#ちょうどいいブスやめた 【あらいぴろよさん】

魔性の女じゃない私は、あの手この手でチヤホヤを求めた【あらいぴろよ】

魔性の女じゃない私は、あの手この手でチヤホヤを求めた【あらいぴろよ】

「#ちょうどいいブスやめた」
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「ちょうどいいブス」「女性のほうがコミュ力が高いから…」私たちは、いつまで誰かの価値観に振り回されなきゃいけないの?

女性をめぐる自虐や我慢について、改めて問い直してみるべくスタートしたこの企画。ちょうどいいブスをやめた人も、今まさに葛藤している人も。一緒に考えてみませんか?

今回は、漫画『“隠れビッチ”やってました。』(光文社)の映画化が決まった、漫画家のあらいぴろよさんに「チヤホヤされたくて清純派に擬態していた頃」の話を寄稿していただきました。

ハイパーチヤホヤされたかった20代

今から十数年前。私は男性にチヤホヤされることに全身全霊を傾けて生きていた

父親のDVで落ち着かない家庭に育ったことも要因のひとつだと思うのだが、私は幼い頃からずっと自分に自信がなく、心にボロボロと穴が空いている感覚を持っていた。その穴の埋め方を知らずにいた私は、思春期を迎えると男子に「好き」と言われることに妙な快感を覚えた。

そして、20歳になる年に実家を出たのとほぼ同時に私は“クズ無双”に突入することになる。どのくらいの無双っぷりかというと、3年間で約200人とデート。声をかけられただけなら600人ほどだ。

私が魔性の女なのかって? いいえ。私の外見はごくごく平凡。中身は異常なまでの承認欲求があるだけで、あとはパッとしない。アピールポイントは『若い』ということだけだった。

そんな私なので、当然ただボンヤリ生きていてはチヤホヤされない。歩いているだけでチヤホヤされるような人がいたら、即芸能界入りして事務所に守ってもらわないと危険だろう。

私がチヤホヤされた理由。典型的でズルイやり方だが、男性の好きそうな清純派に擬態しつつ、気のあるふりをしまくる、ということをしたからだった。そう。“隠れビッチ”になることで、チヤホヤされる状況を作り出し、自分の心を満たしていたのだ。その頃の葛藤を描いたのが『“隠れビッチ”やってました。』である。

「ソクラテスみたい★」隠れビッチの手法

“隠れビッチ”とは何か。私個人の経験だが、基本的にセックスはしない。露出や過剰なせい的アピールは避けて、相手好みの清楚を演じ、異性の気持ちだけを弄びながら恋愛を楽しむことをさしている。

もう少し突っ込んで説明すると、ターゲットとなる男性の外見や話し方・目線の動きなどから性格の傾向を分析し、その人が喜びそうなことを、前のめりで、あごに手を寄せて小首をかしげながら……いわゆる昔ながらのぶりっこをぶちかましまくる感じだ。

「そんな手にひっかかる奴いるかよ!いるとしたらかなりアレだわ!」とよく言われたが、ターゲットたちとの出会いは、ほぼナンパだ。ナンパで出会う男性が、私に求めているものはなんだろうか。それは“自分の想像の範囲を超えない扱いやすいオンナ”。要するに“ちょうどいいブス”だ。そういう男性には古典的なぶりっこがよく効いた。

といっても道端やバーなんかで出会う人の多くはキャッチかワンナイトラブ希望だから、金銭や体の関係抜きでチヤホヤされたい私とは、需要と供給があわないのでかすり合うことはない。

だからカフェ・フリマ・本屋・映画館・○○フェスなど趣味の会話が自然に発生しそうな場所へ赴き、ありとあらゆる偶然を作り出しては「趣味が合いますね、もしよかったら今度お茶しながら語りませんか」などとはしゃぎ、ナンパされたり逆ナンしたりする状況を自分で作るのだ。

当時は必勝パターンを編み出すことにも余念がなかった。一例を紹介しよう。

“さ行”でホメる!
さ さすが〜
し しっかりしてるね
す 素敵だね!
せ センスいいね
そ ソクラテスみたい★

今、みなさんの目が「★」になっているかもしれない。ソクラテスとはなんぞや——、と。

ちなみに、「ソクラテスみたい★」はこむずかしい話へのリアクションなのだが、万が一相手がソクラテスを知らなかったら——。小首をかしげ、恥ずかしそうに「実は私もソクラテスってあんまり知らないんだけど……なんかすごい哲学者らしいよ」(てへっ)と返すのである。その瞬間、「なんかすごい哲学者」が「あなた」に脳内変換されるのである。

このようにターゲットの服装や会話から好みの服を割り出し、その人の喜びそうなことを言いまくり、ヤレそうでヤレない雰囲気を作るだけで告白まで一直線。このヤレそうでヤレない感は私のパッとしない外見だからこそ、手を出しやすそう感が出ていて最適なのだ。

「好きです」

例えどんな下心があったとしても、心から私を求めたからこそ出たその一言は切なく甘くキュンと、私の心の穴に染み渡っていった。そしてこう思った。

「ああ、私は生きていてもいいのだ」と。

もっともっと!足りない!足りない!

