34歳の独身女性・ブリジットと6歳の少女・フランシスが一緒に過ごしたひと夏を描いた映画『セイント・フランシス』(アレックス・トンプソン監督)が8月19日(金)から全国で順次公開されます。
大学を中退後、レストランスタッフとして働いてるブリジット。SNSに投稿された、結婚や妊娠、出産、仕事と“大人の階段”を着実に上っていく友達の様子を見ては落ち込むこともしばしば。そんな中、子守りの短期仕事で出会ったレズビアンカップルの娘・フランシスと交流するうちに、ブリジットの心は少しずつ変化していく――というストーリーです。
最新刊『ギフテッド』(文藝春秋)が第167回芥川賞候補となったことでも話題の作家の鈴木涼美(すずき・すずみ)さんに映画評を寄稿いただきました。
「ピル飲んだほうがいいんじゃない?」に苛立ったワケ
一昨年の秋、コンドームが苦手だと豪語する男に「ピル飲んだほうがいいんじゃない?」と言われて何か猛烈な反発心を抱いたのだけど、その反射的な苛立ちの具体的な中身がなんであったのか、いまいちよくわからなかった。ちなみに学生時代から30歳くらいまでは断続的に低用量ピルを服用していたので、別に宗教的な、或いは体質的な問題があってピルが飲めないわけではないし、男のほうからしてみれば女がコンドームつけてと言うくらいには自然な提案もしくは嘆願と思ったのだろうし、なんならコンドームつけると痛いとかきついとかいう自分の体質を鑑みた上での親切な提案だったのだろうし、実際彼はリンゴジュース飲む? と聞いた直後にほとんど同じテンションでその助言をしてきたわけだし、出会って間もないその男と遺伝子を分かち合いたいとか生涯一緒にいたいとか家族になろうよとか思っていたわけではないので、彼が同じ気持ちを共有していないことがショックだとかいうわけでもなかった。
反発心はあるものの、その中身がよくわからないのだから反論のしようはなく、かといってピルを再開することもなく、彼と縁が切れた後もぶつぶつと考えてみたところ、私が導き出すことのできたひとまずの理由は、37歳(当時)独身女子で性的にやや倫理観が欠如しているとはいえ、「完全に子供とかいらない人」だと決めてかかられたことに、私なりに抵抗したかったというものだけだ。
別に男が大幅なマナー違反だとも思わないし、リミットぎりぎりの今となっても卵子の一つも凍結していない私は、「子供欲しい人」だと思われなくても仕方はない。自分の人生どうしたいのかよくわからないと言っているうちにアラフォーど真ん中に突入した私もどうかと思うが、婚活や妊活をしていないということが、すなわち結婚や出産のない人生を積極的に選択しているとは限らないわけで、39年間考えてもよくわからないことを出会って数週間の男にサクッと教え導かれるのはちょっといまいち腑(ふ)に落ちない、という割と自分勝手な苛立ちであった。そんなことにいちいち腹を立てるくらいには、私は自分の人生がうまくいってると思っていないし、日常をものすごく気に入っているわけでもないし、かといって毎月流れ出る血を完全に無駄なものだと思わないくらいには女の身体に愛着はあるようだ。
というようなことを、ひたすら膣から血をだらだら流して荒々しい日常を生きる『セイント・フランシス』の主人公を見ながら思い出していた。自ら主演も務めるケリー・オサリヴァンは、自伝的な要素を盛り込んで脚本を執筆したといい、すでに『レディ・バード』のグレタ・ガーウィグに続く、女性の絶妙な気分やフォーカスされない悩みを切り取る才能だと話題のようだ。
「私はワタシでしかない」けど…
私よりは若いけど、主人公の彼女も34歳。親友は子供を産んで、人生の優先事項第一位が「子供の笑顔をスマホで動画におさめること」になっている。一年で辞めてしまった大学の元同級生に偶然出会えば、バリバリに自己啓発本を出しているわ、自然食で子供を育てているわだし、自分の仕事といえばレストランの給仕と、臨時のナニーだけで、このナニー相手の子供がこれまたクソ生意気で大人びたガキだったり、面接時はウィットに富んだかっこいいレズビアンという感じだった母親の一人も、第二子を産んで産後鬱(うつ)気味でどうにも気高さを失いつつある。そんな母親を「シャワーも浴びない授乳器」なんて毒づく主人公は、避妊に失敗して経口中絶薬を飲み、再び膣から血をだらだら流して生きている。射精したミレニアル世代の男のほうは何かとナイーブに悩んでいたようだが、どうしたって自分は血も流していないくせにという気持ちがもたげる。女の多くが血を流して逞しく生きなきゃならないのはそれはそうなんだけど、ママでもないしレズビアン・カップルでもないしバリキャリでもない彼女にとって、股から流れ出る血液はただひたすら自分の身体の、自分が活用していない機能を見せつけてくるだけの、ストレスの塊でしかない。
