんの呪文」に思う、心に響く生き方

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top_花と山の風景

特別、田舎暮らしへの憧れがあったわけではない私だが、東京に住みながらもずっと「心の原風景」みたいなのはあった。そして、その原風景とともに思い出すのが、ばあちゃんの呪文と生き様だ。

私の場合、「母の呪文」ほど「ばあちゃんの呪文」はあまり効果がなかったようだけれど……。

ばあちゃんの田舎にあった、自分だけの基地

紅葉

東京で生まれ育った自分の中に、子どもの頃からあった「原風景」。
それは、ばあちゃんの家の茅葺き(かやぶき)屋根の家だ。

子どもの頃、毎年夏休みになると、母方の田舎である宮城の山奥に帰省した。
そこは、私がいま住んでいる立山町・千垣以上に本当に何もない「田舎」で、集落自体もこじんまりとした村だった。
 
大きな茅葺き屋根の家に、中に入ると夏でもひんやりと冷たい土間。
囲炉裏(いろり)。
たっぷりと水が張られた水甕(みずがめ)。家の裏庭にひっそりとあった小さな池と井戸。
 
夏はたらいに冷たい井戸水を入れてスイカを冷やした。
トイレはもちろん水洗ではなく、「厠(かわや)」という言葉が似合いそうな、家の前を流れる小さな用水路の上に建てられた「離れ」だった。

その「厠」の中には、鈍い灯かりを発する豆電球に、天井からハエ獲りの粘着テープが下がっていて、髪の毛がくっつかないよう気をつけた。
昼間でさえ「厠」に行くのは怖かった。
 
冠婚葬祭を家で取りしきった名残りで、家にはお布団が何組もあり、法事などで親族が一堂に集まると、ふすまをはずして、大きなお堂のようにだだっ広いスペースにお布団を敷いて、みんなで雑魚寝になった。
 
夏は部屋の四隅に蚊帳(かや)を張って、その中で眠った。
まるで、自分だけの基地が出来たような気分だった。

「結婚相手なんて、目と鼻と口があれば誰でもいい」

花と山の風景

時代の流れとともに、屋根を葺き替え(ふきかえ)できる職人さんも減り、家は取り壊され、どこを切っても同じ顔が出てくる「金太郎飴」みたいな、味気もへったくれもない家に変わってしまった。
 
だけど、大人になってからも、ずっとこの「原風景」は胸の中に残っていて、何かの折につけてひょっこり顔を出した。

便利でも快適でもない家だったはずなのに、どこか心地よくて懐かしい記憶。

そして、この原風景とともに思い出すのがばあちゃんの言葉だ。

子ども心にばあちゃんは大変、頭がキレる人で、厳しい人だった。
じいちゃんが亡くなってから20年以上、晩年も子どもたちを頼ることなく、施設に入ることもなく、終の棲家(ついのすみか)でたった一人、暮らした祖母。

年頃になっても、ちっともおめでたいニュースのない私に、ばあちゃんは呪文のようにこう言った。「結婚相手なんて、目と鼻と口があれば誰でもいい。アフリカの人だってかまわねぇんだから」。

目と鼻と口……。
かつ、アフリカの人でもOKとは。

我がばあちゃんながら、この突き抜けた考えに爆笑してしまった。
昔の人間にしては、ずいぶんハイカラな人だったのだ。

「生き様」を見せてくれた祖母

落ち葉

そんなばあちゃんは、92歳の時、亡くなった。
お盆を前にした夏の暑い日、大好きな畑の上で。誰にも看取られることなく。

ばあちゃんは、おそらく前の日の夕方、畑に出かけ、そこで倒れて息を引き取ったらしい。そして、一晩、土の上で眠った。翌朝、近所の長四郎さんが、畑の上で倒れているばあちゃんを発見した。

ばあちゃんの訃報を聞いたとき、正直、ショックというよりも「あぁ、ばあちゃんは最後まで、自分らしい生き様を見せてくれたのだな」と感じた。

そう「死に様は、生き様」だ。

どのように死にたいか、から逆算して考えれば、じゃあ日々、どんな生き方をすればいいのか見えてくる。

この一瞬だって、「死に向かって生きている」ということに気づけば、誰にだって優しくなれる。

「公務員になれ」という母の呪文ほどは効果がなかった、「結婚相手なんて、目と鼻と口があれば誰でもいい」というばあちゃんの呪文。

だけど、こんな風に私の胸に響く生き様を見せてくれた祖母なのだ。

写真:松田秀明

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東京移住女子物語

東京に生まれて、大学も就職も、生活の拠点はずっと東京。それが、ひょんなことからキャリアをリセットしてIターン&お一人様で富山県へ。 仕事、暮らし、人間関係……。42歳にして、まったく未知の世界に飛び込んでしまった、おんなお一人様の移住物語である。

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