しかし、 “隠れビッチ”のパワーにも限界がある。いずれボロが出てフラれるか、口説いていたときの熱が冷めブスということに気づかれてフラれる。そうなったらせっかく言わせた「好き」は消え失せ、心の穴もまた空いてしまう。

だから告白させるまでのドキドキを味わい、告白の言葉を聞くまで、未来はいらない!と切り捨てることで、“隠れビッチ”のメリットを最大に高めた、つもりだった。

しかしそんな関係は、ひと時の快感以外なにも生まない。しかも「好き」と言わせても付き合わないのなら、その「好き」は確実に消えるだろう。未来になにも残らない。さらに人は快感に慣れやすい生き物だと聞くが、私も例に洩れずチヤホヤの快感に慣れてしまい、たくさんの男性を毒牙にかけていくようになった。

自分の劣等感やコンプレックスを隠すためなら、誰かを傷つけることも厭わない。

7人同時キープしたあたりで、さすがに自分はヤバイと思った。普通の人は7人キープどころか2股だってしない。今まで見て見ぬふりしていた『自分のクズさ』を直視しなければならなくなった。

強い自己嫌悪も生まれたが、その現実から逃れるために、私はまた男性にチヤホヤされに行った。恋の駆け引き中にあるハラハラドキドキに溺れている間は、イヤな事を全て忘れられたからだ。

当然友人からは「もっとちゃんと生きろ」と言われた。「自分に自信がないからって、男に逃げるのはやめなさい」と耳に痛いことも言われた。

でも……自分のクズさに向き合って変わるって勇気がいる。そんなツラい思いをしなくたって、 “隠れビッチ”でさえいれば気持ちいいんだから、考える必要なくね?やめよやめよ、とアホ面全開で現実逃避し続けた。だけど、一人になるといつも同じことが浮かんできた。

誰か助けてくれよ……。

“幻”はどこまで行っても“幻”

虚しさに苛まれた私を救ったのは、これまたやっぱり色恋絡みだった。そのお相手はチャラ男だったが、夢である美容師になるために学校とバイトに励みながら、まっすぐに、でも適当に生きていた。

美容師の卵ということで、おしゃれ!とゲス心満載で近づいたのだが、職場・年齢・出身地などが同じということが理由だろうか。それとも、私にもイラストレーターになりたいという夢があったので、同じ夢を追うもの同士、肩の力が抜けたのか。彼の前ではマナー程度には気を使うものの、彼には“隠れビッチ”も“ちょうどいいブス”も演じようとは思わなかった。

それは多分、無意識のうちに私が彼と一緒に生きていきたいと願ったからだと思う。そうやって恋に落ちた私は案外乙女で、未来を夢見るようになる。しかし彼が美容師になる姿は想像できたのに、2人で年老いていく姿は全く想像できなかった。

というか、自分がしている生き方のまま年をとったら……場末のスナックでベロベロに酔いながら、くだをまいている自分の姿しか浮かばなかった。そりゃ“隠れビッチ”を演じることに夢中で時間を無駄にし続けていれば、そうなるのも当然だ。そんな未来しか待っていない自分にどうして自信が持てようか。

大きなケンカを経た1年後に彼からメールが届いた。「ずっと一緒にいたい 今までずっと言えなかった ごめん」そのメッセージを見た時に私は気づいた。本気の恋だったけど、大切なことから逃げる2人ではやっぱり共に歩んではいけないのだと。だから私は彼とは一緒に生きない人生を選んだ。

チヤホヤされる快感から抜け出せなければ、心だけじゃなく未来もボロボロになると思った私は、未来の自分にとって恥ずかしくない生き方をできるように、夢や自分の弱さに向き合いはじめることにした。

自信を取り戻すために仕事を向き合ったり、転職をしたりを繰り返して、それは一進一退の日々だった。目標はあるのになかなかそうなれない自分に焦ってしまう日もあったが、私はもう“隠れビッチ”にならなくても、自分の心を満たせるようになっていた。その辺りのことは拙著『美大とかに行けたら、もっといい人生だったのかな。』(光文社)に描かせてもらった。

まあ……24時間いつでも自分で自分の機嫌が取れる快適さ(イエーイとかフム~な感じ)と、チヤホヤされることで心を満たす快感(キュンッな感じ)は確かに種類が違うから、年に1度くらいホルモンバランスが崩れた時に「あああ~!チヤホヤされてええええええ!!!」ってゴリラの如く吠える夜もあるけれど。

そんな時は少ししてから「まだ私はチヤホヤされたいのか、根深いなぁ」と心に空いた穴の大きさに触れてみたり、「死ぬまでにはどうにかなっているといいなぁ」と少し離れた場所から心の穴を眺めたりできるようにはなった。完全ではないが自分をコントロールできることで自信もついたし、自分のことを好きって思える今は幸せだと思う。

でも本当にさ、初めから誰の心にも穴なんか開いてなきゃいいのにとやっぱり思うよね。だけど、社会に出ていろんな人と出会う中で、誰でも大小さまざまなコンプレックスを抱えていることにも気づいた。

自分の中に弱さがあること。愛されたかった自分に気づき、自分で自分を愛せるようになったことを私は認めながらこれからも生きていきたいと思う。

(あらいぴろよ)

【映画情報】
yuisakuma
©2019『”隠れビッチ”やってました。』フィルムパートナーズ/光文社
『“隠れビッチ”やってました。』は2019年冬、全国公開です。

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