夫の腎臓をもらった私 第8回

「息子さんの腎臓をください」と言ったら、変化した姑との関係

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「夫の腎臓をもらった私」
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中学1年生の時に腎臓病になり、36歳で末期腎不全になってしまった、ライターのもろずみはるかさん。選択肢は人工透析か移植手術という中で、健康な腎臓を「あげるよ」と名乗り出たのは彼女の夫でした。

今回は、「息子さんの腎臓を1つください」と夫の両親に話したときのこと、そして手術前後の関係の変化についてつづっていただきました。

思い出の量で愛情は測れないけれど…

実の親や兄姉がいるのに、夫の腎臓をもらうこと、私は義理の家族になかなか相談できませんでした。夫の合意の上だったけれど、それでも義両親の気持ちを考えると、胸がざわざわと落ち着かなくなるのです。

だって、「息子さんの腎臓を1つください」なんてどんな顔をして言えばいいのでしょうか。そんなことを言ったら家族の関係はどうなってしまうのでしょうか。

特に、義母には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。実際に義母がどのように思っているかはわかりませんが、「世の中の母にとって息子/娘は自分の分身のような存在ではなかろうか。その分身の健康な体に傷をつけるのは許されないのではないか」と、私は罪悪感を感じていたのです。

夫の家族の仲の良さも私の罪悪感に拍車をかけていたように思います。

10年前に嫁入りしたとき、私は義母から「これ」と言って大量のダンボールをわたされました。その中には夫が子どもの頃に書いた作文や成績表、使い古されたノートやメモ書き、思い出のアルバムがぎっしり詰まっていたのです。

写真もどんどん捨てしまう無類の断捨離好きの実母とは対照的な「思い出の量」に私は思わず目を白黒させてしまいました。

1歳のお誕生日、5歳のお誕生日、10歳、15歳……愛情たっぷりの手作りケーキは、大切に、大切に、家庭を支えた義母の記録でもありました。もちろん、思い出の品の量が愛情の量とイコールにはなりません。けれど、私にはその量の重さがとても尊いものに感じられたのです。

それなのに、息子さんの腎臓をくださいなんて、言えない、言えない、言えない……というか言いたくない。

「人に迷惑をかけてはダメ」実母の声が今も耳に

言えずにいたのは、2つ理由があります。ひとつは反対されて「あなたは他人だ」と突きつけられるのが怖かったこと。もうひとつは、私の中に「人には迷惑をかけてはいけない」という強いルールがあったからです。

「健康な人の体から腎臓をもらうのはみんなに迷惑をかけてしまうこと……」と思うと、怖くて義両親に言い出せなかったのです。そこには私の原体験が影響していると思います。私は昔から人一倍、他人に迷惑をかけることを恐れていました。

「誕生日会に行ってはダメ。開くのもダメ。迷惑になるでしょ」

「お泊まりしたい? ダメダメ! 迷惑になるでしょ」

幼少期、実母に繰り返し言われた言葉です。我が家には禁止事項がたくさんあり、中でも人に迷惑をかけることを固く禁じられていました。その度にギャン泣きして、母親を困らせる私でしたが……。

でもね、お母さん。私は、人さまに助けてもらわないと生きていけないの。腎臓病の末期患者になってから、私は何度も遠くにいる母に祈るような気持ちで過ごしていました。

というのも、私に与えられた選択肢は、人工透析をするか、腎臓移植をするかのどちらかです。けれど、人工透析を選択すれば、年間約400万円の医療費を国に負担してもらうことになるし、腎移植を選択すればドナーとその家族の心身を傷つけ、負担をかけてしまうから……。

代わりは他にいないの?ママが飲み込んでくれた言葉

3ヶ月悩み続けて、3度もタイミングを逃したけれど、ある日、勇気を出して家族会議で切り出しました。

「息子さんの腎臓を1ついただくことになりそうです」

それを聞いた義母は顔を曇らせ、私から目をそらしました。ゆらっとうつむいて、「……そうか。わかった、仕方がないね」とポツリと言いました。義母が感情を見せたのは、その時だけでした。次の瞬間には顔を上げ、もう笑顔で、「そういえば」とさほど急がない別の話題に切り替えてくれたのです。

