彼女の選択は衝撃的なことなのだろうか?『Red』と『スカーレット』から考える

彼女の選択は衝撃的なことなのだろうか?『Red』と『スカーレット』から考える

「家で待つ人を裏切りつつも、不倫相手と縁を切ることができない」
「大きな借金を抱えて、家族に迷惑をかけても情熱を貫く」

不倫や無茶をする「その人」は男性と女性、どちらを思い浮かべますか?

ライターの西森路代さんは「女性が主体的に選択したことがセンセーショナルと報じられるのはなぜか。男性が同じことをしても当たり前のように扱われるのに」と言います。西森さんにその違和感について考察していただきました。

「旦那の反対」には従わないといけないのか

2月14日のNHK総合の情報番組『あさイチ」に、映画『Red』の原作・島本理生と、監督・三島有紀子が出演していた。そのとき、番組の冒頭では現在放送中のNHK連続テレビ小説『スカーレット』のワンシーンが使われた。

それは、ヒロインの喜美子(戸田恵梨香)が、親友の照子(大島優子)から「離婚なんて選択肢ないんやで」「旦那があかん言うことやるのは悪いことや」「喜美子が下がってハチさんを立ててやり」と責め立てられるシーンであった。番組では「これは昭和の話だが、令和になった今、女性の立場は変わったのだろうか」と続いた。

『スカーレット』は信楽焼が有名な、滋賀県信楽を舞台に、ヒロインが陶芸家として奮闘していく物語。喜美子は、信楽で陶芸と出会い、女性初の絵付師となり、その後、陶芸家の夫・八郎(松下洸平)と結婚する。彼に教わりながら陶芸家の道を進むのだが、やがて芸術への情熱が大きくなり、穴窯(あながま)での作品作りに「狂気」と言われるほどのめり込んでいく。しかし、理想を追い求めるうちに、夫との距離が離れていってしまい——。

ついに夫が家を出てしまったときに喜美子が親友の照子に言われたのが、冒頭のセリフだ。八郎も喜美子への愛情がなくなったわけではない。喜美子が成功する確率の読めない無謀な挑戦に熱くなっていることを見て、「僕にとっては喜美子は女や。だから危険なことはせんといてほしい」と訴えるのだが、喜美子には届かない。

夫の反対を押し切っても借金して薪を購入し、窯が壊れてしまうかもしれない、家が火事になってしまうかもしれないという危険を冒してまでも、窯の温度を上げることに没頭。ついに窯は熱に耐えられず、上部が崩壊してしまう。

失敗か……と誰もが思ったはずだ。しかし喜美子は「自分の選択」を信じた。窯の上部からめらめらと炎が上がる瞬間を見つめる喜美子の表情はすがすがしく、これが本当の意味で喜美子が陶芸家、芸術家になった瞬間だと思わされ、胸が熱くなるシーンだった。

「男だからやめてほしい」とは言わないのに

しかし、よく考えてみると、こうした芸術家像というのは、男性ならば普通に描かれてきたことであり、そこに狂気を感じることは共通しているとしても、その情熱が「男だからやめてほしい」と言われる描写は見た覚えがない。

私の記憶では、昨年放送されていた『黄色い煉瓦(れんが)〜フランク・ロイド・ライトを騙した男〜』(NHK総合)というドラマも、黄色い煉瓦の製作を頼まれた一人の男性が、その色を出すために奮闘していた。土を選び、窯につきっきりで温度を上げるその姿には狂気が宿るほどであったが、妻は憔悴しながらもそれを支えていたし、それが「男だから」やめてほしいということはなかった

