『わたしの美しい庭』インタビュー・後編

「家族だから分かり合える」とは限らない…帰省がしんどいあなたへ

「家族だから分かり合える」とは限らない…帰省がしんどいあなたへ

2020年に『流浪の月』で本屋大賞を受賞した小説家の凪良ゆう(なぎら・ゆう)さんによる『わたしの美しい庭』(ポプラ社)の文庫版*が12月7日に発売されました。*単行本は2019年に発売

血がつながっていない百音と統理の親子と、2人が住むマンションの屋上にある“縁切り神社”を訪れる人たちとのつながりを描いた物語です。

会いたい人に自由に会えなかったコロナ禍が少し落ち着き、今年は2年ぶりに帰省したり、大事な人に会ったりするという人も少なくないのでは? 一方でせっかく世間のしがらみから開放されてのびのびしていたのに、通常に戻りつつある空気に窮屈さを感じている人もいるかもしれません。

凪良さんに「縁」をテーマに伺った前編に引き続き、後編では「家族」について伺いました。

凪良ゆうさん

凪良ゆうさん

人間の数だけ家族の形がある

——百音は両親を亡くし、母親の元夫だった統理に引き取られることになりますが、近所や周りの人たちから「なさぬ仲は大変」と噂(うわさ)され、変わった家という目で見られています。最近でこそ「多様性」や「いろんな家族の形」と言われることが多くなってきましたが、それでも「普通の家族」という幻想や「家族だから分かり合える」という考えは根強いです。

凪良ゆうさん(以下、凪良):人間の数だけ、家族の形も変わるし、家族の中でも相性があるのでそうとも限らないというのが私の考えです。だから、「家族だから絶対に分かり合える」とか、「家族だから分かり合わなくちゃいけない」とか、強制されること自体が正直あまり好きではないです。

家族の形だって、別に母親が2人いてもいいし、父親が2人いてもいいし、兄弟しかいなくてもいいし、いろんな形があっていい。そこに住んでいる人たちが、毎日楽しく健やかに暮らしているんだったら、家族構成はどうでもいいんじゃないかって思います。

——統理は百音に「ぼくと百音ちゃんがなんであるかは、ぼくと百音ちゃんが決めればいい」と言いますが、百音と統理のような、“名前のない関係性”についてはどのようにお考えですか?

凪良:名前がつかない関係性って、この世にいっぱいあると思うんです。逆に、「親子」とか「夫婦」とか、名前がついている関係性もありますけど、「親子」ってだけで、実際は憎み合ってるかもしれない。「親子」という言葉から想起されるイメージとはまったく違うものが、内側に渦巻いてるかもしれない。そこに、「親子」っていう名前をつける意味はない気がします。

血がつながっているから「親子」っていう、それだけのシンプルな定義だったらいいんですけど。みんないろんなものをくっつけようとするでしょう? でも、名前と内面がいつも釣り合っているとは限らない。「名前がついているからって、その関係性に安心はできないぞ」と常に思っています。

211207wotopi-0225

「分かり合えない」が前提 だからたまに分かり合えるとうれしい

——百音と統理の隣に住んでいる路有(ろう)が統理の言葉に救われる場面が登場します。路有は「世の中にはどうしたって分かり合えないことがある」と思い至りますが、凪良さんは「人と分かり合うこと」についてはどうお考えですか?

凪良:基本的に、人と人は分かり合えないという前提でいるほうが、いろんなことがスムーズに進むと思っています。分かり合えると思っているから、他人に分かってもらえなかったときにムッとするので。最初から、分かってもらえなくていいという気持ちでいると、ムッとしないですよね? でも、それはやり方を一歩間違えると、ただの冷たさにもなってしまうし……。そのバランスが難しいんですけど、基本的に私は人と人は分かり合えないと思っています。

——最近よく言われている多様性にもつながりますね。

凪良:そうですね。「私とあなたは違う」っていうところから、すべては始まると思うので。違うから分かり合えないんですよ。だからこそ、たまに分かり合えたらめちゃくちゃうれしい。この本にも書きましたが、分かり合えないものを無理に分かろうとする必要はないなって。

——「分かり合えないことを分かり合う」というのはウートピの編集方針の一つでもあるのですが、決して投げやりでもシニカルな態度でもないんですよね。

凪良:毎日毎日、Twitterでもいろんなことが炎上してるじゃないですか。「他人のことは放っておけばいいのに、暇なのかな?」って思いますよね。「こいつは何考えてるんだ! 非常識だ!」って言って怒るのも、「私とあなたは違うんだ」って思ってたら、そこまで腹も立たないと思います。

——統理も「(理解できないのなら)黙って通り過ぎればいいんだ」と言ってましたね。

凪良:距離感が大事ですよね。良い感じに放っておく。「分かり合えない」「信じられない」「非常識だ」って思ったときに、相手を攻撃するのではなくて、「そういう人もいるよね」ってスーッと通り過ぎていけばいい。これって、そんなに難しいことなのかな? もちろん、大事な人とか、近い距離で関わっていく人だったら、ときには腹を割って話し合うことも必要だと思うんですけど。関係ない人にまで、腹を割る必要はないですよね。

211207wotopi-0280

「自分はこうである」を自分に課さない

——コロナが今のところ落ち着いているので、今年は2年ぶりに帰省する人も多いと予想されています。でも、中には実家や家族、義実家が居心地悪いと感じている人もいると思います。

凪良:実家や家族がしんどかったら、全然帰らなくていいと思うし、「帰省しないことに罪悪感を持たないで」って言いたいんですけど……。でも、絶対持っちゃうんですよね。他人に「帰りたくなかったら、帰らなくていいよ」って言われても、本人の心の持ちようですから。だから、帰らなくてもいい言い訳を、自分の中で確立させることが、一番現実的かもしれないですね。でも、本当にシンプルに、無理に帰省しなくていい。それだけだと思います。

——なかなかスパーンと切れないのが人間なのかなって。

凪良:人間は、安定した生き物ではないので、すごく強くいられるときもあれば、ちょっと弱っているときもあるし。そのときどきによって考え方も変化していくと思います。そのときそのときの状況に対応していくというか……。

例えば、今日は誰ともつながらなかったけど、一人でとても楽しいという日もあれば、今日は人恋しいから、誰かとおしゃべりしたいなっていう日もある。どっちでもいいぐらいの感じでいると気が楽かもしれないですね。

——他者だけでなく、自分に対しても決めつけないことが大事なのかもしれないですね。

凪良:どちらにも寄りたくないっていうのが、一番の答えかもしれません。ちょうどいいところで、ブラブラしていたいみたいな……。だから、自分は真面目であるとか、不真面目であるとか、決めつけないほうがいいですよ。私はこうであるっていうのを、自分に課さないことが大事かなと思いますね。

211207wotopi-0242

(聞き手:ウートピ編集部・堀池沙知子)

SHARE Facebook Twitter はてなブックマーク lineで送る

この記事を読んだ人におすすめ

この記事を気に入ったらいいね!しよう

「家族だから分かり合える」とは限らない…帰省がしんどいあなたへ

関連する記事

編集部オススメ
記事ランキング