DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」56回目のボヤきは「育ちのよさそうな人に気後れ」です。
【今週のボヤき】
社外の人と会うことが多い仕事に就いています。知り合いから誰かを紹介されて、そこから新たな仕事につながることも多いです。もともと人と話すことが好きなので、それ自体はストレスを感じていません。
最近は、お付き合いの会食に誘われることも多くなってきたのですが、正直「早く家に帰ってみかんでも食べたいな」と思うことが多くなってきました。素敵なレストランで食事をするのはいいのですが、気を張っているせいか食事と会話の内容を覚えてないこともしばしば。
地方のごく普通のサラリーマン家庭で育ったので、都会の育ちの良さそうな人たちと会うと気後れしてしまう、というのもあります。
こういうのは慣れていくしかないのでしょうか?
「タワマンで毎晩ワイン飲んでるんでしょ!」という偏見
都会の育ちがよさそうな人たちは私にも数人知り合いがおりますが、最初はやっぱり偏見の目で見てしまうんですよね。
「毎日銀座で旨い寿司食ってんのかな、、、」とか「持ち物は全部ハイブランドで固めてんのかな、、、」とか「タワマンの最上階からワイングラスを傾けながら我等庶民の残業の灯で彩る夜景を眺めてんのかな、、、」とか。
あらぬ妄想を膨らませて自らの劣等感をチクチクと刺激してしまうのですが、コミュニケーションを重ねるごとに、その妄想は勝手な偏見であることに気付かされることが多いです。
彼等も同じ人間、ファストフードも食べればのり弁も食べるし、部屋着は着古したヨレヨレのスウェットだったりしますし、風呂上がりに缶ビールを勢いよく喉に流し込んで「くぅぅぅぅぅぅ!!」と涙目で悶絶していたりしますし、劣等感を痛めつけるほど生活レベルの差はないんですよね。
付き合えば付き合うほどいい意味で「それほど」という親近感が湧いてくるんですよ。
素敵なレストランで会食するのは彼等にとっても楽しみなイベントであり日常ではないということ、我等庶民と同じようにドキドキワクワクしているものなんです。
彼等は「楽しませてあげる」という上からのおもてなしではなく「一緒に楽しもうぜ」という対等な立場から招待しているだけですので、そこは素直に御相伴に預かっておけばいいと思いますよ。
隔たりを作るのは下のほう
上下関係の隔たりを作ってしまうのはだいたい下の立場のほう。
勝手な偏見で勝手に劣等感を感じて「あの人は私の劣等感を刺激した悪い人! ヒドイ! 嫌い!」と自己防衛のために脳内の情報を書き換えて嫌悪してしまう人も珍しくありません。
対等な立場を上と下に分けてしまうのは劣等感という名の怪物だということを心得ておきましょう。
人付き合いで心がけておくこと
その人のステータスと付き合うのではなく、その人の人間性と付き合うこと。一人の人間として一人の人間と付き合っていけばいいだけ。
素敵なレストランでご馳走になったら次はこちらの奢りで近所の安い居酒屋にでも連れていってあげればいいんです。
「いいこと」って神様が授けてくれるものではなく人からプレゼントされるものですからね。
いいことがたくさん起こる人というのは運がいいのではなく人付き合いがいいんですよ。
家でひとりみかんを食っていてもいいことは何も起こらないぜ。