「わたしは男でも女でもないし、性なんかいらないし、ひとりで遠くへいきたいのだ」というのは女優を経て作家となった鈴木いづみの短編小説『ユー・メイ・ドリーム』の中の言葉だが、このような気分は日頃SNSを見ている限り、或いは話題となったコンテンツの主題などを考えてみても、現代において比較的共有されているものなのだと思う。女性が、Z世代が、リベラルが、同性愛者が、なんていう括られ方を嫌い、私はワタシでしかないと言い切ってみたい欲望がどうやら私たちにはある。それは素直な感情なのだとは思うけど、そうでもしないと守れないほどワタシなんていうものが脆弱(ぜいじゃく)なのだとも思う。ざっくりと名詞で括られるのを嫌悪する割には、他方で彼女や妻や母やあらゆる職業的肩書きを自分に貼り付けたくなる性質も、同時に持ち合わせているのがどうやら私たちという存在らしい。
自分の子供の笑顔を全人類共通の喜びであると断定している親友や、「シャワーも浴びない授乳器」を馬鹿にしようと思っても、主人公には出産を犠牲にするほどの仕事や趣味があるわけではない。バキバキ働く子持ちの知り合いを否定しようにも、どちらも手に入れていない彼女は対抗すべき武器がない。無論、ナニー相手の子供に極上の愛を感じているわけでも別にない。子供をつくらない理由となるようなキャリアがあれば、或いはキャリアを中断する理由となるような家族があれば、もう少し寄るべない気分は解消されるのかもしれないけど、実際はそんな単純じゃない、と結構聡明な彼女はどこかで気づいている。だからこそいまいち靄(もや)が晴れない。括られるのを拒絶するまでもなく、彼女にとって「私はワタシでしかない」。
「人生大してうまくいってねぇな」と思っている女たちへ
自分自身に対して何かしら肯定する言葉を持たない彼女は絶賛不安定真っ最中ではあるものの、正しく美しく凛としていたレズビアン・カップルも、ジェンガのように一枚木の板を抜いてみれば、一気にグラグラ揺らぎ出すことを目の当たりにする。超クールだと思っていた女性ロックバンドの結末を今更知ってショックも受ける。大人は言葉という虚構で自分という存在をつくり上げて、ある種の現実とフィクションを都合よく行ったり来たりして生きるが、それと違ってまだ幼い子供は圧倒的にリアルを生きている。想像力は時に突飛で、現実世界の小ささに絶望していないが故に、子供は夢の国に生きているなんてつい思ってしまうが、実際は大人のほうが都合の良い虚構に逃げ込むのが得意で、子供はひたすら大きな現実を、一つの層として生真面目に生きているのだ。ナニーの仕事を続けて子供と日々対峙しているうちに主人公は、「ワタシ」でしかない自分には逃げ込める虚構が少ないけれど、荒っぽい現実を生きているという意味では、クールなロックバンドもレズビアン・カップルも保守的でパワフルな近所のママも、等しく七転八倒なのだとわかる。わかったところで自分を肯定する都合の良い言葉はなかなかないことに変わりはないけど、少なくとも自分を否定する理由もないのだと、とても積極的な意味で明るいラストシーンには、人生大してうまくいってねぇな、と思っている女たちへの愛とエールを感じられた。
結婚する気ないでしょ、産まない人でしょ、というメッセージを嗅ぎつけるだけで、何かから排除された気分になってしまうような脆弱な私の、今の所ストレスでしかない血まみれの週末も、私ってほんとツイテナイ、という自意識過剰から抜け出せさえすれば、そう悲観すべき事態ではないような気がする。
■映画情報
8月19(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネクイントほか全国ロードショー!
監督:アレックス・トンプソン 脚本:ケリー・オサリヴァン
出演:ケリー・オサリヴァン、ラモーナ・エディス・ウィリアムズ、チャーリン・アルヴァレス、マックス・リプシッツ、リリー・モジェク 2019年/アメリカ映画/英語/101分/ビスタサイズ/5.1chデジタル/カラー 字幕翻訳:山田龍
配給:ハーク 配給協力:FLICKK (C) 2019 SAINT FRANCES LLC ALL RIGHTS RESERVED
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