「こんなはずじゃなかった」が起こるのも人生【小島慶子】

「こんなはずじゃなかった」が起こるのも人生【小島慶子】

「「πな人生を生きていく。」」
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恋のこと、仕事のこと、家族のこと、友達のこと……オンナの人生って結局、 割り切れないことばかり。3.14159265……と永遠に割り切れない円周率(π)みたいな人生を生き抜く術を、エッセイストの小島慶子さんに教えていただきます。

第23回は、「読書の秋」にちなんで、世界で1000万部を突破した『マイ・ストーリー』(集英社、長尾莉紗・柴田さとみ訳、原題:Becoming)について。

同書は、米国前大統領夫人ミシェル・オバマによる回顧録。決して裕福とは言えない少女時代を経て、ファーストレディーへ……。私たちが経験できないことばかりなのに、そのストーリーにはどこか「私も同じだ……」とも感じさせられます。小島さんは『マイ・ストーリー』をどう読んだのでしょうか?

ミシェルはなぜ「無視される側」の気持ちがわかるのか

シカゴの貧しい家に生まれたミシェルという名の女の子は、一生懸命勉強して難関大学に入り、弁護士になって有名法律事務所に就職した。そこで知り合ったバラクという変わり者の弁護士と結婚したら、彼が一流大学の講師から国会議員になって、ついには大統領選に出ると言い出した。ミシェルは止むを得ず自分のキャリアを中断して応援、夫は見事当選して、アメリカ合衆国第44代大統領となった。それから彼女は8年もの間、大統領夫人というパワフルで難しい役割を果たすことになる。

ミシェル・オバマの自伝『マイ・ストーリー』を読んだ。全世界で1000万部を売り上げた話題作だ。平易で率直な語り口で綴られた内容は多くの女性が共感できるエピソードがたくさん詰まっている。

貧困家庭出身の黒人であり女性であるミシェルは、曰く「無視される側」の気持ちをよく知っている。勤勉なミシェルは努力でハンデをはねのけて高学歴と「高肩書き」を手にしたけれど、職場ではその場で唯一の女性であることも多く、大統領夫人になってからもなお黒人であることで差別を経験した。だからこそ彼女の女性のキャリアや社会的地位に対する眼差しは温かく、実感がこもっている。

2016年の大統領選の際、ミシェルがフィラデルフィアで行った民主党のヒラリー・クリントン候補の応援演説の名言がある。「社会を測る物差しは、その社会が女性や少女をどのように扱っているかです」。トランプ候補の女性蔑視発言の数々が問題となり、トランプ氏から性暴力を受けたと被害者たちが次々と名乗りを上げていた中で、この言葉は多くの女性たちの、そして女性を大切に思う男性たちの胸を打った。私も折に触れてこの言葉を思い出す。

大統領夫人という、公人でありながら何ら公的な権力を与えられていない特殊な立場だからこそ、彼女の言葉は多くの人に勇気を与え、希望と共感を生んできた。それを実感する一冊でもあった。

完璧に見える女性のすぐ隣にあった不安

名門プリンストン大学から、ハーバード・ロースクールを経てシカゴのエリート弁護士事務所に勤めたのだから、彼女のキャリアは決して平凡とは言えない。家が貧しくても努力次第でエリートになれるという証左でもあるけれど、あまりにも輝かしい学歴は普通の女性からすると近寄り難く、自分とは違う“勝ち組”だと感じるだろう。

正直言って私も圧倒されてしまい、来世はそんな頭脳を持って生まれてきますようにと祈るしかなかったが、そんな彼女にもいろんな挫折はあった。

子どもを望んでもなかなか恵まれなかったことや、やりがいを求めてNPOに転職するときの苦労、夫の決断に巻き込まれてせっかく築き上げたキャリアを中断せざるを得なかったことなど、自分の努力ではどうにもならないことに直面して悩んだことを素直に吐露している。

