仕事を辞めたくなったら「脳内異動」を発令して【小島慶子のパイな人生】

仕事を辞めたくなったら「脳内異動」を発令して【小島慶子のパイな人生】

恋のこと、仕事のこと、家族のこと、友達のこと……オンナの人生って結局、 割り切れないことばかり。3.14159265……と永遠に割り切れない円周率(π)みたいな人生を生き抜く術を、エッセイストの小島慶子さんに教えていただきます。

第6回は、「一体いつになったら一人前になるの?」という疑問に答えていただきました。「30過ぎたら一人前」って思っていたけれど、実際になってみると「まだまだ」という思いが拭えないものですよね。

「私」が入り込む余地のない経験

2001年9月11日。1機目の飛行機がニューヨークの世界貿易センタービルに衝突したのは、ラジオの生放送開始の10分ほど前でした。放送をスタートして程なく、2機目の飛行機が突っ込みました。「事故ではない何かだ」と思いました。それから次々と入ってくる通信社の情報とスタジオのテレビモニターを見ながら、リスナーに状況を伝えました。黒煙が白い煙に変わり、相次いで崩壊していくビルの映像は忘れられません。29歳の時のことでした。

2011年3月11日、その時もラジオの生放送中でした。東京のビルの9階のスタジオは、立てないほどの揺れでした。放送局のアナウンサーだった頃に訓練を受けていたので、とっさに注意を呼びかける文言を繰り返し伝えました。聴いている人に向かって、「一緒に助かろう」と祈りながら。膝をつき、床を滑るテーブルにつかまって喋った数分間は、永遠のように感じられました。38歳の時のことです。
 
テレビやラジオで様々な仕事を経験しましたが、この二つの出来事は今も自分の根っこの部分に関わっています。一言では言い表せません。簡単に説明できるものでもありません。でも、たくさんの人に話しかける仕事についたからには(書くことも含めて)、あの時自分が問われたものを抱えていくしかないんだろうと思います。
 
たまたまその場に居合わせてしまったがために、否応もなく何十万人もの不安と向き合う役割を担うことになったあの時。技術も経験も中途半端な私にそんなことできっこないのに、やるしかありませんでした。未熟なりに、自分がどういう仕事についたのかということがよくわかりました。「私」なんて入り込む余地のないものなのだと知ったのです。

アナウンス部で電話取りをしていた頃

ウートピ世代は「私にとって仕事とは」と悩みがちな時期かもしれませんね。思えば私も30代前半はずいぶん悩んでいました。30歳と33歳で子供を産んで、担当番組が激減した二度目の育児休業明け。週に一度のテレビ番組の収録以外は、アナウンス部で電話取りをしていました。後輩男性アナからは「小島さん、この先、仕事なんてないかもしれないのに、いつまで会社にいる気なんですか」と面と向かって言われました。今だったら即マタハラ認定で会社に通報ものですが、当時は残念ながらそんな言葉はなかったのです。

そんなわけで「はい、アナウンス部デイリーデスク小島です」と電話を取っていたのですが、これが地味ながらなかなか鍛えられる仕事でした。

「あー制作の〇〇ですが、何月何日の特番にAアナをお願いしたいんですが」
「すみません、Aはその日仕事が入っております」
「そうかー、じゃあBアナ」
「BもロケでNGです」
「ええ—、じゃあCアナは?」
「Cもレギュラーで……」
「えー誰もいないの、困ったなあ」

そして、永遠に私の名前は挙がらないのでした。

このまま自分は電話を取り続けて暮らすのだろうか。もし唯一のレギュラー番組からも降ろされてしまったらどうしよう。悶々としながら、やがてアナウンス部以外で仕事をするならどこがいいかを考えるようになりました。労働組合の副委員長として福利厚生制度や育児介護休業制度の改善に取り組んでいたので、労政部には馴染みがあります。採用試験や新人教育にも関わっていたので、人事部や、教育研修部にも興味がありました。

アナウンサーの仕事は人に話しかけることだけど、多くの場合は一方通行で顔の見えない間柄です。私は人前に出たいのか、人と関わりたいのか、どっちがより大事なんだろう?とよくよく考えたら、人と関わりたい気持ちの方が強いことがわかったのです。だったら、アナウンサーじゃなくなっても大丈夫なんじゃない?そう気付いてからは、電話取りも以前ほど気が滅入らなくなりました。

そんな折に配られた人事アンケート。「現在いる部署以外で関心のある部署」の欄に「労政部、人事部、教育研修部」と記入してみたら、なにやらすっかり異動が決まった気分になりました。そこで「どうせここにはもう長くはいないのだから、やれるだけのことはやっておこう」と、次の改編期に始まるラジオ番組にキャスティングしてもらうべく捨てばちで売り込みをかけてみたのです。そしたらそれが功を奏して、レギュラー番組が決まりました。

行き詰まったら、脳内異動を発令してみて

結局、異動は妄想で終わり、その後ラジオで新たに仕事の幅が広がって、4年後にはそれまで思ってもみなかった「会社を辞める」という決断をしたのですから、人生はわからないものです。会社を辞める時だって、自分がものを書く仕事をするようになるとは思っていませんでした。「辞めた理由をエッセイに書いてみませんか」と声をかけてくれた編集者がいなかったら、今とは違う人生だったでしょう。

仕事に悩んで、焦りを感じたら、いっそ発想を切り替えて「この仕事じゃなかったら何がしたいか」「違う仕事でも、今の仕事と通底する喜びを得られそうなものはないか」と考えてみることをおすすめします。

10年くらい働いているウートピ世代だからこそ、考えてみる価値があります。自分を幸せにしてくれるものは会社名なのか、部署名なのか、肩書きなのか、それとも仕事を通じて得られる普遍的な何かなのか。多分どの要素もゼロではないと思いますが、優先順位をつけるとしたらどれが一番大事なのかを見極めておくことは、きっと後々まで役に立つでしょう。

そして私のように、ここでなくても生きていけそうだと思ったら、思い残すことがないように捨てばちでやれることは全部やってみましょう。不思議なことに、それまでは勇気がなくてできなかったことも、脳内異動が発令されていると恐れずにできてしまうもの。仕事の壁って、多分ほとんどは自分の心が作り出しているものなんでしょうね。

生きていくためにはお金が必要だし、できれば楽しく働きたい。だけど晴れの日ばかりじゃないのも人生です。しんどかった時を振り返ると必ず、芽が出ていたことに気づきます。あとで大きく育つ何かの小さな小さな芽が、雨の雫に濡れているのです。涙がこぼれないように上を向いて歩くのもいいけれど、時にはボタボタこぼしながら、足元を見つめて歩くのもいいものですよ。

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