「とりあえず一本」から始まった…燃え殻さんが『すべて忘れてしまうから』を書くまで

「とりあえず一本」から始まった…燃え殻さんが『すべて忘れてしまうから』を書くまで

燃え殻さんの初の小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)の発売から約3年。7月24日に『週刊SPA!』の人気連載を単行本化した燃え殻さんの2作目の書籍『すべて忘れてしまうから』(扶桑社)が発売されます。エッセイの発売を記念して、このたび燃え殻さんに連載にいたるエピソードを書き下ろしていただきました。

そして「7月24日発売日」だけが残った

「週刊SPA!で連載をしてみませんか?」

新宿ゴールデン街で扶桑社の編集のTさんに、酔いが回った午前3時くらいにそう切り出された。その時、「はあ」なんて空気が漏れるみたいな返事をしたと思う。その前に店のママに、「今度、一緒に強羅行くわよ」と凄(すご)まれ、承諾したらしいが、そちらはまったく憶えていない。その夜は、目の前に鏡月のボトルが並ぶほど飲んでしまっていた。「では、決まりです!」Tさんが、威勢よくテーブルを「バンッ!」と叩いてすべてはその夜に決まってしまった。

僕はテレビ番組の美術制作という裏方稼業をしながら、グズグズの流れで、『週刊SPA!』で連載を始めることになってしまった。ただ、僕の人生の大切な選択の時は、だいたいグズグズで決まってきたので、今回もまたそれかぐらいに思っていた。Tさんも「大丈夫です! 私がついてますから!」と力強く言い放ち、「とりあえず一本書いてみてください!」と言われた。

「とりあえず一本」と言われても、「とりあえず」の具合が分からない。

とりあえず小説は書いた。その小説はとりあえず読んでくれる人はいた。ただその小説も賛否両論、主に否が目立った。「文学が壊れる」(アマゾンレビュー参照)。「これは小説じゃない」(直接飲み屋で、とある小説家に)。「自分には分かりませんでした! でもいいんじゃないですか!」(ツイッターの知らない女子大生からのリプライ)。それでも新人の一作目にしては多少売れた。だから、「次は何を書くんですか?」と出版社の人からありがたいメールをもらったり、会った時に言われたりもした。「一作目としては多少売れたもんね」が語尾に隠れた会話が、ある時期までは続いた。でもそんなものは、時が経(た)てば終息していく。このまま、「はあ」なんて言いつつ、フェードアウトしていくんだろうなと密(ひそ)かに思っていた時期、Tさんと出会ってしまったのだ。

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結局、とりあえずの一本は、大槻ケンヂさんとの思い出を書いた。Tさんが、「なんでこれについて書いたんですか?」なんて言う。「いや、あなたがとりあえずって言うからさ」と思ったけれど、その場にはTさんの上司もいて、そんなことを言うわけにはいかない。「いや、なんか忘れっぽいんで、忘れたくないことを書きました」なんて場を取り繕った。場所は恵比寿の喫煙全面オッケーな喫茶店の一番奥の席だった。

「それいいじゃん」編集のTさんの上司が、エアー並みに軽い感想を述べた。Tさんもそのエアー感想に安心したのか、「じゃあ、これを第一話にしましょう」と、これまたグズグズに決まってしまった。

それが発表されたのが、2018年の8月だ。あれからあっという間に2年が過ぎようとしている。この2年間、本業をこなしながら、仕事終わりにビジネスホテルや明け方までやっている新宿の喫茶店で原稿を書いてきた。その数はなんだかんだで、70本を超えている。

「そろそろ一冊の単行本にしようか。どうせなら東京オリンピックの開会式の7月24日に合わせちゃってさ! ドーンとやってみるか!」Tさんの上司の、エアー並みに軽い提案で単行本化が決定した。東京オリンピックには、何の思い入れもない。かろうじて、『AKIRA』を思い出す程度の人間なので、それはいいですね、なんて軽返事をしてしまい、またまた例によってグズグズとすべて決まってしまった。

そこにやってきたのが新型コロナウイルスだ。まず東京オリンピックがぶっ飛んだ。「大丈夫です! 私がついてますから!」と言ってくれたTさんも先月、アッサリと担当を辞めてしまった。そして『7月24日発売日』だけが残った。

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単行本作業が佳境を迎えている。70本の原稿から50本に絞るため、読み返していると、「とりあえず」の原稿を見せた恵比寿の喫茶店でのことをふと思い出した。Tさんに「忘れっぽいんで、忘れたくないことを書きました」と言ったあの時のことだ。Tさんは、「じゃあタイトルは何にしましょうか?」と聞いてきて、ウーンなんて考えてから当てずっぽで、『すべて忘れてしまうから』と提案してみた。「いいじゃんそれ」その場でエアーなオッケーが出た。

この2年間に大切な人が2人亡くなった。彼らとのやりとりも、連載に残っている。読み返した時に、そんなことあったかな? と薄情にも僕は何度か文章の中で立ち止まってしまった。もう話すことのない友人が、「今はお前のことをまだ許せない」と吐き捨てるように言ったのは、一年前の5月の出来事だ。結局彼は、僕のことを許さないまま逝ってしまった。慈恵医大病院で、管だらけになった後輩と話した細部も、今はうろ覚えでしか思い出せない。ただ帰り際、僕にピースをしてくれたことは鮮明に憶(おぼ)えている。深夜3時、「今なにしてるの?」と送ってきたあの人と、昔一度だけセックスをしたことがあった。バラバラになった思い出ともいえないような記憶の断片を、両手でかき集めるようにして、毎週書いてきた。週刊連載は思った倍はキツかった。でもやっぱり書いてきてよかった。編集のTさんにあの時、無理やり誘ってもらって本当によかった。だって僕たちは良いことも悪いことも、そのうちすべて忘れてしまうのだから。

(文:燃え殻、写真:トナカイ)

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