努力すれば報われると信じてきっちり結果を出してきたミシェルだが、人生のいろんな場面で自問する。私は不十分なんじゃないか?自分はまだ、このチャンスに相応しくないのではないか。あんなに完璧に見える彼女が常にその不安と闘っていたと知って意外だった。
 
一番印象深かったのは、彼女が学生時代の親友を亡くしたときの話だ。親友のスザンヌは勤勉なミシェルと違って享楽的で、刹那的な生き方をしていた。ミシェルはそのいい加減さに呆れ「努力が足りない」「より高みに行ける選択肢があるのに選ばないなんて志が低い」と腹を立て、失望する。

けれどのちにスザンヌは重い病に冒されて30歳にもならずに亡くなってしまう。親友の短い命を悼んだときにミシェルは、彼女があのとき人生を楽しんで良かった、と思う。その瞬間を目一杯楽しむ生き方をしたスザンヌは、将来のためにきっちり自己投資をする自分から見たら自堕落で考えなしだったけれど、でも人生の一瞬一瞬を精一杯楽しんで生きる喜びを味わったのだとミシェルは気付く。

優等生の努力家であったミシェルが、人生は思い通りにならず、誰しも明日をも知れぬ身だと気づき、喜びを大切にして生きることを実感できたのは大きな学びであったろうと思う。

「こんなはずじゃなかった」が起こるのも人生

真面目に生きようと思うほど、人は頭の中の妄想に過ぎない未来に過大な期待をする。今を犠牲にして将来の自分を幸せにしてやろうと思う。それで実際に行けないと思ったところまでたどり着けることもある。私もそうやってここまできた。でも、いくつもの「こんなはずでは」が起きるのも人生だ。私もまた、そういういくつもの想定外に振り回されて引きずられて、気づけばここに立っていた。

30歳前後のウートピ読者にはなかなか想像できないことかもしれないけれど、やっぱり命には限りがある。多分、ほとんどの人の人生は「まだ途中だったのに」で、何も仕上げられずに終わる。50代でも60代でも、きっと80代でもだ。だからと言って価値がないわけではなくて、未完であること以上に、むしろそうだからこそ、何気ない日常を無心に生きたことが大事なのだと思う。今楽しめることがあれば楽しもう。棚上げにしているうちに心がカラカラになってしまうこともあるのだから。

もう一人、私が好きな登場人物がいる。ミシェルの学生時代の恋人だ。優秀な学生なのに、彼はフットボールチームの着ぐるみを着る仕事がやりたいと言う。ミシェルは呆れて愛想を尽かすのだけど、この彼は念願かなって着ぐるみ仕事をしたのちに、医師になったそうだ。

人生には回り道もあるし、今のその人が全てではない。将来性なんて、結局はわからないということ。着ぐるみを着る仕事は決して華やかではないし長くできることでもないのに、学歴や世間体を顧みずに素直にやりたいと言える彼はなかなかの人物ではないかという気もする。

もしも自分の息子が「大学を出たら着ぐるみを着てスタジアムで踊りたい」と言い始めたら私はやってみなさいと言えるかな、などと考えてしまった。

今年一番勇気をもらった本

そしてもう一つ。最も味わい深いのはミシェルのお母さんの言葉だ。これはぜひ読んでほしいが、仲のいい夫婦に見えたミシェルの両親にも、いろんな思いがあったことがわかる一節だ。ミシェルの母親は、毎年春になると窓の外を見てあることを思う。何を思うかは読んで確かめてほしい。それは私も身に覚えのある、実に深い言葉なのだった。そして人も羨む大統領夫人となったミシェルにも、そんな母親と同じ感慨がよぎることがあったのだと知って、私は一層彼女が好きになった。

今回は全編感想文となったけど、間違いなく今年一番勇気をもらった本だ。本棚に置いておくだけでもなんだかお守りになりそうな存在感。ちょっと元気がない人にも、やる気に満ちているあなたにもオススメしたい。 

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