『スカーレット』の喜美子は、その後、大きくなった息子から、陶芸家として生きる道を選んだことについて「大事なものを失った」と指摘される。喜美子が一時は八郎よりも陶芸の道を選んだのは事実であり、そのことで「旦那は若い女と出て行った」と街の人からあらぬ噂を立てられたことも、街の人からも好奇の目線にさらされたこともある。しかし、何もかもを振り払って芸術に注ぐことは、先にも書いた通り、多くのフィクションで男性がやってきたことである。女性が「選択」をすることが、どれだけモラルに反し、特殊なことだと思われていたかが感じられるのだった。

晴れない霧がかかったような感情が蓄積する「塔子」

一方で、『Red』のヒロインの塔子(夏帆)は、専業主婦であり、傍から見れば、エリートの夫、かわいい娘、そして夫の母親と豪邸で暮らし、何不自由ないと思われる生活を送っていた。しかし、夫の言葉の端々には、妻を一人の人間として見ている感覚の希薄さがにじむ。それらのことは、安定した幸せな生活を送っていることを想えば、耐えようと思えば耐えられると思う人もいるだろうが、塔子には常に晴れない霧がかかったような感情が蓄積していた。

そんなとき、塔子はかつて自分が独身であったときに不倫していた鞍田(妻夫木聡)に再会し、関係を持つ。そのことで、夫との暮らしは本当に自分が望んでいることなのかという疑問が大きくなり、ある「決断」をしてしまう。この「決断」は映画オリジナルのストーリーとなっていることも話題となっている。

ここからネタバレになるが、私は、小説版『Red』の結末を読んで、ドラマ『失恋ショコラティエ』(2014年、フジテレビ系)を思い出した。

ドラマ『失恋ショコラティエ』も、夫との関係に悩むヒロインのサエコ(石原さとみ)が、高校時代から自分のことを想ってくれていたパティシエの爽太(松本潤)と再会し、夫のDVをきっかけに爽太と肉体関係を持つ。しかし、サエコは悩んだ結果、夫との生活に戻り、家庭を再構築する方向に向かうのだった。

小説版の『Red』の塔子もまた、夫との関係性に疑問を持ってはいたし、夫以外の男性との関係性を持ちはするのだが、結局は本来の自分の生きるべき場所は家にあると思い、元の方向に戻っていく

奇しくも『Red』の連載が終わったのは2014年8月。『失恋ショコラティエ』のドラマの放送は、2014年の1月から3月であった。

これは、何もお互いの作品が影響を受けあっているとか類似しているという指摘ではない。あの頃、2014年の空気を思い出すと、女性たちが、自分が受けている抑圧に気づき始めていて、それを別の恋愛で埋めたり、何であるのかを確認したりはするけれど、やっぱり元に戻ろうとするという表現が多かったのだと思う。

「男女を逆転」させて「当たり前」を問うてみる

こんなことを考えていて、ふと『アナと雪の女王』は何年の映画だろうと思ったら、2013年の11月にアメリカで公開、日本では2014年3月の公開であった。

この作品も、アナの姉のエルサが抑圧されていて、それを開放させるということまでは、しっかりと描かれていたが、結局は、社会の規範からは飛び出さずに、元に戻るという物語ではなかったか。

2013年から2014年にかけては、『Red』にしろ『失恋ショコラティエ』にしろ『アナ雪』にしろ、抑圧の正体までは描けるが、その結果向かうべきところは、元の場所という表現を描くのが精いっぱいだったのではないかと、今になって思うのだ。

『Red』は2020年公開の映画版では、結末が変わっていると述べた。その「選択」については、女性が、母親がそんな道を選ぶなんてと受け止められるかもしれないが、男性であったり父親が同じ選択をしても同じように捉えられただろうか。映画の結末に、監督の強い思いを感じた。

三島監督は、『あさイチ』に出演した際、「当たり前かどうかを考えるときに」「いつも私は(男女を)逆転させるんですよ」と語っていたが、喜美子が穴窯と芸術を選んだことにしても、『Red』の映画の中で塔子が選んだことにしても、逆転していたら、ここまで「センセーショナル」だと報じられただろうか。

(西森路代)

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