それは「私は受け入れましたからね」という意思表示でした。義父も平気なふりをしてくれました。

あまりに淡白な反応だったので、夫は「息子の体が心配じゃないのかねぇ」と少しショックを受けていたようですが、本当は気にしていたはずです。なぜ息子が犠牲にならないといけないのか。病気が悪化したのは嫁の責任で、その責任は自分で取るべきではないのか。そうだ、「息子の代わり」になってくれる人はいないのだろうか。嫁は、実父や兄姉に、助けを求めなかったのだろうか……。

きっとたくさんの疑問を一瞬で胸にしまいこんでくれたのでしょう。その上で義両親は「わかった」とたったひと言で、私と夫の気持ちを汲んでくれたのです。なぜ、そう言い切れるか。理由はあの大量のダンボールです。息子の記録を大切にとっておいた義父母が、息子の健康に関心がないわけがないのです。

義母のことを「ママ」と呼んでみたら…

それから、あの日を境に、義母と私の関係性は変わりました。まず、私は義母のことを「ママ」と呼ぶようになりました。テスト的に呼んでみたら、ママも笑顔で受け入れてくれたので、そう呼ぶことに決めました。それは実母が決して許さなかった私の憧れの呼び名でした。

以前のママは、徒歩2分の場所に住む私たちとの距離感を大切にしてくれていましたが、いまではちょくちょく家に来て、世話を焼いてくれるようになりました。手術前の入院中では、私のベッドサイドに腰掛け、2時間も、3時間も、むかし話をしてくれました。

ママとの楽しい時間を過ごすうちに、迷惑をかけてはいけない、とガチガチに固まっていた心が溶けて行くような感覚になりました。そしてその溶けた心の中から出て来た気持ちに私は戸惑いました。「言葉にして伝えたい。でも、こんなことを言うのはやっぱり変かもしれない……」

自分の気持ちを伝えられないまま、手術の日がやってきました。その朝、目を覚ますと集中力が高まっているのがわかりました。ゾーンに入っているみたいで、雑音が聞こえない。研ぎ澄まされた脳で、最初に浮かんだのはパパとママの顔でした。「やっぱり、今伝えなきゃ」私は夢中になって手紙を書きました。

適当な紙がなく、病院からもらった書類の裏にしたためた手紙

適当な紙がなく、病院からもらった書類の裏にしたためた手紙

「愛する息子さんの体を傷つけて、ごめんなさい。パパとママのことを、心から愛しています」

術後、激しい痛みで目を覚ますと、ベッドの横に、3人いるのがわかりました。パパとママと実父でした。

「あ、目があいた。よかった、よかった……」

ママの声を聞きながら、またすぐに眠りに落ちていきました。

よかった、よかった……本当に、よかったんです。

腎機能が回復したこと、夫と深くつながれたこと。何より、パパとママに心から愛しているとストレートに伝えられたこと。

縮まった距離感。だけど、どこかいびつな関係

腎移植後、私は堂々とパパとママに迷惑をかけるようになりました。その代わり、パパとママ以外の人でも、お願いごとをされたら責任が取れる範囲で引き受けようと決めました。

「ママ、こないだの煮物が美味しかったの。レシピ教えてください」

「パパ、何してます? 今から行っていいですか」

つい先日、ママに面白いことを言われました。

「もろずみ家系は糖尿のけがあるので、腎臓が悪い人がいっぱいいるのよ。はるちゃんも養生しなさい」

あ、そうか夫の腎臓はもろずみの家系のものなのか。もともと血縁関係のない人たちと、今はDNAを分かち合ってるのかな。なんだか変な気持ちになりました。

「話がある」と事前に電話して、いざ本番。家族全員が緊張した一コマ

「話がある」と事前に電話して、いざ本番。家族全員が緊張した一コマ

そんなこんなで、術後3ヶ月が経過したのですが、ふと、お二人の目に今の私はどう映っているのだろうと考えることがあります。息子の嫁という感覚は未だに抜けないのか、あるいは”息子の一部”になった私を、いびつな存在として見ているのか。

なんにせよ、「おいでおいで」といつも明るく私を受け入れてくれるパパとママ。お二人のことを考えると、じんわりとお腹と背中のあたりが温かくなるのを感じます。パパ、ママ、本当にありがとう。

(もろずみはるか)

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